否定するミトコンドリア
思うに、大切に積み上げられた物が崩れ落ちるのを見るのは、実に気分がいい。
ボロボロ溢れていくジェンガと、歪む綾乃の表情を眺めながらそう思った。わっはっは。
「……先輩、ちょっといいですか」
時計を見るに、もうじきお帰りくださいのチャイムが鳴る時間だったけど、まぁ、付き合ってやろう。今日の僕は気分がいいからね!
「はいはい、なんですか?」
「私今日、イライラしてるので、先輩の全てを否定しますね」
「簡単に言うなよ……」
ジェンガに破れた程度でお前僕の全てを……いや、そういえばさっきトランプタワーも崩したっけ。雑誌読んでる途中に肩突いてちょっかいかけたりもしたなぁ。喉乾いたからいちごミルク買いに走らせたけど、まぁ、それらは関係ないよね……
机に散らばったジェンガを片付けながら綾乃をちらっと見る。
確かに、なんかイライラしてる。むすっと膨れっ面だし、姿勢もどことなくだらしない。普段だらだらしてるときは、なんだかんだ、ぴしゃっとしてるのに。今はバギッて感じだ。
「じゃあさ、話題変わるんだけどこないだ」
「いいえ変わりません。話題はこのままです」
「自己言及のパラドックスが起こるけど大丈夫?」
「先輩の言うことは全部間違っているので、問題ありません」
……ふーん、そういうこと言うんだ。
「――2+2は4だと思うんだけど、綾乃はどう思う?」
「5です。ビッグブラザーもそう言っていました」
「石油が百年後に枯渇するのが心配なんだよね」
「ありえません。ロシアの学説によれば石油の原材料は化石ではなくマグマですから」
「資本主義ばんざい!」
「万国の労働者は団結すべきですね」
………………なるほどなるほど。
遊びがいがあるなぁ!!
「第一、先輩という人間の間違い具合は度を越しています。はっきり言って異常です」
「具体的にはどのあたりが?」
「私の愛を受け入れない一点に尽きますね」
じゃあ正しさの極みじゃん。
「あれあれ、綾乃は僕のこと好きなの?」
「今日の先輩はいじわるなので嫌いです」
「尽くすからさぁ、見捨てないでほしいな」
「…………ふ、ふん! 振られる直前の重たい女を演じても無駄ですよ!」
「ちょちょ、こん! 君可愛いねどこ住み? 趣味は? てかラインやってる?」
「軽い男ならイケるわけではないのです!!」
乙女心は複雑だなぁ。
そんなこんな何者かを演じている合間に終わりを告げるチャイムが鳴った。
窓の外を見ても本日は曇り、早めに帰らないと雨が降りそうな空模様だった。
「んじゃま、帰ろっか」
「帰りません。帰りたくありません」
「じゃあ、もうちょっと話す?」
「先輩と話すことなどありはしないのです」
「……黙ってエッチなこと、する?」
「しますぅ!!!!」
食いつきのいい鯵でも、もうちょっと慎重に事を運ぶぞ。
「僕の言うことはなんでも否定するんじゃなかったの?」
「先輩!!」
「なに」
「時と!! 場合によります!!!!」
デカい声で高らかに叫ぶことじゃないんだよ。
先程までのむすぅっとローテンションだった綾乃も、今となっては見る影もない。意気揚々と部屋の鍵を締め、遮光カーテンで斜陽をシャットアウトし、パイプ椅子を二つ隣に並べ、欲望と催眠音声を垂れ流している。
やはり人間には理性が必要なんだなぁ……と実感しながら、自分の理性を確認する。
いま、すると、顧問の梅沢先生が、来る。
……いや、しないけどね? エッチなのはよくないと思います。
「ほら、帰るよ」
「やーだ! や! 先輩の全てが欲しいのー!!」
「子供の頃の成功体験を引きずるのはやめな!」
「あーもう、いいですよ。いいですもん。どうせ私には魅力なんてないですよ。どうせ……」
「別にそこまでは」
