<第五万(よろず)。‐正解の神様‐> ③
◇
そして夜は更け、明くる日の朝十時まではあっという間に過ぎていき―――
「伊呂波ちゃぁんっ!?大丈夫ですかぁっ!」
「うわぁ朝からうっさ……」
ノックもせずに突然病室のドアが開け放たれ、元気なその声と共におばはん二人が入室なされた。
市杵ちゃんノックはしようよ……最低限のエチケットでしょうが?
もしボクが仲良くなった美人看護師さんとイチャコラしてたらどうすんの?
気まずい空気になっちゃうでしょうが?
(伊呂波ちゃんこそ入院に夢見すぎでしょ……これだから思春期の男子は……)
い、いや、これはボクらの年代の男子には致し方無い妄想なんだから許してよ……。
「伊呂波、あんたまた厄介ごとに巻き込まれて……」
「……宝ちゃんさぁ?一応母親なんだし、怪我した息子に対してその第一声はどうなの?もっと心配したとか安心したとか―――むぐぅ!」
入室した早々から呆れたような言葉しか吐けないダメ母親に抗議をしようとしたのに、遮るように別の家のダメ母親がボクの頭を抱き抱えて来やがった……。
「まったく宝ちゃんはっ!伊呂波ちゃんの言う通りですよっ!我が子を思う母親ならばこうやって『心配したのよ……』って母の胸で抱え込んであげるくらいしないとっ!」
……ぺったんこなのは遺伝なんだよぁ。
ご愁傷様弁財さん……。
(だからそのセクハラ発言は非常に失礼ですし……母子揃って二人ともにセクハラするとか何ですか?親子丼ですか?)
神様が親子丼とか言うのやめなさいね?
なんの影響?隣のお兄さんのエロゲで覚えたの?
「あんたのどこに付いてんのよ?その包み込む胸とやらは……」
「ちょっと宝ちゃんっ!?言っていい事と悪い事がありますよっ!んもぅ!」
「市杵ちゃん、とりあえずボクの頭を放そうか?弁財さんが見て―――」
「イヤですよぉ!久しぶりの伊呂波ちゃんなんですよ!?もっと満喫させて下さいっ!あぁ……相変わらず可愛い……可愛すぎるぅ……マジ天使ぃ……スリスリなでなで」
悦に入りながら頭に頬ずりするな。
体の至る所を撫で擦ってくるな。
マジのセクハラですよコレ?
「……市杵ちゃんの為に言っとくけど、その過剰なテンションはもうちょっと控えた方がいいんじゃない?今日はボクらの他にもまだ人がいるし……」
「…………え?」
「―――お、お母様……?」
ジャンジャジャ~ン!
こ˝こ˝でむ˝す˝め˝さ˝ん˝の˝登場だに˝ゃ˝あ˝ぁ˝ん˝☆
宝ちゃんたちが入って来たドアからは死角になっていた、病室の隅。
その陰の中に控えていた弁財さんの表情は、ボクの持ちうる語彙力では到底表現することができないような複雑なモノだった……。
いや、なんちゅう顔してんねん……。
美少女どこ行った……。
「あれ……?もしかして狭依ちゃん?うわぁ美人に育ったねぇ!市杵の若い時にそっくりじゃんっ!」
「えっ!き、吉祥宝さんっ!?ほ、本物っ!?」
あれれ?
もしかして弁財さんって宝ちゃんと会ったことなかったの?
「宝ちゃんと弁財さんって初対面だっけ?」
「そういえば……そうなのかな?だって市杵ぜんぜん家に連れてこないし。狭依ちゃんも今度ウチに遊びに来てね?」
「い、いいんですか?緊張はしますけど……それなら是非!」
多少の躊躇はあったようだけど大女優のお招きの魅力が勝ったのか、弁財さんは快く了承してくれた。
最近では鞍馬以外のお客さんが来ることなんて滅多にないことだし、これはおもてなしにも気合いを入れないとねっ!
ボクと宝ちゃんと弁財さんで仲良く和気藹々と会話をしていると、ボクの頭を抱いている市杵ちゃんの腕の締まりが強まり―――って痛い痛い痛いっ!
頭潰れちゃうよぉ!
