<第八万(よろず)。‐不穏の神様‐> ⑥
◇
夕日が差し込む廊下に音を響かせながら、ひたすらに歩みを進め続ける。
何度も通ったはずなのに、そこまでの道程は今までで一番長く感じたし、その分鬱陶しさや苛立ちが募っていく。
(いろはちゃん……これから、どうするんですか?)
「なにをどうするってっ!?」
ボクの心情を理解した上でそんな問いを向ける吉祥ちゃんにすら、八つ当たりでしかない荒い態度を向けてしまう。
それほどまでに、今のボクはお冠だった。
(それは……生徒会のお手伝いとか、鹿屋野さんのことですとか、それに―――)
「そんなの!今ボクがやるべきことなんて一つしかないでしょ!?」
吉祥ちゃんへは雑な返答を返し、ようやくたどり着いたドアをノックもせずに思い切り開け放った。
開かれたドアの先、生徒会室の中では―――目下最大に用事のある、もとい文句を言いたい相手である恵比寿先輩が、一人で呑気に窓の外を眺めていらっしゃいやがった。
ボクの突然の入室に驚いた様子もなく、いつも通りの『人当たりの良さそうな』薄ら笑いを浮かべた恵比寿先輩は、ボクへとゆっくり視線を向けてくる。
さっきまでなら特段気にすることもなかったその笑顔も、今のボクには気味が悪い表情にしか感じられない。
「やぁ伊呂波ちゃん、おつかれさま。活動調査の手伝いは上手にできたかな?」
むしろいつも通りの穏やかな口調もその笑い顔さえも、まるで煽られているかのように見えて、ボクの苛立ちを助長させるものでしかなかった。
「っ!『上手にできた』じゃないですよっ!アンタのせいで上手になんか終わらなかった!ただのミスなのかわざとなのか知りませんけど、アンタが大国先輩に伝えた話のせいでねっ!」
園芸クラブの部室で起こった一連の揉め事なんて恵比寿先輩は知らん事なのだし、こんなことを急に言われても混乱するかも知れなかったけれど、それでも文句を言わなきゃボクの気が済まなかった。
だけど、恨みつらみを吐き出さんとするボクの言葉に被せるように、恵比寿先輩は―――
「もちろん、『わざと』だよ」
大国先輩に『わざと』誤った情報を伝えたと、悪びれもせずそう事も無げに口にしたのだった。
「なんでそんなことっ!そんな嫌がらせなんかしてなんの意味があんですかっ!?」
ただのミスであったなら、まだ良かったのかもしれない。
だって、ボクには謝ってもらい、大国先輩には弁解してもらえればそれで済むのだから。
けれど、意図的にボクらの間に亀裂が生じるような、あえてそんなことをしたのであれば。
その真意を確かめなければ、ボクの苛立ちだって収まらないし、もちろん納得だってできそうにない。
「嫌がらせのつもりなんかもちろん無いし、ちゃんと意味も意図だって含めた上のことだよ」
その意味だか意図だかについてちゃんと説明しろと、そう暗に訴えたつもりだったのだけど。
当の恵比寿先輩は、そんなボクの気持ちも知ってか知らずか―――
「『そんなことより』、園芸クラブは、鹿屋野さんはどうだった?」
大国先輩を怒せるような誤報告をした真意には触れようともせず、ボクらの諍いに巻き込んでしまった鹿屋野先輩を突然話題として持ち出してきた。
「『そんなこと』なんかじゃない!!!話をはぐらかそうとすんなっ!なんでアンタがそんなことをしたのかってのを先に説明しろって言ってんだっ!」
恵比寿先輩と話す前から既に、相当に苛立っていた自覚はあった。
けれど、そんな苛立ちも収まることはなく、むしろこの人と話せば話すほどに、苛立ちや怒りの感情が積もっていく。
だけど―――
ボクの糾弾する言葉を聞くや否や、恵比寿先輩はそれまで浮かべていたうすら寒い笑顔をすんっと引っ込めて―――取って代わるように、どこか厳しさすら感じるさせるような、ボクを責めているかのような、初めてみる神妙な表情を浮かべた。
「ふぅん……キミにとっては切迫している園芸クラブの存続よりも、自分の疑問を解消することの方が大事なのかい?」
今まで知らなかった恵比寿先輩の本性を現したような急変した表情、そしてそのあまりに卑怯な物言いに、ボクは思わず口を噤ませられた。
「それとも、まだ知らないだけなのかな?園芸クラブが置かれている現状について、円から説明されたもんだと思っていたけど」
「……園芸クラブが、部室を失って廃部になるかもしれないとは聞きましたけど」
ボクを責めるような恵比寿先輩の言葉、そして結んで思い出された鹿屋野先輩と園芸クラブのおかげというべきか、頭に水をかけられたように怒りの熱は冷め、半ば無理矢理気味に多少の冷静さを取り戻させられた。
「あぁそれそれ。でも『かもしれない』ってのは語弊があるね。今のまま誰も何もせずにただ時間だけが過ぎれば間違いなく、いま使用している部室は他の団体に明け渡すことになる」
改めて突き付けられた事実に、鹿屋野先輩が園芸クラブを大切そうに語っていた姿が思い出されて胸が痛んだ。
―――この世の中には、どうしようもないことなんてザラにある。
『思い描いていた夢が叶わない』
『返す当てもない借金のせいでまともに生活できない』
『好きな人と結ばれない』
誰しもが想い願うような時間を、人生を送ることができるわけではない。
生きて成長していく内に誰しもが理解するこの世界の常識だし、もちろんボクだってそんなつまらないことは理解している。
