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吉祥やおよろず  作者: あおうま
本編のおはなし
7/62

<第二万(よろず)。‐誤解の神様‐> ③


                  ◇


 その日の三限目、理科の生物基礎の授業は教室移動の必要があり、周りのクラスメイトは教材片手に仲の良い友人と共に移動を始めている。

 その光景を横目に、私は独りで専科棟へと向かうのが常であった。

 

 いつも過ごしているクラス教室がある教室棟と、専門的な設備の整った専科棟。

 二つの校舎間の移動はそこそこ時間がかかるのだけど、万が一にも遅刻なんてした時には委員長としての示しがつかないと、心持ち足早に教室を出た。

 

 教室を出た廊下の先は行き来する生徒や端で雑談する生徒で賑やかしく、その喧騒の中で、教室を出てからわずかな距離の廊下の端でたむろする3人の男子生徒が目に付いた。


 何故かその男子たちは揃って私のクラスの出入口を見つめており、当然そこから出てきた私と目が合った。

 そして目が合うや否や、ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべながら、顔を向き合わせて何やら雑談をし始めたようだった。


(あれ?あの人たち……どこかで……)


 その3人の男子生徒の顔が記憶の片隅に引っかかる。

 どこかで見たことのある顔だなと疑問に感じたものの、八百万学園の数多いる生徒の中でも一度や二度くらい顔を見たことがあり、自然と顔立ちを覚えてしまっている者も当然いるだろう。


 私は特に気に留めなくても良いかと、そう結論付けることにした。

 

 たとえ一度も話したことのない生徒であっても、私は迷惑行為や風紀を乱すような言動をしている生徒には物怖じせずに注意してきたのだ。

 彼らの制服を着崩している風貌から見ても、以前に注意したことがある生徒の内の誰かであってもおかしくないし、その時の薄らぼんやりとした記憶がただ引っ掛かりを見せただけなのだろう。


 それに今は専科棟への教室移動の最中である。

 

 彼らが問題を起こさない限りは気に留めなくても良いだろうと、粛々と歩を進めて件の男子の横を通り過ぎようとしたのだけど―――


「おい弁財、ちょっと待てよ」


「いたっ!」


 背中を強めに叩かれた上に、名指しで呼び留められてしまった。


「てめぇ無視とかツレねぇことすんなよ」


「な、にするんですか痛いんですけどっ!誰ですかあなたたちっ!?」


 強かに叩かれた背中がジンジンと痛み、私に対する礼を失したその態度も気に障ったことで、『教室移動で先を急がねば』ということよりも優先しなければ気が済まない問題が生じて、足を止めることになってしまった。


「はぁ?『誰』ってなんだオイッ!存じてねぇとか冗談抜かすんじゃねぇぞっ!?」


「しらばっくれようとしてんじゃねぇぞコラッ!」


「―――っ!」


 私の『誰ですか』という言葉がよほど気に障ったのか、不良たちはそれまでの軽佻浮薄な態度から豹変したように青筋を立てて怒りを露にし、哮けりを撒き散らし始めた。

 自分よりも体格の良い男子生徒の怒鳴り声とその豹変ぶりが、私の身体をビクリと竦ませる。


「弁財っ!テメェのせいなんだろオイッ!テメェが教師にチクったせいで―――」


「っ!わ、わたしっ!さ、先を急いでいるのでっ!」


「あぁっ!?」


「おい待てテメェ逃げんなっ!」


「……っ!」


 背中に投げかけられる強い静止の声も無視し、少しでも遠くへと離れるために、無心で足を前へと運ぶ。

 けれど恐怖で強張った身体は酷く重く、思うように前へと進めない。


 先ほどまでは聞こえていた廊下の喧騒が何故か耳に入ってこなくなり、胸に抱いた教科書や強く握りしめた筆入れが軋む痛々しい音だけが鮮明に耳に届き、そしてそれはまるで警報のように強烈に脳内を刺激し始めた。


「だから待てってコラッ!クソがっ!」


「いいって。行かせてやれよ。用は済んだしな」


(怖い……怖いっ……!なんで私がこんなっ……)


 今までこの三人のような不良を相手に幾度となく注意の言葉を投げかけたが、その全てが悪態を吐いてバツが悪そうにしていたり、睨みつけながら立ち去ったりといった抵抗を見せる程度のものだった。

 注意をした女子生徒からは強く罵られることもあったが、男子生徒から怒鳴られたことなんて、今までに一度もなかった。


(だってわたしっ……!なにも間違ったことなんてしてないのにっ……!)