「いだいいだいっ!市杵ちゃんストップストップ!」
邪魔だった腕を思いっきり振りほどくと、思っていたよりも容易くその拘束を解くことが出来た。
愛娘の登場にも碌に言葉を発しないし、『何やってんだこのおばさんは……』と訝し気な視線を向けたその先。
幽霊でも見たかのように顔面を蒼白にした市杵ちゃんは―――
「あ……ぅ……ぁ……あばばばっばばば……おげぇ」
虹色の洪水を病室の床にぶち撒けやがった……。
おい。
マジか。
「うわぁっ!市杵ちゃんがあまりのショックでゲボったっ!」
「この子昔っからメンタル弱いのよねぇ……そこが可愛いんだけど」
「ちょっとお母様っ!?大丈夫ですかっ!ナ、ナースコールッ!伊呂波君ナースコールを押してくださいっ!」
ボクに及ぶ危機回避のために用意されたはずのナースコールは、何故か豆腐メンタルなお客様のゲボ処理で役目を全うしたのだった―――
あ、大丈夫です看護師さん。
感染症とかではないので。
ゲボ処理にかけつけてくれた看護師さんに、何度もお騒がせしてすいませんと心の中で謝っておいた。
いや、ホントすいません。マジで―――
◇
「―――もう落ち着きましたか?お母様?」
「えぇ……もう大丈夫よ……出すもん全部出て行ったから。もうお腹空っぽよ……」
大体二十分ほどの時間が経ち、若干のゲボ臭さは残しつつも病室には平穏が戻って来ていた。
母親の無事を聞き届けた弁財さんはその顔に、にっこり可愛い笑顔を浮かべている。
「それならよかったです……でっ!?これはどういうことですかっ!」
と思った矢先、菩薩のような笑顔は鳴りを潜め、鬼のような形相で実の母親を問い詰め始めたのだった。
弁財さんの百面相のバラエティ豊かさがヤバすぎる。
表情筋が自由自在過ぎやしませんこと?
「ひぃっ!ちょ、ちょっと狭依?さっき戻した母親にその圧の掛け方は酷じゃない?ママまたゲボるわよ?いいの?」
「変な脅し方しないで下さいよっ!もう空っぽだってさっき言ってたでしょう!?何か出てもどうせ透明な液体くらいなものだろうし大丈夫ですよっ!」
母の情けない脅しにも屈することなく、正座する母親を高い位置から見下ろし咎め続ける弁財さん。
もうやめてあげてっ!
その人ホントにまたゲボっちゃうよっ!?
ボクの病室ではもう勘弁してっ!?
「弁財さんまじパネェ……お粗相した直後の母親に対しても容赦なさすぎでしょ……」
「昔っからの親友が娘の前で嘔吐き続けてる様なんて、私見たくないわよ……?」
弁財家のやり取りを、吉祥家親子は小言を交わしながら眺めることしかできなかった。
だってなんか弁財さん超怒ってるし……巻き込まれたくなかったし……。
「私には『吉祥家とは関わるなっ!』なんて忠告紛いのことを言っておいてっ!」
「はぁっ!市杵あんたそんなこと言ってたのっ!?」
ボクは昨日聞いていたから驚きはなかったものの、市杵ちゃんのまさかの発言に宝ちゃんが過敏に反応しなすった。
宝ちゃんも呆れたような視線を市杵ちゃんに向けた。
「ち、ちがうわっ!私そんなこと言ってないもんっ!」
『もんっ』は市杵ちゃんの年齢じゃちょっとキツくない?
