<第四万(よろず)。‐氷解の神様‐> ②
◇
クラスの委員長こと弁財狭依が突然教室を駆けて出ていき、それを見送ってから幾分かの時間が経過した。
残されたクラスメイトが一丸となって、荒らされた机の周りの清掃を粗方終えたその頃―――
「委員長大丈夫かな?ってかそろそろ、先生が教室に来るんじゃない?」
「保険医呼びに行ったやつも帰ってくるかもなぁ」
「伊呂波ちゃんと毘沙門を探しに行った奴らにも連絡入れとくか。一回戻って来いって」
どんちゃん騒ぎが常である八百万学園。
この学園で生活を送る学園生は非日常に慣れ親しみ、非日常な出来事への対応力や包容力に長けている。
さらには吉祥伊呂波というトラブルメーカーを擁するクラスに所属していたために様々な騒ぎを傍で見ていた経験が存分に発揮された結果、クラスメイトたちは起こった非常事態への対処を難なく済ませていた。
清掃も済ませ落ち着きを取り戻しつつある教室内で、各人銘々に後片付けや連絡を取りあっていたその折に、教室に来訪者が訪れた。
「おい、弁財はいるか?」
「あれ?布袋先生と、毘沙門君!ちょっとぉ!探してたんだよ!?」
「え?すまん……そうだったのか。ちょいと先に済ませたい用事があってな。何か用でもあったか?」
「おい鞍馬。お人好しも良いが今は後回しにしろ。弁財の方が先だ」
クラスメイトの女子からの不満を聞き入れて、詳しい話を聞く体制になりかけた鞍馬の肩を掴んだ布袋は、『そんなことしてる場合じゃないだろ』と言外に含めながら咎めたのだが―――
「その弁財さんのことで毘沙門君がいなくて困ってたんですよぉ!」
「なに?」
教室の入口に現れた毘沙門と布袋の姿を見つけた他のクラスメイトもその場に集まり始め、口々に状況の説明や不満の訴えを重ねる。
「委員長が大変だったんですよぉ!机とかめちゃくちゃ汚されててっ!」
「タバコのゴミとかもバラ撒かれてたんですよっ!臭いとかもうホント酷くてっ!」
「委員長ゲボっちゃったんっすよぉ。まあありゃ俺も吐きそうになったけど……」
「委員長すっごいヘコんじゃってて……私たちが声かけても全然反応しないし……」
「だから委員長と一番仲が良い伊呂波ちゃんとか毘沙門頼んだ!って思っても2人とも教室にいねーし!」
「どうにか委員長を落ち着かせようって思ってたら……ねぇ?」
「うん……委員長、急に教室を出て行っちