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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

キラメキサラギ

作者: 兼沢ほろろ


「かっけえなあ、如月纏……」


 深夜一時、とあるマンションの一室で、二つのモニタを見ながら猛烈な速度で静音式のキーボードを叩き、マウスの左を打ち据える一人のジャージ姿の女性が存在していた。

 一つのモニタには、【提出期限明朝五時】と刻み付けるようなフォントで書かれた付箋が貼られ、液晶の中にはビッシリと文字の羅列が滝を流れる洪水のように躍っていた。

 もう一つのモニタには、流麗なる白い衣装に身を包んだわずかに少女の面影を残す女性が、その空間すらも己の一部であるかのように力強く歌を歌いこなす映像が流れていた。


「如月纏も頑張ってるんだろうし、私も頑張らないとなあ……」

 女性がそう言って椅子から立ち上がり、一つ欠伸をして背を伸ばすと、よく冷えている栄養ドリンクを取りに行くため、冷蔵庫に向かおうとした次の瞬間――


 ――ピンポン、ピンポン。

 ――入れてよぉ~、入れてよぉ~……ユカちゃん、ユカ神様、入れてよぉ~……


 機械的なチャイム音の後に発せられた、二台目のモニタから流れる声と酷似した極めて間抜け極まるその声に、深くため息をついた女性は、たった一本の栄養ドリンクを取りに行く隙に近所に変な噂が流れる前に、入り口の前にしがみつく生物を回収しに行った。


「いやあ~疲れた疲れた~マジでよ~あのメンバーがよ~」

 まさしくモニタから飛び出してきたかのような美声と風貌をそのままに、ポニーテールにした赤色の髪、トレンチコートの首元から襟付きシャツを覗かせるその女性――如月纏(きさらぎまとい)は、出迎えた女性がリビングに戻るよりも速く冷蔵庫に向かい、ストックされていた麦茶をまるで滝壷を思わせるかのような勢いで飲み始めた。

 季節は夏の暮れを瞬く間に飛び越して肌寒さが増してきた頃であるものの、額からはじっとりと汗が滲み、大規模な運動の後でもしてきたかのような表情を浮かべながら茶を飲み続ける纏であった。


「んで? そのメンバーが何してきたの」

 纏が開け放しにした冷蔵庫からよく冷えた栄養ドリンクを抜き取り、電気代が暴走する前に急いで閉めたユカ――呉林結華(くればやしゆか)は、緩めたフタを弾き飛ばしながらドリンクに口をつけた。

 乾いた喉にドギツい甘味と炭酸が染み渡り、フハッとため息を吐き出させた。


「もうそれがねえ、完璧のメンバーだったんだよ! あれほど収録がドッ早く終わったのは今までにないね!」

 それでもテッペン回っちゃってるんだけど――と付け加えながら、纏は大容量のコップに注いだ茶を飲み干したのであった。

 だいぶ長くPVの収録を行っていたのであろうか、わずかにその声はかすれ、一刻も早く喉を潤したいと全身で発しているかのような様子であった。



 今をときめく絶世のシンガーソングライターである纏と、書籍の印税で糊口を凌ぐ二流インターネットライターの結華が出会ったのは、既に外部に如月纏の名が売れ始めていた三年前――大学の構内であった。


 売れ始め特有のスランプに陥っていた纏に、音楽のことなどちっとも理解していなかった結華が少しばかりのアイデアとそれっぽい歌詞を提供したところ、あっという間に纏は結華の家に住み着くようになり、大学を卒業し結華が生活圏を変えるため引っ越してもなお、纏が結華の家を拠点にしているのは変わらなかった。


 しかし、三年も経てば纏の書く歌詞や歌声も洗練され、曲調は先鋭、衣装にも革新的なチョイスが施されるようになり、要素が積み重なった相乗効果というもので視覚と聴覚を同時に響かせるような曲となり、まさしく売れっ子と言っても過言ではない状態となっていた。


 三年の間に、己の家よりテレビやインターネットメディア、PVを公開している動画サイトなどでその顔を見る時間が増え、それに比例するかのように、家賃と称して己の口座に投じられる纏の月収の一割が着々と増え続けていること――それこそが、結華の悩みの種であった。


 家賃を貰い続けてもなお、以前結華が見せてもらった纏の預金通帳に入っていた額は己の貯金を三桁ほど上回っており、今すぐにでもこのまがりなりにもオートロックだけはあるマンションの一室から飛び出し、セキュリティ付きの豪邸や海外に移住することなど造作もない金額を、纏は所持していた。

