<第九万(よろず)。‐不撓の神様‐> ③
◇
放課後になり、吉祥ちゃんにウロウロフワフワと学園内を徘徊してもらって、鹿屋野先輩の現在地を教えてもらった。
鹿屋野先輩は件の花壇にて絶賛作業中とのことで、えっちらおっちらと目的地へとたどり着くと、先輩は一人で黙々としゃがみ込んで花壇をいじっている最中だった。
真剣な顔で、頬に汗を流しながら花壇の土をスコップで掘り交ぜる鹿屋野先輩は、何故かとても楽し気に見えた。
その姿はきっと、見る人の気持ちを和ませたり、癒したり。
優しい気持ちにさせるような、そのくらいに綺麗で尊い光景のように見えるけど―――
だけどボクは、そんな感情以上に、胸を刺すような悲しみを抱いた。
この光景が、彼女の大切な時間や環境や思い出が、失われてしまうかもしれない。
その現実が、その可能性が、泣いてしまいそうになるほどに、つらい。
真剣な顔に浮かんだ鹿屋野先輩のささやかな笑みを見て、やっぱり彼女から園芸クラブが失われてしまうのは嫌だと―――
困っている人に手を差し伸べることのできる鹿屋野先輩には、大切なものを失わないで欲しいと―――
ボクは改めて、そう思った。
そう、願った。
「……あ、吉祥君。こんにちは」
ボクが声をかけるよりも前にボクの存在に気付いた鹿屋野先輩は、立ち上がった後に膝についた土を軽く払い、ボクに向けて頭を下げながら、丁寧に挨拶をしてくれる。
つい最近知り合ったばかりのボクなんかに、そこまで礼儀を示す必要なんかないのに。
「こんにちわ、鹿屋野先輩。花壇のお手入れ、お疲れ様です」
顔に浮かべた筈の笑みも、きっと満足いく出来ではなく、何処か上滑っていたと思う。
表情の作り方くらいしか能のないボクなのに、それすら満足に出来ないなんて。
それほどまでに、鹿屋野先輩のことが気になっている。
恋とか愛とかそういう意味合いでは当然なくて、『気に病んでいる』といった表現こそが正しいような、そんな意味でだけど。
「あの……昨日はすいませんでした。ロクに事情もしらないボクなんかが、お騒がせした上に先輩の貴重な時間を奪ってしまって」
数歩、先輩との距離をつめて、頭を下げながら謝罪の言葉を送り出す。
昨日、ボクは鹿屋野先輩にゴミ拾いを手伝ってくれた御礼を伝えるつもりでいた。
だけどその気持ちだって、真剣で、本気で、誠意だけが胸の内にあったとは、とてもいえないような軽いものだったと思う。
それ以上に、ただ話してみたい、会ってみたいという不純な動機の方が強かった。
だからボクなりに、できうる限りの、乗せられる限りの謝罪の気持ちを込めて謝った。
「いっいえいえっ!私の方こそ園芸クラブのいざこざに巻き込んでしまって申し訳ありませんっ!……けど、ふふっ」
ボクの謝罪が霞むくらいの勢いで、逆に鹿屋野先輩に謝られてしまったけれど。
それよりも零れ落ちたように聞こえた笑い声が気になって、頭を上げて覗いた先輩の綺麗なその顔には、ボクに向けられた優し気な眼差しとともに、さっきも見たような笑みが浮かんでいた。
「あっ……ごめんなさい、突然笑ったりして。ただ、『先輩』って呼ばれることが久しぶりだったので、何故だかすごく嬉しくて。八百万学園に入学してから、『先輩』と呼ぶことは幾度もありましたけど、『先輩』って呼んでもらえたのは初めてです」
「ボクなんかの『先輩』でも鹿屋野先輩に喜んでもらえるのなら、いくらでもそう呼びます。先輩が飽きて、もう聞きたくないってなるまで呼び続けます」
これからも、ずっと。
ただの同じ学園に所属する『先輩』と『後輩』ってだけじゃなくて、園芸クラブの『先輩』と『後輩』として呼んだって良い。
「それはとても勿体ない気もしますが……でも嬉しいです。それにきっと、ずっと嬉しくて、飽きることなんてないと思います。皆さんからも大人気の吉祥君に『先輩』と呼び続けてもらえるなんて、誰だって嬉しくて舞い上がっちゃいますね」
穏やかな笑みを向け続けてくれる鹿屋野先輩に釣られるように、ボクも今度こそ、自然に笑うことができたと思う。
(伊呂波ちゃん……園芸クラブに入部するって、本気でそう決めたんですね?)
