2-4 レイスの申告
夜風に乗って虫の声が聞こえてくる。
薪がパチリと爆ぜ、火の粉が飛び散った。それを見ていた隊長は、背後から近付く気配に
「どうした」
と声をかける。
2つめの遺跡で神の加護を得て、もうすぐ3つめの遺跡に着くところである。猛獣が出るといわれる平原で夜を越すことになり、隊長が一人で火の番をしていた。
他の皆は寝静まっているはずだったが、1人が起きてきて隊長の後ろに立った。
「あ、あの……わたし、話しておかないといけないことが……」
レイスは緊張した声音で言う。
「ノーシュさんのことで……」
その言葉に、隊長は目を瞬かせた。ノーシュを追放してから10日以上も経っている。今更、何を言い出すのだろう。
「……」
「……」
隊長は無言で続きを待っていたが、話してくれない。
「続きを頼む」
と言うと、ようやくレイスは話し始めた。
「あの、ノーシュさんは止まろうとしてました。止まり切れずに石板にぶつかってしまっただけで、力を独り占めする気なんて無かったと思うんです」
「……それは、レイスにはそう見えたというだけではないか?」
そもそも、石板のもとへ一人で走って行ってしまうことからして変だ。独占する気だったとしか思えない。そう考えていると、レイスは首を振った。
「えっと、ノーシュさんは……教会に集合した時も、駆け込んで椅子にぶつかっていました。……だから、その……」
「ノーシュが力を独占したのはただの事故で、故意ではなかった、と」
「はい……」
「……何故、今になってそんな話を?」
「えっと……言わなきゃって思ってたんですけど……誰に話せば良いのか……あんな別れ方をして、信じてもらえないかもって……それに……誰かと2人きりになる機会も無くて……」
レイスは今にも泣きそうな顔で言葉を紡いでいる。隊長は頭を抱えた。
「そうか……すまない、俺がもっと早く気付いてやるべきだったな」
「いえ……」
「その話、俺は信じよう。他の皆が信じるかは分からないが……機会があれば、話してみようと思う」
「……はい」
レイスは安心したように言って、寝袋の中へ戻っていった。
(……やはり俺は、隊長の器ではないな)
溜息が出た。
追放を決めたのは早計だったのだろう。ノーシュの言い分も聞くべきだった。
ノーシュを追放してから数日、ジャンとフィリーは毎日のように「あの自分勝手な抜け駆け野郎め」などと言っていた。アレアも怒っているようだった。
完全に「ノーシュは悪人」という空気が出来上がっており、それに呑まれていた。故意ではなかった可能性など考えもしなかった。
レイスの様子にも気付かずに。
(俺が追放を決めたからこそ、そういう空気になったのかもしれない。あの時点で話し合っていれば良かったのだろうな……)
今更「ノーシュは抜け駆け野郎じゃなかった」と説明したところで、ノーシュを隊に引き戻せる訳ではない。しかし、彼の名誉のために話しておくべきだと思った。
(あの時、すぐに追いかけていれば)
寝袋の中で、レイスは考える。
(追いついて、引き止めることが出来れば……こんな風にはならなかったかもしれません)
皆、ノーシュを悪人だと思っている。邪神討伐隊を騙して利用して神の加護を独占した裏切り者だと思っている。ただの誤解なのに。
うっかりぶつかった様子を見ていなければ、そう思っても仕方がない状況だった。それは間違いない。だが、誤解だと言おうとしていたノーシュを遮ったのは頂けない。
(……何も言えなかったわたしも同罪ですけど)
どうしても、多人数を相手に話すのが怖いのだ。1人を相手に話すのにも勇気が要る。2人を相手に話すのは、どうにか少し声が出る程度。聞いている人が3人以上だと、喉の奥に引っかかったように声が出ない。