 引き留められることを恐れて小走りで立ち去ったのだが、後ろから追いかけられる様子もなく、立ち止まったまま話す彼らの愉快そうな声だけが私の背中を追い立てる。


「めちゃくちゃビビってたじゃんあいつ。マジうけるわ」


「しかも気付い―――」


 そこまで聞こえた声の先も、ようやく耳に届き始めた周囲の喧騒に掻き消えてしまい、私の心に落ち着きが少しずつ戻り始めた。

 それでも、足は止めることなく動かし続けた。


 ふと気付けば、無心で動かしていた両足は、私の身体を目的地である専科棟には運んでくれていなかった。

 あの場からただ離れるための移動により、私は随分と見当違いな場所まで来てしまっていた。


 それに加えて、10分という短い休み時間の幾分かを浪費してしまったこともあり、来た道を急いで戻らねばと踵を返したその視線の先には―――


「なにあれ、かわいそう……」


「イジメ……?」


(―――え?な、に?)


 振り返ったその先、廊下にいた何人もの生徒が私を見つめていた。


 友人とヒソヒソ話をしながら見つめる人たちもいたけど、私が視線を向けると一人の女子はあからさまに目を逸らし、隣の女子は不快なものを見るように眉間に皺を寄せていて、まるで憐れまれてるのだと勘違いしてしまうような視線を向けてきた。

 私を見ている他の男子生徒も、同様に同情するような目を向けている人や、ニヤニヤと奇異な視線を向けてくる人までいる。


 彼らの複雑な視線と表情は、私が突然振り返ったことを驚いたり訝しむことで表れたものだとは、到底思えないほどに異様なものだった。


(―――っ!)


 ……まったく、この休み時間は一体なんなのだろう。


 不良生徒に絡まれるわ、意味の分からない注目を浴びるわ、授業に遅刻するかもという恐怖に怯えることになるわで、散々な休み時間にも程がある。


(せめて遅刻だけは防がないとっ!他に起こったことは一旦忘れてしまおうっ!)


 そう考え、とにかく周りの視線は意識せずに、今度はしっかりと専科棟を目指して歩みを再開する。

 先ほどは恐怖で重かった足取りも、焦りと時間経過が恐怖を薄れさせ、重さを感じなくなっていた。


 それどころか焦燥感が無意識に足取りを早めさせており、少しずつ回転の速くなった歩みはもう、『歩み』と表現するには相応しくないほどに忙しないものとなっていた。


「はっ……はぁっ……!」


 人の群れをすり抜けながら進むたびに、私の進む勢いに面食らった人たちの視線を背中に集めていくのを感じながらも、ひたすらに廊下を突き進む。


「うわぁなにあれ―――」


「イジメられてんのかな―――」


「気づいてないのかな?ヤバくな―――」


「誰か教え―――」


「いや無理だろ追いつけないし―――」


「あれっ?弁財さん?廊下を走ってるなんて珍し―――」


 通り抜けた人の群れから生じた声が、浮かんでは消えていく。

 耳に入ってはいるのだけど、その意味を理解するために割く意識なんて、今の私は持ち合わせていなかった。

 

 だから何にも気づかない。気づけない。気づくことが出来なかった。


 ―――客観的に見た、現在の私の『状況』にも。


 ―――周囲の声が意味する、その『警告』にも。


 ―――そして横を通り抜けた、よく見知ったはずの彼の『その顔』にも。


「何あれ……クソッ!ちょっと待っ―――弁財さん!ねぇっ……っ弁財さんっ!」


 私のことを必死で呼び止める聞き覚えのある誰かの声。


 追いすがるように感じる気配と、そして背中に触れる誰かの指先―――


(~~~ッ!!!)