 それはすなわち、纏はいつでも結華の元を離れられる――ということを明確に示していた。

 まあまあ売れる二流ライターのところよりも、もっと相応しい場所があるんじゃあないのか――というような思いを、結華は感じ始めていた。



 だから、

「しかしまあ、終わってみればなんとやら――というやつで、別の曲までアイツらと会えないのはちょっと寂しさがあるなあ……」

 極めて呑気にワイシャツ姿でソファでくつろぐその体を引っ掴み、カーペットの上に引きずり倒し青天井ならぬ白天井を拝ませるというような行いを、三ヶ月に一回ほどの――これでもだいぶ我慢している――間隔で結華がやってしまうのも、しようのないことであった。


「お、寂しくなっちゃったかあ? ごめんなあ、最近帰れてなかったからなあ」

 未だ二台目のモニタから流れ続ける声と全くもって変わらない余裕たっぷりのその声が結華の耳から脳に至るまでを一瞬で支配し、仄暗いドブ底のような心をブンブンと揺り動かし、脊髄反射的な行動を引き起こさせた。


「痛ッッッた!!! 顔はやめて、顔は! 明日ラジオだから別にいいけど、やるなら顔以外にして!!!」

 右頬に引っかき傷特有の赤いラインを浮かべながらも、明日のラジオとかいう己に一切合切関わりのないものに言及した纏に、誅罰と言わんばかりにさらに二本の引っかき傷を追加した結華であった。


「……あー、まあこれで、猫に引っかかれた――って言い訳が立つな、ウン……」

 その整った顔を強くしかめながらひりつく右頬をさすった纏は、ぎらつく双眸でフウ、フウとまるで本当の獣のように呻きながら己を縛る結華の腹に、引っかかれたお返しとばかりに一発膝を打ち込み、ゆるりとひっくり返して拘束から脱したのであった。

 おそらくすきっ腹で作業していたところに打ち込んだ一発が効いたのか、あるいは雑多に蹴り飛ばされたからか、結華はカーペットの上にうずくまると、年甲斐にもなく強く泣き出してしまった。


「泣くだけじゃなんにもわからんっての~なんかあるんでしょ?」

 軽い暴力を振るった後に泣き出す――というのは、本当に感情が追い込まれた時の結華の常套手段であることを本人よりも熟知している纏は、どうせ今回も何かあるのだろう、という冷静な判断を下し、複雑に絡み絡まった感情の糸を解きほぐすところから開始した。



「――纏がどっか行っちゃうかもしれないって考えてたら、メチャクチャ怖くなって」

 まるで少女のようにぐずる結華の言葉を聞いた纏は、目を見開き、今更になって言うはずのない言葉を結華が言ったことに、心底驚愕している表情を見せた。

 その由来は二日前にあった御用雑誌の根も葉もない「如月纏、海外移住!?」と動画サイトのサムネイルめいて書かれていた見出しであろう――と一瞬で結び付けた纏は、合法的に奴らを滅ぼす手段はないものかと思案し始めた。


「あんなクソ週刊誌の噂なんか信じるな――って、いつも私に言ってたじゃん! どうしたの今回は!?」

 纏が大学を卒業し、本格的に活動を開始した頃、大学を出たばかりの女性シンガーソングライターという物珍しさからか、雑誌メディアの標的となっていた時期があった。

 その際にも結華は「本当のファンはそのような雑音を気にしない」という助言を行い、今や押しも押されぬ如月纏の土台を作り上げたのであった。

 そのような経験が他にも大量にあるからこそ、舞い上がっている己を諫めるご意見番めいた存在として、纏は結華を見ていたのであった。


「だって、だって、纏ってばいっぱいお金持ってて、こんな小さいところなんか飛び出して、私のところから離れて、どこにでも行けるんじゃないかって……」

「は?」

 

 結華が情けなく頼りない声でそう言った直後。

 纏は強い力でジャージの首元を掴み、目と目がくっつかんばかりの距離まで結華の顔を引き寄せた。


「――今更になって、そういうこと言うか? なあ?」

 元来目力の強い纏が、さらに切れ味を増した眼で己を睨みつけているとなれば、結華の目より流れる涙もその勢いを失うのが当然であった。

 強制的に結華を泣き止ませた纏は、ジャージから手を放し、ゆっくりと子供に歌い聞かせるように、言葉を紡ぎ始めた。


「ヒトってのはさ、絶対に戻るべき場所が必要なワケよ。実家、自宅、ホテル、ネカフェ、どこでもいいけど、必ず戻るべき場所があるの。私の戻るべき場所は、ウン千万かけるような奴が住む豪邸でも、無法地帯の海外でもない、結華がいる場所なんだよ。結華がいない場所なんて、私にとっては何の意味もないんだよ」