「いえダメダメです私は。趣味も特別ないし、部活もやってないし、成績はいいですけど、顔は……可愛い方だとよく言われますね。性格だって明るく元気だと通信簿に花丸もらいましたし……先輩」
「なにさ」
「私、全然ダメダメじゃないかもしれません! 完璧でした!!」
自己治癒能力が高すぎるだろ。
「あぁ、なんだかほとばしる自己肯定感を先輩にも分け与えてあげたくなりますね。先輩、常日頃から自分のことを嫌っていそうな雰囲気醸し出してますから」
「えぇい、分かったような口をきくな、きくな」
「いーえ、私には分かります。先輩は、自分を有史上稀に見るレベルのカスっぱ、光合成が出来ないミトコンドリア及び0年代前半の横浜だと思っているはずです」
「そこまでは!」
「認めましょう、先輩! まずは、認めることから始まるんです。大丈夫です、先輩のチーム打率が2割切ってても、私は受け止めます。否定せず、自分の愚かさを認識してください」
綾乃がうるさく促すものだから、僕はつい、自分自身について客観的に考え始める。
……あー、気持ち悪くなってきた。吐きそう。
曇り空がなおさら嘔吐感を加速させる。偏頭痛持ちなの。僕が人間として劣っている証拠だ。
……大体、趣味が乙女ゲーとふたばの荒らしって時点で、もう『負け』なんだよね。外面だけでもよくしようと取り繕って笑う割に、慣れてないから薄っぺらくなるし。『湊さんって、初対面のときはよく喋ってたけど、最近はそうでもないよね』って。だって、話すことないじゃん。別にそんな他人に興味ないし? むしろお前らよくそんなどうでもいいことベラベラ笑って話してられるよな! ハッ、お笑いですな。『将来の進路がさぁ』知るかよ、どんな悪路選んでも百年後には全員死んでるよ。『ミナミちゃんって、裏で悪口言ってるらしいよ?』知らねーよ、言わせとけ。『湊さん、今月の生徒会新聞、出てなくない?』ごめんなさい、ごめんなさい……あぁ、やっぱり僕はどうしようもないんだ。反出生主義の理論的正しさを証明するのに僕一人いれば事足りてしまう程度には、生きている価値がない。
僕は、泣いていた。気づけばぼろぼろと涙を零し、己のベイスターズ加減を悔いていた。
「僕……光合成も出来ない人間だった……」
膝から崩れ落ち、おぃおぃと泣く。
けれども。
そんな僕に、綾乃はそっと手を差し伸ばす。
「……心配しないでください先輩。光合成は、大多数の人類には不可能です」
「でも……ミトコンドリアにだって出来るんだよ!?」
「ミトコンドリアにはミトコンドリアの得意なことがあるんです。それでいいじゃないですか」
「ぐすん……じゃあ、じゃあ僕には何が出来るの?」
「とりあえず、脱いでください。脱がない先輩に、価値はありませんから」
綾乃はにっこりと微笑む。僕の全てを包み込むようギュッと抱きしめて、ついでに胸も揉む。
「3200円くらいの価値はありますよ。この柔らかさには……」
「綾乃……綾乃ぉ!!」
僕が彼女に抱きつき、ついでに綾乃の胸を揉む。
そんな僕の手を、彼女はゆっくりとぺしぺし叩く。
「呼吸の仕方も忘れさせてあげます。私がいないと、息もできないようにしてあげますから……」
――そのとき、生徒会室の扉がガラッと開く。
……説明する必要、ある?
「おーい、鍵なんて閉めてなにやってんだ。早く帰……」
顧問の梅沢先生が目撃した光景といえば、まぁ、完全に閉め切られ真っ暗な室内で、なぜか流れる催眠音声に、泣きながら後輩の胸を揉む生徒会長と、その生徒会長を恍惚の笑みのままついでに胸を揉む後輩って感じの、まぁ、なんていうか、エッチだよね。
どちゃくそ叱られた。梅沢先生にありとあらゆる全てを否定され、僕は泣く。泣いた。




