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間違いヤンデレ  作者: 石山 雄規
序章 十月のショート・ショートケーキ
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赤ちゃん人間

 生徒会室の扉を開けると、ショッキングな光景が広がっていた。


 最初に目に飛び込んでくるのは、血――真っ赤でどす黒い、血だ。

 量は大したことない。血溜まりってわけじゃないけど、ぽたぽた机から滴っている。


 次に僕の視神経と心を撃ち抜いたのは、やはり血の滴る先にある、一冊の本。

 タイトルは……『意中の相手に盛るべき100の媚薬』か……


 ……見なかったことにしよう。


 で、最後に思いだしたように、倒れている綾乃。後頭部から血が出ている。


 ふーん…………


 …………………いやさ、血を見ると、パニックになるの、僕。


 助けなきゃ!!


「あ、綾乃! だ、大丈夫?」


 駆けつけて綾乃の名前を呼び続ける。確か、動かしちゃいけないんだ。頭部の傷だし、脳震とう等の危ない症状かもしれない。冷やす? 温める? 待てその前に救急車を……先生も呼ばなきゃ。大声出して他の生徒の助けも借りて――嫌だ、やだ、やだぁ!!


 やだよぉ、綾乃ぉ……こんなのって。


 と、そのときだった。

 綾乃がピクッと反応した。したかと思えば、バッと勢いよく体を起こす。


「綾乃……綾乃! 大丈夫? 怪我して……るよね。あ、動いちゃダメだよ? じっとしててね。いま救急車呼ぶから。それまで体を横にしてじっと…………綾乃? 大丈夫?」


「バブー、バブー!!」


「大丈夫じゃない!!!!」


   *


「一時的な記憶喪失……幼児退行してますな。まぁ、二三日もすれば治ります」


 病院で診てもらい様々な検査をしたところ、脳に別状はあまりなかった。精々あらゆる記憶を失い笑う胎児の夢を見ている程度であった。ヤブ医者が、いつか火ぃ点けてやる。


 連れて帰るわけにもいかない。なにか見落としがあったらそれこそ命に関わる。

 そして綾乃は僕の大事な後輩だ。結局、僕は病室で彼女を見守り続けることにした。


 清潔感のある羽毛布団に包まる綾乃はなにが楽しいのかほぐれ部分から羽毛を抜く。僕は慌てて止めて、羽毛を口に運ぼうとする手を掴み取る。綾乃がわんわん泣く。危害は加えないよと手を離すとすぐさま羽毛を食べる。げろげろ吐いた。


 あーと天井を仰ぎ見る。真っ白な天井だった。エタノールの匂いがする。消毒したからね。


 親はどうしたと問われれば、綾乃の母親が下着なんかを持ってきて、「あらあら、湊ちゃんが一緒なら綾乃も安心ね~」とか言って帰っていった。家庭内でさえぞんざいに扱われてるんです彼女。


「……心配ないよ。僕がそばにいるからね」


「あぅー?」


 綾乃は赤ん坊がやるみたく親指を唇にくっつけて、きょとんと純粋な眼で僕を見つめる。

 そんな綾乃っぽくない無垢な表情に、僕はなぜか笑ってしまう。


 ……演技じゃないなこりゃ。本当に全部忘れてる。

 僕は少しだけ考えた。この幼児退行が意味するところは一体……


 そして巡るめく放浪思考の行く末に辿り着く。


「……ねー綾乃」


「うぅー」


「日本語分かる?」


「だぁ」


「…………みーなーと」


「……? ぃーあと?」


「うんうん、いい子。繰り返してね。すき。だいすき。あいしてる。いっしょうをささげます。うわきもしません。ともだちもおやもなんにもいりません。あなただけをみます。あなたのことだけかんがえます。あなただけ。あなただけ。あなただけがわたしのしあわせ。すきなんです。ほかのだれより、あなたのことがすきです。あなたのためならなんでもします。あなたがいないといきていけません。わたしはあなたのもので、あなたはわたしのもの。ほかのものなんていらないの。あなただけ。あなただけ。あなただけがわたしのすべて。すき。だいすき。あいしています。とーってもふかく、あいしているのです……はい、復唱」


「…………ぅ? だぁだぁ」


「……よく分かんないよね。でも、ゆっくりでいいから、ちゃんと言えるようになろうね」


「んゅ」


「そのうち分かるから」


 さてと。



 誘拐しなくちゃ。



 ここは邪魔が多い。二人きりで洗脳できる場所に移らないと。


 このチャンスを無駄には出来ない。純白無垢な綾乃を黒川湊一色に染め上げなくては。


 卑怯? 汚い? 見落としがあったら命に関わるってお前言ってたじゃん?

 何一つとして分かっていない心の内の雑魚がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。


 いや、逆に問うけど、他にすることある?


 可愛いかわいい僕の後輩が、僕に頼らなくちゃ生きていけない体になったんだよ?

 僕が頑張らなくちゃ、駄目でしょ。


「さぁ綾乃、行こっか。どっか遠くの、誰にも見つからないとこ」


 けれど。

 彼女を起こそうと布団を引っ剥がしても、彼女は動いてはくれなかった。

 じっと固まったまま、僕をじーっと見ていて、笑いもせず、ただ目を開けていた。


 そして――――


「――――ひぐ、ひっぐ……ぅええええん!!」


「な、なんで泣くのぉ?」


 泣き喚く彼女に、僕はオロオロすることしか出来なかった。一応泣きやますためカラカラを振ったり頭を撫でたり、抱っこしてゆさゆさしようとしたけど、僕の筋力では綾乃を抱っこできずに落っことしてまた泣かれた。


