冒険者達は酒を出せば勝手にやってる。
2話です。
山葡萄の毒は、煮詰めると飛ぶ。ジャムなんかにすると美味い。
だからというわけではないが、村でも格別美味い料理を出す家の一つ、宿屋のフェンドラさん家への貢物にする。
「おばさん、クロエいる?」
フェンドラ家が営む宿「ウンディーネの里」はこの時期は特に盛況だ。宿は村に一つしかないから、冒険者たちはここに泊まる。
だから騎士団の到着前の現在、既に酒が入っている冒険者達が殊更にうるさい。素直な気持ちで、色々と邪魔に思う。
「ああリーブ、クロエなら奥にいるよ」
「ありがとおばさん、お邪魔するね。これお土産」
籠に入れた山葡萄を渡しながら、カウンターの奥に入れてもらう。
恰幅の良いフェンドラ夫人は、一階で食事処もやってるウンディーネの里の看板夫人だ。娘のクロエが同い年だから、おれもよく可愛がってもらっている。第二の家族と言っても過言ではない。
絡んでくる冒険者をひょいひょい避け、厨房のおじさんにあいさつしながら、奥の家族の居住スペースに行く。
クロエの部屋の扉を叩き、
「おーい、クロエ。良かったら一緒に騎士団行進の見物に行かないか」
「え!?リーブくんもう来ちゃったの!?待ってまだ準備出来てないのにー!」
なんの準備があったものか。
扉越しに聞こえる鈴を振ったような透明な声が慌てふためき、壁一枚隔てた向こうのドタバタを物語る。
昔からクロエはどこか抜けていて、そのせいで何かあるたびにおれを頼るからすっかり懐かれた。
だからか祭のようなイベントには一緒に行かないと、拗ねるのだ。
「店の方で待ってるよ」
クロエは気というか、向かってくる圧が強いので、適度に放っておくくらいが丁度いい。
扉の奥できゃんきゃん騒ぐのを置いて、来たままを戻った。
「女の子は準備に時間がかかるようで」
「馬鹿娘が、たかが物見になにを洒落っ気出してんだか。茶でも飲むかい?」
「すぐ来そうだからいいや」
冒険者達は酒を出せば勝手にやってる。騒がしく見えるがおばさんは手持ち無沙汰なようだ。
おれが適当に腰掛けた卓に、おばさんも椅子を引っ張ってきて座った。
「しかしリーブが自分から迎えに来るとは思わなかったよ。そんなに興味ないだろ?」
おばさんもおれのことをよく分かっている。流行り好きな兄さんと違い、確かにおれには興味もありがたみも薄い。
不入の森は、奥の奥の泉を超えると危険だが、逆に言えば深い奥から魔物が出てくることはほとんどない。森の端の険しい山は決して豊かではなく、そちらからも魔物が降りてくることはほとんどない。
山を迂回した魔物達が、野に降りる。
とどのつまり、今回の騒動で我が家は村が困る以上の害がないのだ。
代わりにこれからの時期の森番は、毎年冬眠前の熊や繁殖期前の狼達と隣り合わせだ。
他の季節でもこの隣人には会いたくないが。
魔物のついでに特に狼の方も駆除してくれないものか。
「兄さんから話聞いちゃったし。迎えに来ないとクロエ、拗ねるかなって」
「あの娘もいつまでもあんたにべったりだねぇ。嫁にもらえとは言わないし、そんなに甘やかさなくていいんだよ」
「クロエは一緒にいて気分がいいから。親の育て方が良いんだろうね」
「そんな冗談ばっか上手くなるのはどこで覚えるんだか。ま、あんたが森から出るくらいあの子が理由になるってのは、嬉しいけどサ」
そう言うおばさんの目には母親の慈愛が感じられる。
おれの妙な体質のせいでいつまでも心配をかけてしまうが、この人の懐の暖かさにはかなり救われている。
おれは昔から、人が苦手だ。それは自分自身も例外ではない。
人というか、気配が障るのだ。
