39話 亜美と里緒菜のお疲れモード
あれから以降、目だったストーカー事件は発生していない。
だから亜美には先日のストーカー騒ぎのことも言っていない。
亜美に妙な精神的不安を与えたくなかった。
とにかく引退コンサートへ向けて集中してもらうことが大事だ。
「レッスン順調に進んでる?」
「ええ……レッスンは厳しいけど、何とか頑張ってる。引退コンサートだもの。頑張らないと」
そう言って亜美は玲に微笑みかける。
「引退コンサートのことが決まってからマスコミがしつこく質問してこないの。だから助かってる」
そこは芸能プロダクションのほうで上手く交渉してくれているのだろう。
とにかく亜美がレッスンに集中できる環境を整えることができて良かった。
コーヒーメーカーでコーヒーをいれ、ダイニングテーブルの椅子に座っている亜美にコーヒーを差し出す。
亜美は嬉しそうにコーヒーカップを持ち、一口だけコーヒーを飲む。
落ち着いている亜美の態度を見て、玲は安堵する。
口ではレッスンが厳しいと言っているが、レッスンを楽しんでいるようだ。
里緒菜が扉を開けて顔を出す。
そして玲の部屋へ入ってきて、亜美の隣の椅子に座る。
里緒菜のほうがレッスンでバテているようだ。
「玲……私にコーヒーいれて……どうして一番厳しいレッスンを受けてる亜美が元気なのよ」
里緒菜は机に突っ伏すようにして顔を横に向ける。
玲は何も言わずに里緒菜の前にコーヒーカップを置く。
「だって……私にとって最後の舞台だもん……後悔しないようにレッスンしなきゃ」
亜美は一口コーヒーを飲んで自らの思いを呟く。
引退コンサートは亜美にとって最後の舞台だ。
失敗して後悔などしたくないのだろう。
玲としては無理なレッスンをしてほしくないが、それよりも後悔してほしくない。
だから亜美を止められない。
亜美もそのことがわかっているように玲に向かって微笑む。
「あーあ……私も彼氏作っておけばよかったな……2人を見てるとなんだかモヤモヤする」
「ラルスなんてどうだい? 超イケメンだし……古竜だし……魔法も使えてお得だと思うぞ」
「そうね……確かに顔は超イケメンだし……お金にも困らなそうだし……一緒にいても飽きなさそう」
里緒菜はそう言って、コーヒーを飲んでニッコリと笑う。
本気なのか、冗談なのかわからない。
いつもの元気で明るい里緒菜の笑顔だ。
「でもラルスって今『スピーカーJacks』のメンバーの中で狙っている女の子達が多いのよね。本人は自覚してないけど」
「顔があれだけ超イケメンだからな……多少、性格が変でもモテるだろうな」
「そういうこと」
ラルスは今では芸能プロダクションの上司や幹部連中とも仲良くなっており、何かと重宝されているらしい。
『スピーカーJacks』のメンバーもラルスに懐いているので関係は良好だという。
もし意見の食い違いなどがあったとしても、認識変更の魔法を使えば、話は上手く進む。
ダイニングの扉を開けてネルと瑠香が部屋へ入ってきた。
そして2人の疲れた様子を見て、心配そうな表情をする。
「今日は2人共、疲れてるんだよ。このままリラックスしていれば大丈夫だと思うよ」
「わかったわ……玲兄ちゃん、私……皆の夕飯を作るよ。皆……ハンバーグでいいでしょう」
「助かるよ。瑠香……俺はあまり料理が上手くないから、どうしようか迷っていたんだ」
「任せて……私、今から料理の下準備してくる」
そう言ってダイニングの扉を閉めて、瑠香は実家のキッチンへ向かった。
瑠香の手料理は美味い。
ハンバーグは玲の大好物でもある。
今日の夕飯が楽しみだ。
ネルが近寄ってきて、玲に紙の袋を2つくれる。
その中には赤い粉上の粉末が入っている。
「これを飲めば、疲れも取れるし、元気になるから……亜美ママも里緒菜ちゃんも飲んで」
可愛いネルから頼まれると2人とも嫌とは言えない。
玲も水がはいったコップを2つ用意して、亜美と里緒菜の前に置く。
2人はネルからもらった紙袋を口にあてて、中の粉末を飲む。
すると亜美と里緒菜の体がほんのりと輝き始める。
「あれ? 今までの疲れが一瞬でなくなったよ……筋肉痛もなくなった」
「私も……里緒菜と一緒。体の痛い部分が消えちゃった。ネル、一体何を飲ませたの?」
「私のウロコを少しだけ削った粉……体を元気にする作用があるんだよ」
そういえば竜のウロコを粉にして飲むと、どんな傷も治るんだった。
すっかり忘れていた。
疲れている亜美と里緒菜のために、ネルが自分のウロコを粉にしたのだろう。
「これで夜のレッスンも頑張って受けられるわ……ありがとう……ネル」
「私も元気いっぱいになったわ……これで夕飯を食べれば、きついレッスンも大丈夫よ」
亜美と里緒菜の2人がネルを見て嬉しそうに微笑む。
ネルは亜美の近くへ行って、亜美の膝の上に顔を乗せて甘える。
亜美は優しい眼差しになり、ネルの髪を丁寧になでる。
「私も瑠香お姉ちゃんの料理の手伝いをしてくる。ネルも料理が上手くなったんだよ」
そう言ってネルはダイニング扉を開けて瑠香の手伝いに行こうとする。
亜美と里緒菜は笑顔で、ネルに手を振った。
ネルも笑顔で手を振って扉を閉める。
「ネルも瑠香ちゃんも応援してくれてるし……レッスンは厳しいけど頑張らないとね」
「亜美の最後のコンサートだし、私も頑張るよ」
亜美と里緒菜は瑠香とネルのおかげで元気を取り戻した。