 ―――先程のように、強かに叩かれたわけでは決してない。


 ―――ただ引き留めるために、指先が軽く触れただけだろう。


 だけど今の私にとっては、『その程度の刺激』であっても劇薬のようであった。

 触れられて蘇った痛み。


 そしてフラッシュバックする僅か数分前の恐怖が、私の身体を過敏に反応させた。


「―――ぃ、やっ!触らないでっ!」


 振り向きざまに払い除けるように振った手が、私に触れた誰かの手を弾いた。

 振り向いた先に立つ吉祥君は、私の激しい反応にびっくりしたのか驚いたように目を丸くさせた。


 そして、吉祥君の伸ばされた右手の先に摘ままれた―――


「な、ん、ですか?その紙は……?」


 彼の右手に吊らされた、ご丁寧にもセロハンテープの付いた一枚のコピー用紙。

 まるで『誰かの背中に張り付けるため』に張り付けられた、光を反射しキラキラと光る透明のセロハンテープ。


 悪戯や、そしてイジメの方法として用いられるような、侮蔑や嘲笑の言葉を並べた背中への張り紙。

 そのための常套的な細工。


 ―――そう思い至るまでに必要な時間なんて、一瞬あれば十分だった。


「えっ……いや、これは……」


「見せてくださいっ!」


 奪い取った紙に目を向けると、予想するまでもなく当たり前に、そこには数々の言葉が並んでいた。

 そして、そこに記された言葉の羅列は、目を覆いたくなるようなモノばかりであった。


 ―――『ブス』『根性なし』『淫乱』『カス』『ビッチ』『ヤリマン』『死ね』『ボケ』『ちくり魔』『クソ』『ビッチ』『消えろ』―――


 他にも読み取ることを拒否したい程に卑猥なものや、人格を貶すような言葉の数々が、いくつもいくつも、私に向けられ乱雑に散りばめられている。

 それを見て、私はなんと思ったのだろうか。何をまず、考えたのだろうか。


 その強烈で、辛酸で、醜悪な言葉の羅列を見て、私は―――


(―――あぁ……やっぱり、そうだったんだ)


 悲しみ、悔しさ、嫌悪感。


 そういったネガティブの感情よりも先に、納得するような、腑に落ちるような感情が、何故か私の心に去来した。


「っボクじゃないっ!それはボクがやったんじゃないからねっ!?」


「……っ!あなたがこれを持っていたという状況証拠っ!あなたの生活態度や日頃の行いっ!そういったものを考慮して何を信じろって言うんですかっ!『ボクのせいじゃない』なんて白々しい言い訳をっ!どうやって信じろというのですかっ!?」


「それはっ……!ごめんっ!でも違うんだっ!その紙はもともと張ってあってっ―――」


「もういいですってっ!」


 これ以上、彼の醜い言い訳なんて聞いていたくなかった。


 手に持った汚らわしい紙を、もう一秒だって持っていたくなかった。

 だから思い切りぐしゃぐしゃに丸めて、吉祥伊呂波のその顔を目掛けて投げ付けた。


「わっ!」


「やっぱり……下駄箱のあの張り紙もあなたの仕業だったんですね……」


 顔に当たった紙に怯んだ吉祥君からの返事を待つこともなく、私は踵を返す。


「……あっ!待ってって!話を聞いてっ!弁財さんっ!」


 背中に投げ掛けられたその声を無視しながら、私は再び目的地へと足を向ける。


 一筋の流れ出した涙を、誰にも見られないように制服の袖で拭いながら―――


                  ◇


「悪い悪い。待たせたな行こうぜ……って、何かあったのか?死にそうな顔してるけど」


「……死にたい。死にたい死にたい。ああぁぁぁ……コイツのせいでぇっ!」


 直前にボクの顔に投げ付けられた丸まった紙を広い上げて、その汚らわしい諸悪の元凶を思い切り握りしめる。

 クシャと鳴った音すらも憎たらしい。


「うおっ!落ち着けよ。マジで何があったんだよ……」


「ボクがこんな幼稚で気持ち悪いこと書くはずないのにぃ……それに下駄箱ってなんだよぉ……うぅ……メゲるわ……」


「だから落ち着けって。もうすぐ授業始まるし、歩きながら説明してくれ」


「うん……そうだね。あのね?忘れ物を取りに戻った鞍馬のことを待ってた時にね……」


 鞍馬にさっき起こった悲惨な勘違いについてを説明しようとした矢先―――


(伊呂波ちゃんっ!大変ですっ!弁財さんの荷物がっ……!)


「―――っ!鞍馬っ!ボク授業サボるからっ!なんとか言い訳しといてっ!」


「えっ!?おい伊呂波っ!?おいって!」


 呼び止められる声に構っている余裕なんてない。


 このクソったれな張り紙の犯人がまたぞろやらかす、その犯行を止められるかもしれないし。

 それにあわよくば現行犯で捕まえて、冤罪吹っ掛けられたばかりか弁財さんを泣かせてしまったことで抱いた、この煮えくり返った腸の借りを返してやることだってできるかもしれないのだ。

 

 教室までの廊下をひたすらに走り抜ける。

 授業開始直前ということもあり、廊下には人が疎らだったのが助かったけど、それでもボクの走る速度は決して速くはない。


 そいつらがまだ教室にいればいいけど。移動し始めてたらちょっと厄介だ。

 そいつらが何者なのか、何が目的なのかもわからないし。


(ごめんなさいっ!男の子が三人で誰も居なくなった教室で弁財さんの机や荷物を漁り出してっ!急いで伊呂波ちゃんに知らせないとって思ったものでっ……!)


 ううんいいよっ!ありがとうっ!

 すぐに知らせてくれただけでも感謝しないとだし!

 

 八百万学園に鳴り響く三限目開始のチャイムを聞きながら、ボクらはとにかく教室まで続く廊下をひた走るのだった―――


                  ◇


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