クリュウの剣に無駄な力みはいらない。
35話です。
水蛇に挑み始めて、一週間が経った。
奴はおれの姿を認めると、逃げるか、水流を起こして追い払おうとする。
いずれにせよ防戦をお望みのようだ。
たまに死角から狙ってくる時もあるが、攻め方は相変わらず尻尾から振るうのみ。
故に、末端への攻撃ではおれの技量じゃ致命に足り得ない。
参った。
クリュウは、相手からの動作を受ける時にこそ技の冴えが光る剣術だ。
メイラほどの達人になれば、相手の動きに合わせて剣を滑らせ、些細な切り口からでも皮を剥ぐが如く致命傷を与えられるのだが。
おれはまだその域ではない。
おれのはいっそ冒険者の攻め込む姿勢もベースにあるので、純粋な守りの剣とも言い難い。
斬り合いの中で受けながらより懐に攻める、内へ内へと斬り込むカウンターとでもいうか。
あの狡猾な蛇とのちまちまとしたやり取りでは、その本領が発揮できずにいた。
やっぱり、初動を失敗したのが響いているな。
冒険者の言う通り、最初のチャンスで水底の果てまで追うべきであったかもしれない。
向こうから来るのも、こちらから行くにも微妙な関係になってしまった。
昔から森に篭って生きてきたので人付き合いは得意とは言い切れないが、まさか魔物相手にすら苦戦を強いられるとは。
どうしたものかと悩みながらその案を思い立ったのは、魚を狙って泉に飛び込む水鳥を、昼飯用に射止めた時であった。
クロエの言葉を思い出した。
思い付いた作戦の是非は単に、おれの体力が持つかの問題だ。
やることは結局、この間メイラが言ったままである。
ちょろちょろと動く目障りな獲物、近くにいられると不愉快な獲物を殺したい時はどうするか。
例えば罠を張るなんて手もあるが、あの蛇には、まして水中でそんな芸当は出来ない。
では、煩わしいおれはどう殺されるのがよいだろう。
ドタバタと立ち回りそうなやつを無闇矢鱈に打ち落とすのは、あまりに効率が悪い。奴はそんなことはしない。下手をしたら手痛い反撃が来ることも奴は知っている。
普通は、止まったところ、油断しているところ、弱ったところを仕留めるものだ。
前二つは似たような状況を演出したことがある。
だから、おれ自身が弱った餌になってみることにした。
殺気を当てるだけではない戦い方も、修行だと思おう。
おれは泉の中、暗く透明な世界を駆ける。
視界に入る魔物を、感じる気配を、死体目当てに近付くそいつらを、手当たり次第にその命を刈り取りつつ、泳ぐ。
疲れるおれ、転がる死体、小休止に止まるおれ。
これ以上ない漁夫の利のお膳立てを、狙わせてみる。
どこで出番がある特技か、おれは気配から体まで、無駄に弱るのは得意である。
五年の修行でその重さを意識で捉えられるようになったおれは、今はそれを力に換えることができる。
空を切り風を起こすように、水をかき分け泳ぐように。
誰もがその身に秘める、数年前までおれを苦しめていた息苦しい重さ。
今なら分かる、人や魔物は無意識にその気迫のような質量を引き出し、力に換えている。
だから冒険者なんかは特にうるさく感じるのだ。彼らは、人一倍の力としてそれだけの重さを秘めている。
うるさいが故に彼らは強い。
しかし己の内で無意識にしか動かせない力は、実は効率が悪い。
それを意識的に動かせるおれは必要なところにだけ、いっそ己の外にすら重さを充てることができる。
一点を、ある動作を強化するだけならば、冒険者たちのそれより一瞬の効率はいい。
だから点や線の局所的な動作であるほどおれは強い。
逆に皆のように意識せずに満遍なく「普通に」強くなる動き方が出来ないのだが。
兎角、そのせいかおかげか、特異なおれは重さを力として制せば制すほど、よく動ける。そしてひどく体力を消耗する。