 臆面もなくそう言い放った纏は、フウ――とため息をつくと、ソファに放り投げていたコートの内ポケットを漁り、

「この前さあ、スポンサーからチケット貰ったんだよ。明日午前で収録終わりの半ドンだし、午後から行こうよ。ちょっと疲れ気味みたいだしさ、お互いに」

 取り出したのは、よれよれになったカラオケ店の半額チケット二枚であった。


 ◆◆


「すげー久々だなあ、カラオケ」

「機械に頼らんでも、歌う機会なんていくらでもあるからでしょ」

「ごもっとも」


 二時間ほど提出期限を破りながらもなんとか原稿を提出した結華と、月三回ほど放送されるインターネットラジオの収録を終えてきた纏は、結華の自宅近くに存在するカラオケ店まで足を運んでいた。


 本物の歌手として活動している以上当然であるが、纏が歌う曲は結華とカラオケマシーンだけが聞けるカバー曲と言っても過言ではないものであり、他の誰が聞くこともできないものであった。

 喉慣らしと称して三曲ほど通しで歌った纏は、寝不足故昼食は軽めに取ってきたのであろう結華のポテトフライを食べ続ける手が止んだのを見計らうと、瞬く間に油で汚れていない方の手にマイクを持たせ、検索機に己の名前を打ち込み始めた。


「ちょっと!?」

「この前出した新曲、多分入ってるとは思うんだけど……」

「いやいやいや、無理だって! 歌えないって!」

「なんだよも~、今の今まで歌い合わせしてたじゃんかよ~」


 世間で売れっ子と呼ばれるようになってからも、纏は新曲を収録する直前には、必ず防音の効いた結華の家で歌い合わせをしていた。

 その行為こそが、取るに足らない一般人・如月纏から歌手・如月纏に切り替わるために必要なルーチンであり、毎回欠かすことはなかったのだが――

 

「――って、そうか。この曲歌い合わせしてなかったんだ」

 今度の新曲に関しては、結華が外部での打ち合わせ中に纏が一人でこっそりと歌い合わせを行ったものであったため、実際の発売まで結華は歌詞を知らなかったというものであった。


「まままま、歌詞なんて下に出てくるし大丈夫でしょ!」

 そう言って、強引にスタートさせた纏であった。


 不服そうな表情を浮かべながらも、まるで当然と言わんばかりに纏の歌を歌いこなしていた結華であったが、Bメロ終わりのサビに入ったところで、急に纏は流れていた曲を一時停止してしまった。


「ちょっと、何すんの」

「ここの歌詞さあ、どっかで見覚えない?」

 意に介すことなくそう言った纏に対し、歌っている最中の揚がった頭をフルに駆動させながら、結華は記憶の糸を手繰り寄せ始めた。


「言ってもわかんないだろーから、持ってきた」

 纏はバッグから一枚のファイルを取り出し、結華に見せつけた。

 その中に入っていたのは、


「うわ、ずいぶん古いの持ち出してきたな……」

 それは、呉林結華が大学時代に文芸コンテストで出した、後日纏のためだけにサインを施したコピー紙製のペーパーバックであった。

 どれだけ少なく見積もっても版行から五年以上は経過しているものであったが、纏の保存状態が良好だったからであろうか、著しい経年劣化は見られなかった。


「このサビ……本のタイトルと同じじゃん」

「同じだねえ」

 にこやかに微笑む纏に気圧されそうになりながらも、結華は次の言葉を口にした。

「パクったの?」

「リスペクトって言ってよ」

「モロのパクリはリスペクトって言わないよ!!! 恥ずかしいわこんなん!!!」


「まあまあ、五年前の文芸コンで出たコピー本なんて誰も持ってないだろうし、それを九城本枝と結びつける人なんて絶対にいないから大丈夫だって」

 自信満々に己のペンネームを話題に出した纏に対し、ため息をつくばかりの結華であった。


「――だからさ、今更離れるなんて、絶対に言わないでよ」

「……何か言った?」

 纏が小声で喋った言葉を聞き逃した結華は、もう一度言うように催促した。


「なんでもない、なんでもないよ」

 そう言って笑う纏の顔は、学生時代と何ら変わらないものであった。


 ◆◆


『纏さん、どうしたんですか? その頬の傷』

『これですか? 久しぶりに自宅に帰ったら、デカい飼い猫に抗議を受けてしまいまして』

『へえ~、大変ですねえ』

『普段はいい娘なんですよ、本当に。最近新曲の収録でなかなか家に帰れてなかったもので。というわけで、デビュー五周年の新曲、みんな買ってね~』

『ちょっと~、CM入ってないのに宣伝しないでくださいよ~』


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