(前はもっと、普通に話せていたはずなんですけど……)
溜息を吐き、小さい頃に思いを馳せる。
歴史ある商家の一人娘。深窓の令嬢。それがレイスだった。
だが、商家なのは表向き。
実際は、連綿と続く暗殺者の家系である。
代々受け継がれて来た、魔力で鞭を操る秘術。レイスも幼い頃からその訓練を受け、ほとんど外に出ることは無かった。
同年代の友達もおらず、話し相手は親と使用人のみ。
そんな生活を続けて12歳になったある日、縁談が舞い込んだ。相手は20も年上の、貴族の放蕩息子。怪訝に思っていると、父は「殺してこい」と言った。
初めて仕事を任されたのだ。
レイスは何食わぬ顔で標的と喋り、また会う約束をして別れた。帰るふりをして標的の後をつけ、路地に入ったところで絞殺。標的は、声を上げることも出来ずに息絶えた。
家に帰り父に報告すると、褒められた。また仕事を振ると言ってくれた。
次の仕事は、偶然を装って標的と街でぶつかり懇意になる必要があった。そうして路地に誘い込み、殺すのだ。
前回の標的は頻繁に路地を歩いていたので、誘い込む必要が無かった。だがそれはレアケース。大抵は、誰にも見られないように標的と2人で路地に入る必要がある。殺すことよりも、そちらの方が難しい。
レイスはぺらぺらとよく喋り、標的に全く警戒されぬまま路地に入った。
ぴたりと立ち止まったレイスに、標的は声をかける。「どうしたんだい?」その直後、標的の首に鞭が巻き付いた。
レイスは、標的の愕然とした顔を、無表情で見つめていた。
その後も、何度も同様に仕事をした。
標的と喋るのは楽しかった。他人と話す機会など、それくらいしか無かったから。
ある時、複数人を同時に暗殺する仕事が入った。20歳くらいの、3人の男。
いつも通り喋って仲良くなり、路地へと入っていく。そう、いつも通りのはずだった。
標的の1人が言う。「レイスちゃん、顔色悪いけど、どうした?」
レイスは気付いていなかった。その心に、怯えが宿るようになっていたのを。喋って仲良くなった相手を毎回殺していることが、だんだん辛くなっていたのを。
仕事だから、やらなければ。話しかけてきた標的の首を真っ先に絞めて気絶させ、他2人に逃げられる前に鞭で縛り上げ、補助として隠し持っていた短剣で首を斬った。
先に気絶させていた標的にもトドメを刺すべく短剣を動かした時、標的が目を覚ました。レイスは、標的の首に短剣を押し当てたまま、動けなくなった。
標的の瞳が、憐れむように揺れていて。「ドレス、汚しちゃってごめんな」などと言ってきて。
動けないレイスの手を、標的は優しく握り、力を込めた。
大輪の華が咲いたような、赤い飛沫。
それを浴びながら、レイスはしばらく呆然としていた。誰かが路地に近付いてくる気配を感じてようやく我に返り、誰にも見られないルートで帰宅。大きく息を吐く。
忘れろ。そう何度も自分に言い聞かせた。
だが、時間が経っても、その時のことが頭にこびりついて離れなかった。
次の仕事の標的も、3人だった。
いつも通りに話しかけようとしたが、前回のことが脳裏に過ぎる。途端に、声が出なくなった。
震えるだけのレイスを一瞥し、標的は去って行った。
仕事が出来ずに帰って来たレイスを、父は叱った。レイスは主張する。「相手が1人なら、まだやれます」
父は、仕方ないとばかりに嘆息した。
(やっぱり、原因は……)
レイスは寝袋の端を握りしめた。
他人と話すこと。標的を殺すこと。この2つが強烈に結びついていて、それが普通に喋れない原因になっている。
喋ると、標的に見えてしまうのだ。違うのに。殺さなくて良いのに。
すぐに慣れると思っていたが、無理だった。
このままずっと、まともに話せないままなのだろうか。
考えていたレイスは、いつの間にか眠りに落ちていた。




