バトルもの
ガコン、と自販機が音を立てて、缶コーヒーを吐き出す。それを手に取り、タブを開いて口につけると、甘みのない苦みだけが舌を刺激する。
コーヒーはそれほど好きじゃない。特に苦いのは嫌いだ。
だけど飲みたくなるときもあるのだ。
……まぁ、大体彼女に振られたときだけど。
「くそぉ……。俺だって、俺だってよぉ。美咲のこと大事だと思ってんだよ……」
仕事と私、どっちが大事なのよ! と青筋立てて怒り狂う彼女の姿を思い出しながら、大きく溜め息を吐く。
そりゃあ、記念日も誕生日もすっぽかしたら怒るのも無理はない。
でもさぁ……でもよ。
仕事がなきゃ金を稼げないわけで、稼げなければ彼女を養うことも出来ない。
結婚して子供が出来れば、なおさらお金は必要だし。
大事にしたい。だからこそ仕事を頑張ろう。そう自分を奮い立たせていたのに。
「はぁ~~~~~っ」再び溜め息を吐き、ふと尻ポケットのスマホが着信を響かせる。
うるっせぇなぁ。今は誰ともしゃべりたくないんだよ、と無視をしてても、鳴り続ける音楽。
――分かってる。こんな明朝に電話かけてくる相手なんて、一人しかいない。
気は乗らないもののスマホを耳に当てる。「……うぃ~。ただいま傷心中のため、電話に出ることは出来ませ~ん」
適当に口にすると『は? じゃあ、お前の肉体も切り刻んでやろうか?』電話口から絶対零度の声音が返ってきた。
あ~、怖いっ。
「すみませんでした~、切り刻むのだけは勘弁してくださ~い」
『……いつまでふざけるつもり? 首ちょんぱされたいわけ?』
「すいッませんッした! 真面目に聞きます! 仕事のご用件であらせられるので!?」
『はぁ……そうよね。お前が真面目だったときなんて見たこともなかったわ』
真面目に聞くと言ってるのに、それすら真面目じゃないと言われてしまった。何故だ。
『――そう、仕事よ。場所と対象者の情報はスマホに送ったわ。お前が近いし、一人でなんとかなさい』
「え、俺、一人なの?」
『出来るでしょ? それとも心細い? 私がついて行こうか?』
「いえいえ滅相もありません」
ちょっと早口になってしまったが、遠慮するの一択しかないだろう。電話越しならまだしも、実際会って一緒に仕事すれば、対象者共々巻き込まれかねないからな。
この“女”、真面目が取り柄のくせに仕事が大雑把すぎるんだよ。
「それでは現場に急行いたしますっ!“ボス”はいつも通り、タバコに見立てたチョコでも吸いながら任務遂行の報告を待っていて下され!」
『おい待て、あれはチョコじゃ――っ』ぶつり、と通話を切りスマホをポッケに戻す。みんな知ってますぜ、ボス。さすがに煙の出ない、唇に茶色い何かがついてれば、それがシガレットチョコであることを!
そしてボスが甘味大好き娘であることもな!
「クールぶりたいのは分かるけど、そういうところが可愛いよなぁ~、うちのボス。……さて、そろそろ本当に向かいますか!」
残っていたコーヒーの中身を煽り、ゴミ箱へ投げ入れる。
向かう先は隣町のとある高架下。
そこにいるであろう対象者――否、『バケモノ』を駆除するのが俺の仕事だ。
***
あぅあぅあぅあぅぁああああ嗚呼ああアァ!