なぜかこんなことが出来るのか自体は未だに謎だが。
皆が全身に力を込めて強くなるならば、おれは全身分の力を腕なり足なり一点に込めることが出来てしまうわけだ。
そんなことをすれば、肉体的に見れば筋肉なり神経なりにガタがくるのも当然な気はする。
まさか背中や足の筋肉を腕に回すなんて、普通はできない。
精神的な部分だが、凡そ理屈は似たようなものだろう。
だからあまり集中して力を回し続けると、やがて自分の内の気配にすら息が詰まるようになる。
今は半ば無意識に御せているにせよ、幼い頃はそれに苦しめられていたのだ。
限界が近付くほど、昔のようにあまり好ましくない症状が蘇る。
奴には、そこを狙ってもらおう。
そんな作戦とも言えない無茶苦茶で、おれは奴が食らい付きたくなるくらいまで消耗するため、ひたすらに暴れ回るのだった。
これでダメだったら、本当に泉の果てまで追い回すしかない。
もっとも、疲れるためにわざと疲れているので、上手いこと迎撃できなければその後はかなり怪しい勝負だ。
しばらく経つと泉にプカプカと魔物の死骸が浮かび、気のせいかその水はいつもよりどこか赤黒く淀んでいる。
混ざる肉片に、エサを狙う大小の魚たちの気配に、視界も気配の感じ方もあまり鮮明ではない。
らしくなく暴れ回ったせいで、空気を与えても肺が次を求めてくる。
ガンガンと頭と体から悲鳴が上がっていた。
やっぱり、正しくない使い方をしすぎるものではない。
果たしてなけなしの一振りの余力を残せるだろうか。
クリュウの剣に無駄な力みはいらない。
一太刀。
力尽きても、一太刀添えればあの蛇を斬ることはできる。
ただ、チャンスを待つのみである。
水底からおれを狙う気配は、いつもより注意深く、刺すようにこちらを伺うのが感じられた。
そして泉の生きた魔物も死んだ魔物もそこかしこに気配を散らせ、おれの視界もより朦朧としてきた頃。
とうとう、奴が動いた。
普段は水の抵抗などものともせずに振るう尾を、しゅるしゅるとゆっくり水中を漂わせる。
おれの足元へ、その太く長い尾を伸ばして来た。
息はさっき吸った、二分は保つ。
並の大蛇を何匹もまとめたような大きさの尾端が、しかし繊細な動きでおれの足を巻き込んだ。
抗う間もなく、引き摺り込まれる。
おれはこれを受け入れた。
何となく、惰性で刃を振るう程度の、精一杯に見せる抵抗の意思は示しながら。
実際、こんな演技をせずともおれは十分に消耗しきっている。
気を当てなければ泳ぐことすら億劫だ、何もせずとも剣の重さに沈んでしまう。
ゆっくりと水底に引き込まれるが、ざくざくと傷を与えながらもその力は緩むことはない。
この泉でおそらくおれがこの蛇に抗う唯一の存在だ。
敵も、か細い攻撃からも時間が経てば尾を落とされる可能性くらい考慮している。
ここで仕留める気になってくれたようだ。
足元から、巻き付いてきた。
絞め殺す気だろうか。
あくまで暗闇に見えない頭部は、近付くことはせずこちらを認めている。
締め上げられる力が強くなると、逆におれは力を抜いた。
お互いの呼吸をはかる。
潜れるのは、あと一分。
蛇からはいやらしく、重苦しい害意が伝わってきた。
おれを軸に体を捻り、その強靭な肉体で絞め押し潰し圧殺しようとしている。
足が折れそうだ。
既に腰まで動けない。
おれの抵抗が弱くなることを確認すると、ここぞとばかりに殺意が膨れ上がった。
だが蛇とて呼吸はする。鰓か肺か、溜め込んでるのかは知らないがその身を巡る血流は誤魔化せない。
ここだ。
身を絞るための呼吸に、血肉の動く波の合間に、力の膨れるその前の一瞬の隙に、手に持つ鋼を深く差し込んだ。
蛇「この辻斬り荒らしすぎやろ餌なくなるわ」