けれど、ボクとは対照的に真剣な顔をした吉祥ちゃんが、ボクにしか聞こえない声で、そう問い掛けてくる。
うん。
それで鹿屋野先輩に迷惑がかかるなら、止めとくけど。
でも、少しでも役に立てるなら、助けになるなら、ボクはそうしたいと思う。
生憎、他にやりたいことも、入りたい部活もサークルもないし。
だから、ボクが園芸クラブに入部しようと思っていることを伝えたうえで、今後の園芸クラブの生存戦略について相談しようと。
だけど、どう切り出して伝えようかなと、恵比寿先輩から聞いた話を反芻しながらも鹿屋野先輩の優しい笑みを見つめながら考えていると。
ふいに、鹿屋野先輩の表情が笑みから、悲し気な、申し訳なさそうなものに移り変わってしまった。
「さきほど吉祥君は、私の『貴重な時間を奪ってしまった』と、そう言ってくださいましたけど」
ボクが見たいのは、さっきみたいな楽し気で幸せそうな鹿屋野先輩であって、そんな申し訳なさそうな鹿屋野先輩じゃないのに―――
「それは私の方です。たくさんの方から人気のある吉祥君に、わざわざあのような退屈な場所まで足を運んで頂いて……」
違う。
ボクは別に人気があるわけじゃない。
容姿がちょっと目をひいて、母親が有名人で、ボクもちょっとティーンズ誌のファッションモデルやら他愛もない子役とかをやったことあるってだけで。
そのせいで珍しがられているだけで―――
「学園のみなさんの為にゴミ拾いをしてくれて、そんな頑張られている吉祥君に何のおもてなしもできなくて……。そればかりか、園芸クラブのつまらない事情にも巻き込んでしまって……ご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
「やっやめてください!違いますっ!そんなの全部違うんですっ……!」
―――だから、そんなに謝らないで。
―――だから、そんな悲しそうな顔をしないで。
「あの場所は鹿屋野先輩の大事な場所で!大切な思い出が詰まっている場所で!退屈でもつまらなくもないっ!ゴミ拾いだってやりたくてやってたわけじゃないし学園生のためなんかでもないんですっ!」
―――誰かのために動ける優しくて立派な鹿屋野先輩が、ボクなんかに申し訳ないなんて思わないでほしい。
「だから、だからボクなんかに謝らないでくださいっ……罪悪感なんて、抱かないでくださいっ!」
ボクが、ボク『なんか』のせいで、鹿屋野先輩を悲しい気持ちにさせているのは嫌だ。
(っ!伊呂波ちゃん!落ち込んでるのはわかりましたけど!さっきから『なんか』『なんか』って―――)
「……ねぇ吉祥君。先ほどからずっと、アナタは自分のことを『なんか』とおっしゃっていますけど」
鹿屋野先輩はボクに近づき、先輩の言葉を否定するうちにいつのまにか強く握っていたボクの手を、そっと取った。
俯いていた視線を上げると、鹿屋野先輩はボクの手を両手で包んだままで、駄々をこねる子どもをそっとあやす母親のような、そんな温かさを感じる眼差しを持ってして、ボクを諭すために言葉を紡ぐ。
「昨日あの後、大国君に聞きました。吉祥君はペナルティでゴミ拾いをする必要があったのだと。けれど理由はどのようなものであっても、アナタが皆さんのお役に立つような活動をしていたのは事実です」
―――なんでこの人はこんなにも、温かいのだろう。
「私は友人が多い方ではありません。でも、そんな私でも、吉祥君の噂はよく耳にします。そして、アナタのことを話す人はみんな、それはもう楽しそうにアナタの名前を口にしてるんです」
―――なんでこの人はこんなにも、優しいのだろう。
「この間のゴミ拾いの時、吉祥君は不本意だったのかもしれませんが、それでも真剣に頑張っていました。それに、ゴミ袋は全部をおひとりで運んでくださったり、作業の最中もずっと、私のことを気にかけてくださっていました」
なんでだろう。
たった数日前に知り合ったばかりなのに、この人の言葉を、優しさを、疑うことなく受け入れてしまえるのは。
「危ないもの、汚いものは全て、私が近づく前に拾ってくださってましたよね。木の間に張っていた蜘蛛の巣も、私が通る前に払って下さっていました」
あぁ、やめてほしい。
「吉祥君、実は虫、とても苦手なのではないですか?それでも怖がりながらも、私に近寄らせないように追い払ってくださっていましたよね」
ボクがいつも口にする自信満々な言葉の数々だって全部、見栄とか、虚勢でしかないのに。
「吉祥君の気遣いを無下には出来なかったので、この間は言い出せなかったのですが……実は私、虫はそれほど苦手でも嫌いでもないんです。あの時はお伝え出来なくてごめんなさい」
いつも偉そうに粋がっているのも、取るに足らないしょうもないボクを、人として誇れる素晴らしい『なにか』を持たない自分を、みっともなく取り繕っているだけなのに。
「だから、『なんて』だなんて言わないでください」
本当は、ただただ弱くて、ちっぽけで、自身もなくて、ただの泣き虫なのに。
「吉祥君。あなたの優しさは、頑張りは、とても尊くて―――」
―――どうしようもなく優しいあなたに褒めてもらえるなんて。
―――どうしようもなく温かいあなたに認めてもらえるなんて。
「とても、立派なんですから」
―――それだけで、どうしようもなく、泣きそうになってしまうから。
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