有名な演歌歌手よりもよっぽど強いビブラートを利かせた声が轟く。
すでに同僚の優秀なサポーターが周辺の人々を避難させ、近寄れないように処理しているはずだ。
だから――ここにいるのは、俺と『バケモノ』だけ。
「うへぇ……。なんか首太いし長いし、胴体も白くてぶにょぶにょして……キモいな、お前」
俺の言葉を理解したわけじゃないだろうが、反応したように「あぅあぅ」奇声を上げる。
よく見たら、六本くらい短くて細い手足が胴体の横でバタついていた。
余計にキモい。
「今からお前、『白キモぶにゃ夫』な」
勝手に命名し、それから片手を前に突き出す。――と同時に、魔力の流れに気付いたのか『白キモぶにゃ夫』が体をうねうねさせ、そして縮こまったかと思えば。
「ぅおおっ!?」ものすごい勢いで飛び掛かってきた!
【白は灰、霞の炎、塵の如く舞い上がり、行く手を阻む障壁となれ!】
咄嗟に前方に灰色の炎で生み出した障壁を展開すれば、それに顔面から衝突した。
どうやら体をバネのようにして、突進して移動するようだ。見た目にそぐわぬ猪突猛進タイプか。
しかも思ったよりも威力があったのか、障壁の一部が割れてのっぺらとした頭がこちらをのぞき込む。
「あぅあぅあぅぅううあァアアア嗚呼あぅあ!」
「うひぃ、キモい!」
鳴き声をあげながら、のっぺらの顔が横に裂けたと思うと、やけに真っ赤な肉厚の長い舌がにょろりと出てきた。
あれが触手のように伸びてくるのかと思いきや、その舌を軸に魔法陣がいくつも錬成される。
「え。それってもしかしなくとも――」
「あ嗚呼ゥううう! アアアあああアアア吁亜アアアッ!!」
嫌な予感に後退る俺に、無情にも魔法陣は光り輝き――それは純粋な魔力の砲弾を放ってきたではないか!
「ひぇええええええええっ! 嘘やん! 猪突猛進タイプかと思いきや、遠距離攻撃も得意なんですねぇええええええ!」
慌てて踵を返して全速力で逃げる俺の後を追うように、砲弾は次々発射されて地面を抉る。
それくらい予測して動け! なめてかかるからそうなるんだ! とかこの場にボスがいたら怒られてそう。まぁ、その通りなんだけど。
不幸中の幸いは、追尾型じゃないことぐらいか。だけどいつまで経っても魔力砲弾が止まない。さすがに無尽蔵なわけないとは思うが。
「なんとか攻撃しねぇーと! 俺穴だらけになっちゃう!」
それはご免だと砲撃が着弾した直後に転進し――「へ、」目の前に『白キモぶにゃ夫』の顔面が視界いっぱい広がったこのときの恐怖心といったら、言葉に表わすのは難しいだろう。
「ふんぬぅっ!」なんとか強引に体をよじらせて横に転がるように避けると、ばくんっ! と軽快な音が耳元で聞こえた。
顔を上げれば、先ほどまで俺が立っていた地面の大部分が砲撃よりも広範囲に、更に深く、綺麗に抉り、切り取られていた。
じゃりじゃり、ごっくん。白キモぶにゃ夫が砂をかみ砕き、咀嚼する音が聞こえた。
そして、のっぺらとした顔がこちらを見る。
「あぅあぅあー!」
「いやもうお前怖いッ!」
再び一人と一匹の鬼ごっこが始まった。
「……一応様子見に来れば、あいつ何遊んでるわけ?」
サポーターの一人から「遊ばれてます」という報告を受けた“ボス”は、まぁいつも通りだなと思いつつも何となく彼の任務先に足を運んでいた。
少し離れたビルの上。白くてぶにゃぶにゃのバケモノと追いかけっこをしてる男――イチハラの姿を見下ろし、頭を抱えるように大きく溜め息を吐く。
「あー……そういえば電話越しの様子もおかしかったし、また彼女と別れたっぽかったわね。モチベ上がらないから、魔法に集中出来てないわけね」
馬鹿なの、本当に。
悪態を吐きつつも、仲間たちから“ボス”と呼ばれているその女――アヤメは、不意に左手を広げる。高速で魔法陣が描かれ、淡い光を放ったと思ったらそこには何故か“メガホン”が現れた。
それを顔の前に構え、大きく深呼吸すると。
「何してる、イチハラ―――――ッ! そんな雑魚、さっさと倒して飯食べに行くわよ―――――ッ! この私が奢ってあげるんだから、光栄に思いなさ――――――いッ!」
キーンッ、とハウリングが耳に障るがこれで大丈夫だろう。
あいつはメンタル面(特に女性関係)に弱いところがあるが、常に金欠である彼は奢られることに喜ぶ。
いや別に私が金払いが悪いわけじゃなくて、あいつが彼女に貢いじゃうのが問題なわけで。あと一緒にご飯食べたいからとかそんな理由もない、わけでもないわけじゃないわけで!