「いいえっ!確かにお母様は言いましたっ!私がまだ小さかった時の宴会の席でっ!」
「だからっ!私がそんなこと言う訳っ―――っあ……あぁ……あの時かぁ……」
最初勢い込んで否定する姿勢を見せていた市杵ちゃんだったけど、言ってる最中で何かに気付いたのか、気まずそうに弁財さんから視線を逸らした。
おい。
やっぱり言ってたんかおどれ。
ボクと弁財さんの間にあった溝の一端は、目の前で口笛なんか吹いて誤魔化しやがっているおばさんにもあったということだ。
……まぁ、あくまで一端。
その他おおむねの原因はボク自身のせいなのだけど……。
「市杵……あんたやっぱり……」
「うぅ……宝ちゃんまでそんな怖い顔してぇ……だって……だってぇ……」
「『だって』なんですかっ!?どんな言い訳を聞かせてくれるって言うんですかっ!?」
長年の親友と愛娘から同時に責められ、市杵ちゃんの瞳には見る見るうちに涙が溜まっていき―――
「だってぇぇぇっ!私が今まで築く上げてきたイメージがぁぁっ!うぅぇぇぇぇんっ!」
まるで子供かと突っ込みたくなるような派手さでもって、泣き喚き始めやがった……。
……あぁなるほど。
そういうことね……。
「どうせ下らない理由だとは思っていたけど、案の定その通りとは……」
「はぁ?ちょっと伊呂波、どういうこと?今のだけであんた理解できるの?」
「私もお母様の言った言葉の意味が分からず、ちょっと混乱しているのですが……?」
みっともなく泣き続ける市杵ちゃんを宥めることも慰めることもせずに、疑問の解決を優先する宝ちゃんと弁財さんだったが、正直市杵ちゃんに同情しようとする気持ちも抱くことが出来なかった。
どう考えても市杵ちゃんの自業自得だし……。
「弁財さんはピンと来ないかもね?でも宝ちゃんならわかるでしょ?」
「『わかるでしょ?』って言われても……」
うーん、と頭を捻らせる宝ちゃんの様子を見て、まあ宝ちゃんが察することができないのも仕方ないのかな?とボクは思い至った。
だって、宝ちゃんが見続けて来たのは、常に吉祥家にベッタリな情けない市杵ちゃんだったのだろうから―――
「つまりね?市杵ちゃんはボクや宝ちゃんといる時と、母親として弁財さんと過ごしてる時とで滅茶苦茶ギャップがあるってことだよ。普段は無駄にカッコつけた姿を見せていたから、ボクらにウザがらみしている素の姿を見られたくなかったんでしょ?」
ほぼ正解だって確信はあったけど、それでも一応と未だビービー泣き続ける市杵ちゃんに聞いてみる。
ってか娘にみっともない素の姿を見られたショックで幼児退行してんのか?
現在進行形で情けなさ過ぎだけどいいの?
そんな母親の痴態を見せられ続けてる弁財さんが可哀想過ぎない?
「うっ……うっ……伊呂波ちゃんの言う通りであってますぅ……でも『カッコつけてる』とか『ウザがらみ』とか伊呂波ちゃん厳しいぃ……もっと優しくしてぇ……」
黙れポンコツ。
ちょっと優しくしてあげてもいいかな?って同情するレベルでヘタレ過ぎだよ……。
「そういうことかぁ……それにしても市杵あんた……下らない。下らなすぎるよ……」
ボクの説明でようやく納得できた宝ちゃんが、なかなかのドSっぷりを発揮して他所の家のママ様を詰り始めた。
もう見てられないから、それくらいにしてあげたら?
「『下らなく』なんてないですよっ!」
吠える市杵ちゃん。
感情の揺れ幅が激し過ぎる。
情緒が不安定過ぎだろ……。
「憧れの母親像が崩壊したショックで狭依がグレて『˝あ~マイセンうめぇ』とかっ!?『ごっめ☆妊娠しちゃった。堕ろすから金ちょうだ~い☆』とかって言い出したらどうするのですかっ!?ママ寝込むわよっ!いいのっ!?ねぇっ!?いいのっ!?」
「……いや、ねぇよ」
「この子昔っから誇大妄想の癖があるのよね……そこは流石に可愛くないわ」
「いくら妄想とはいえ、娘を妊娠させるのやめてくださいよ……それに、タバコとかもう絶対に吸う気ありませんし……」
ヒステリックおこした市杵ちゃんはボクらから総スカンだった。
発想がネガティブ過ぎる……。
てかたとえ妄想といえども勝手にグレさせられた弁財さんが憐れ過ぎるわ……。
「はぁ……お母様が吉祥家の皆さんとの関わりをひたすらに隠し続けていたしょうもない理由も、過去に私に言ったあの言葉の真意も一応は理解することができました……でもまさかこんな、娘に見栄を張りたいが故のアホらしい理由だったなんて……はぁ」
ようやく事の真相を知れた筈なのに、その下らなさにドッと疲れてしまったのか、弁財さんは病室の壁に手を付いて頭を抱えていた。
可哀そうに……尊敬していた母親が実はこんなにポンコツだったなんて。
真相を知った衝撃は途轍もなかっただろう……ドンマイ弁財さん。
元気出してっ!
「あっ!幼い頃より気になっていたのですが……月に一度くらい、お母様が上機嫌でめかしこんで出かけていたのは……」
「私の完全オフが月に一度くらいだけど、その時は決まって市杵が家に遊び来るよ?」
「そんな……私はてっきり―――」
宝ちゃんの返答に、納得しつつもさらにグッタリ疲れた様子の弁財さんが、何やら幼き日の疑惑とやらを語り始めたのだった―――
―――いやいや、もうボク、家に帰りたいんだけど……。
弁財家の諍いは、弁財家で済ませてもらえないかな―――
◇