 最終的に、母乳を飲ませれば全てが解決すると悟った僕がセーラー服を脱いだ七秒後にナースがやって来た。ナースは凄い。秒で泣きやませる。代わりに僕が涙目になったけど。


 処置を終えたナースは去っていく。病室に残されるのは二人。僕と、綾乃。


「ごめんね綾乃。僕がぽんこつなばっかりに、ごめんね。泣かしちゃってごめんね。でも泣いてる綾乃も可愛くって。だから……ごめんね」


 静けさの香る夜だった。綾乃の寝息だけが聞こえてくる深夜の静寂。


「このままずーっと綾乃の記憶が戻らなくて、ずっとずっと赤ちゃんのままだったら、僕たちどうしようね。僕はずっと綾乃のそばにいるけど、綾乃はベッドの上じゃ退屈だよね。そうだ、今度一緒にキャンプに行こうよ。秋だから気候もいいし、花粉も飛んでないよ。うん、紅葉が一様に咲き並ぶ山に登って――小川のほとりでエゾビタキのさえずりを聴くの。知ってる? エゾビタキ。ちゅんちゅん、ぴーひゅるるって。ひらひら落ちる紅葉が絨毯みたいになっててね、僕と綾乃の二人だけで踏んづけるんだ。綾乃は一人じゃ歩けないから、手を繋ごうね。きっと途中で疲れちゃうだろうから、シートも用意して、作ってきたお弁当食べよ。綾乃の好きな食べ物、ちゃんと覚えてるから、絶対に喜ぶと思うなぁ。卵焼きはしょっぱいのが好きだったよね、僕とおんなじ。でも唐揚げくんは駄目だよ? せっかくスタイル整ってるんだから太っちゃう。ね。だから、こっそり食べよ? みんなには内緒だからね」


 溶け込むようにあくびをして、鼻をすすり、目をこすって、また音が消える。


「……山頂まで登って、簡易のテントを張るの。さすがに綾乃と手を繋いだままだと難しいから、僕一人でやるんだけど、いざ完成して温かい紅茶を淹れようとして、気付いたら綾乃がどっか行っちゃうの。僕は大きな声で呼ぶの『綾乃、綾乃、綾乃』って。上を見れば満天の星空が広がってるのに、僕は雨上がりの泥土ばっかり見るしかなくって。紅茶が冷めても綾乃はまだ見つからないの。全然どこにもいなくって、僕は必死になって探すんだ。どこ行っちゃったの綾乃、なんで僕のそばから離れるの綾乃、どこにも行かないで綾乃、お願いだから僕のこと忘れないで綾乃……綾乃」


 言う。


「……嫌だよ」


 思ってることが、溶け込むように伝わるように、言う。


「綾乃が僕のこと忘れちゃうなんて、嫌だよ。僕の言うこと聞かないの、嫌だよ。すぐ泣く綾乃も、あぅあぅ言ってる綾乃も、布団に包まってる綾乃も――好きだけど、嫌だよ」


 カーテンがそよ風に揺れる。覗けた窓の外には、輪郭のくっきりした三日月が浮かんでいた。やけに綺麗に見えた。綾乃が隣にいるからだと思った。

 すぐ霞雲に隠れて、レースのカーテンの向こう側でぼやける。もう一度お月さまを見ようとカーテンを開く。雲はもう晴れていた。三日月はあって、けれどまだぼやけている。


 どうしてだろうと目をこすって、濡れた感触に気付く。僕は泣いていた。


 きっと、綾乃が隣にいないからだと、思った。


「お願いだから、もう一回だけでいいから――好きって、言ってよぉ……」


 涙がぼろぼろとこぼれた。眠っている綾乃にしがみついてわんわん泣いた。


 湿っぽい雫が彼女の頬に落っこちる。


「うぅう……ぐすん……うぇええええええええええええん」


「……先輩?」


 そんな声。

 日本語だった。

 先輩って言った。


 …………………えぇっと。


「なんで……泣いてるんですか?」


「…………バブー、バブー!」


「唐突に幼児退行しないでください!!」


 あぅー、バブバブ…………


   *


「……なるほど、私が頭を打って記憶喪失だったと」


「うん。大変だったんだよ、泣いたりあぅあぅ言ったりで」


「私が?」


「覚えてない?」


「全然」


「これっぽっちも?」


「ええ、まぁ」


「嘘吐いてないよね?」


「……なんかしたんですか先輩。いたずらとか」


「いたずらなんかしてないよ」


 いたずらはしていない。真剣だったから。


「まぁ、先輩にならなにされても受け入れますけど! 私の愛の深さに感謝してください」


「はいはい」


 諸々ホッと一息吐いて……ふと思う。

 ……なんで綾乃は生徒会室で怪我なんてしたんだろう。本読んでたみたいだし、ますます頭を打つ理由が存在しない。


 それとなく覚えてるか尋ねてみると、彼女は胸を張って自信あり気に答えてくれた。


「もちろんです。意中の相手を完堕ちさせる媚薬の作り方をマスターしたことにより、テンション上がって踊ってたら滑って机の角に激突しましたよ!!」


「ムーブが小童すぎるでしょ……」


 なーにが媚薬だ、バカバカしい。


「……あぁ、でも、忘れちゃいました。惚れ薬の調剤方法」


「どうせ飲まないからいいよ」


「ヤモリの尻尾にウコンとカフェイン錠、意中の相手の髪の毛一本と……」


「だーかーら。必要ないから」


「でも、私は先輩に私のことを好きになってもらいたいのです」


 好きに……ねぇ。


「……じゃあさ」


「はい、なんでしょう」


「言ってみて」


「なにを、ですか?」


 僕は一言だけ呟いて、綾乃に復唱を促す。

 彼女は不思議そうに、怪訝そうに目をきょとんとさせながら、感情を込めずにそれを言う。




「――――()()()()()

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