自分の中にある自分の血脈が、人の気配が、空気の圧が、草木の呼吸が。
生まれたその瞬間から、全て重苦しく感じられる。
何故なのかは医者や物知りに聞いても分からない。
ただ、生きているだけで息苦しく、重いのだ。
もう一つの秘密のせいかも知れないが、そちらは人に、たとえ家族にも話すような内容ではない。仮に関係があっても、どうしようもない話だ。
その秘密はおれの中に潜む、誰かの人生。
名前も知らないその誰かは、前世の記憶なのだと思う。
とても朧気で、ともすれば夢のように浮かんだり消えたり。
深い智慧を呼び出すことも、思い出を辿ることもない。
ただ確かにどこかに誰かがいたというのが分かるのみだ。
今より遥か文明的な世界にいた誰かが、おれという人格が踏み付けた過去を主張してくる。
それがどんなに異端なことかは理解できるくらい、つまりそのくらいしか前世の記憶はおれに何も齎さない。
強いて言えば、妄想と言い切るには幽かだがあまりに現実的すぎる記憶だ。おれを子供らしからぬ様に醸成させた要素ではあるのだろう。
兎角。結果として、おれ、イリーベルト・イヴィラルには前世の記憶があり、何故だか森羅万象に拒絶されている事実があるのみだ。
同年代の子供より少し冷めていて、同じ人間より少し世界に馴染めてない、そんな息が詰まるような生。
生まれてこの方この調子だが、たまに煩わしくない時やものがある。
一つは不入の森にいるとき。普通、他人は森に入れば入るほど恐怖心を煽られ、森の深さに飲まれるそうだ。おれはむしろ体の中の重苦しさが消えていく。
一つはクロエや家族といるとき。人間はその気配がどんなであれ気に障るのだが、クロエたちの気配は心地良い。気にならない訳ではないが、嫌ではない。
そして意識して気持ちを鎮めているとき。昔ここの宿に泊まる冒険者に教えてもらった。ゆっくり呼吸して、意識して楽にできるように瞑想する。気脈を整えて、自分の中の異物を、重苦しさを薄めるように、外に出すように。
最近になってなんとなく効いてくるようになった気がする。
家族やおばさんからしたら、常に窒息しそうな顔をした子どもなんて気が気じゃなかっただろう。
害はないのだが、息苦しく、重苦しく、なんとなく、そう、異物なのだ。
まるで生まれた時からおれだけ水の中にいるように。
例えばこの店にいる冒険者たちの気配は特にうるさいほどガンガン頭に響いて障る。一刻も早く出て行きたい。でもそれよりクロエとの時間を大切にしたいくらいには、この家族には感謝しているのだ。
「森にいる方が楽だけど、今日の薪拾いもひと段落しちゃったし」
照れ臭いから、嘘にならない程度に誤魔化す。
「あんたが良いなら良いけどサ、山葡萄だってこんな立派なのだと奥の方しかなってないだろ?あんまり危ないことすんじゃないよ」
あはは、と笑ってこれも誤魔化す。
「入口の方だと、どうしても美味しいのは皆すぐ食べちゃうから。もっと欲しかったら、また持ってくるよ」
確かに山葡萄はあまり手前には生えないし、なんなら普段おれが歩くのは境界の泉に近いところだ。
だから兄さんも、おれの居場所の見当をつけやすい。泉の辺りは兄さんや父さんですら恐ろしさに震える時もあるらしいが、おれには気持ちいい綺麗な水源でしかない。
流石に泉を超えることはしないが。
「その生真面目さがちょっとでもあのバカ娘にあればねぇ」
二人で笑う。
クロエの特技は、寝坊とうっかりだ。
そんな風におばさんと喋りながら、冒険者たちの馬鹿話に付き合いながら、クロエを待っていた。
ちなみに酔った冒険者は足をかけたり頭を叩いたりしてくる。
酔ってなくてもしてくる。