だとしても。
だからといって。
善人が報われないのを見ていて、『当たり前だ』とか、『当然だ』とか、『しょうがないや』だなんて、割り切れるはずない。
誰かのために苦労を厭わないような、そんな善い人たちには報われて欲しいと思う事だって、それこそ当たり前だと思う。
「……なんとか、ならないんですか?」
(伊呂波ちゃん……)
園芸クラブが部室も失わずに存続して、鹿屋野先輩がこの先も笑って活動し続けることができるような、大切に思っている場所をこの先も守り続けることができるような。
そんな、ボクの思い描く『可能性』を乞うような言葉は―――
「今のままでは、難しいね」
恵比寿先輩によって、にべもなく切り捨てられた。
初めは苛立ちによって、つい先からは痛切によって身体に入っていた力が、すうと抜けていくのを感じる。
やるせなさから俯いていたボクに向かって、恵比寿先輩はさらに言葉を重ね続ける。
「それに、園芸クラブが部室を失うことによって喜ぶ人たちだっている」
その言葉に思わず反応し向けた視線の先で、恵比寿先輩は笑顔を浮かべていた。
放った言葉の内容をゲスだと罵り、どういう意味で言ったのかを問い質そうと開きかけたボクの口を制するように、恵比寿先輩は言葉を吐き出し続ける。
「部室を望んでいる団体なんてごまんといる。小規模なサークルにとって、部室は一つのステータスで財産だ」
先輩はそこまで言い切り嘆息をひとつ零し、さらに言葉は重なり積もっていく。
「学園内に自分たちだけの空間を持ちたいと望むサークルから、生徒会にそういう要望が数多く寄せられているんだ。そして、それを解決するのも僕ら生徒会役員の業務の一つなんだよ」
「……それは、自分たち生徒会としても『喜ぶ人』だって、そう言いたいんですか?」
わざわざ聞かずとも、そうとしか解釈できないような恵比寿先輩の言葉であったけれど、ボクはあえて確認するようにそう問い掛けた。
「生徒会で抱えている問題が一つ解消される。そういう意味では助かるとは言えるかもね」
「そうですか……」
大国先輩は大変だなんだと言っていたけれど、結局この人たち生徒会の面々も、『誰かのために』なんて殊勝な心意気なんて持っていないんだろう。
自分たちさえ良ければ、苦労が減れば、それで満足なんだ。
『学園生のために』なんて大言壮語を吐きつつも、結局は『自分たちのため』。
ボク自身も含めて、ボクが今まで会って来た『普通の』人たちと何ら変わらない、自己的で保身が何よりも大切な、自分勝手な生き物なんだろう。
「悲しむ人がいる一方で、喜ぶ人たちがいる。その双方がこの学園の生徒なんだよ?」
悔しさとか、やるせなさとか、失望といった感情渦巻く胸中に項垂れているボクに、恵比寿先輩は追い打ちとばかりに、聞きたくもない言葉を次々とぶつけ続ける。
「生徒会としては、どの学園生にも平等に接してあげなければならない。『可哀そう』だからというだけで、誰かだけ依怙贔屓することが許されると思うかい?」
「……もういいです」
これ以上聞きたくない。
自分を守るための表面だけ取り繕った理論武装なんて、これ以上聞いても吐き気がするだけだ。
それでも、恵比寿先輩は言葉を止めない。
「生徒会に属する人間は、学園の様々な情報を得ることが出来る。それに大げさかもしれないけれど、一般学園生よりも強い権力だって持つことができる。そんな人たちが自分たちの―――」
「だからもういいですって!!!」
それ以上はもう聞いていられなかった。
吐き出した静止の言葉と共に恵比寿先輩を睨み付ける。
言っている言葉の内容だけ聞けば、確かに恵比寿先輩の方が正しい事を言っているのだろう。
名も知れない部室を欲しがっている人たちよりも、知っている鹿屋野先輩を助けてあげたいなんて思っているボクの方が、勝手でワガママで正しくはないのかもしれない。
そんなことは理解している上で、ワガママだって自覚を持ったうえで。
それでもなお、ボクは鹿屋野先輩に救われて欲しいと思っている。
大切なものを奪わないで上げて欲しいと、そう願っている。
そしてその想いは、恵比寿先輩の話を聞いて、いっそう強まった。
「アンタたちが助かるだとか困るだとかなんて、もうどうでもいい!」
踵を返し、ソファに置いてあった自分の学生鞄を拾い上げる。
「たとえ何を言われようと、誰かに責められようと、ボクは自分のしたいようにします」
そう言って最後に一度、恵比寿先輩を睨み付け、退室するために視線と足先を生徒会室のドアへと向けた。
そんなボクの背中に投げ掛けられた言葉は、ボクを静止するものでも、責めるようなものでもなく―――
「―――そうかい。きっと伊呂波ちゃんなら、そう反発してくれると思っていたよ」
それでも、ボクの神経を逆撫でするような、どこか笑みを含んだような言葉だった。
いちいち反応する気もないボクがドアの取っ手に手を掛けたところで―――
「あぁそれと、明日からはもう今日みたいに活動調査の手伝いはしなくていいから。明日から君にしてもらうお手伝いは、また明日の昼休みにでも伝えに行くよ」
恵比寿先輩との会話を締めくくる、今日最後となる言葉が、ボクに通達されたのだった―――
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