――ああもう! なんで自分に言い訳してるのよ私は!
アヤメが一人己の気持ちに葛藤してる中、一方のイチハラは彼女の目論見通りテンションが上がっていた。
「まじか! やった! 焼き肉がいいな! でもこんな時間に開いてる店ないか! お昼でもいいかな、いいよな!」
そうと決まれば早いとこ、こんな仕事終わらせないと。
ボスが気まぐれ起こして「やっぱ無し」とか言ってきたら俺はもうツラすぎて実家に帰るかもしれない。
「あぅぁあああ嗚呼ああぅアアア吁亜アアア亜あああッ!」
「――うん、悪いけど、お前に構ってやる時間はなくなったわ」
こっからは本気でいかせてもらう。
【踊れ踊れ赤き精霊たち、終焉の幕を下ろすは業火の宴!】
走りながら唱え、背後に迫り来る白キモぶにゃ夫を辛うじて避け、触るのを躊躇っていた体を両手で触れる。
見た目通り、ぶにゃぶにゃぶにょぶにょしてる。キモい。でも焼き肉を想えば……こんなモノ!
【小さき小さき星屑の海、瞬きの煌めきに焔の終焉を!】
バチッ。バチチチッ!
イチハラの手を中心に、白キモぶにゃ夫の体に直接魔法陣が刻まれる。
【消し炭になれ!―――爆炎葬送、宴舞ッ!!】
魔法陣のあちこちに光の柱が浮かび上がったのと同時に、白キモぶにゃ夫の体内で小さな爆発が断続的に引き起こされる。
「あぁァアアアアアアアアアアアア吁亜嗚呼アアアアアアああああああああ嗚呼アアア!!!?」
びくんびくんとのたうち回る前にイチハラは白キモぶにゃ夫から距離をとり、そして。
「あー、ちょっとやりすぎたかな? ごめん、恨むなよ?」
両手を合わせて謝罪した刹那―――白キモぶにゃ夫の爆発して弾けた体内から炎が噴き出し、それがバケモノの体を呑み込んでいく。
ビブラート強めな声は甲高い悲鳴に変わり、白かった皮膚は黒く焼け焦げて異臭を放つ。
それから暫くすると声は弱まり、その体は掌くらいの大きさに萎んで地面に転がっていた。
それを左足で踏めば、ぐちゃっと音を立てて白キモぶにゃ夫は完全に死んだようだ。
「よし終わったよし帰ろう。――おーい、ボス! いるんでしょー! 俺やったよー! さっきの言葉、今更取り消しとか言わないでねー!」
遠くで見ているであろうボスへ声をかければ、ごつん! と後頭部へ衝撃。慌てて振り返れば、いつの間にやらボスが拳片手に立っていた。
「うるさい。……一応事務所に戻ったら報告書作成して。あと始末書も」
「え、なんで始末書」
疑問に答えず、顎で示される。
見れば、地面には大小様々な穴が空いていた。
「あれ、全部自分で埋め立てろ。それが終わったら飯に行くわよ」
「え! あれ全部!? 俺一人で!?」
「自分の不始末は自分で尻拭く。いつも言ってるでしょ」
ちょっとだけ手伝ってよぉ~! と泣き縋るイチハラを振り払い、アヤメは小さく笑みを携えて一足先に事務所へと帰っていった。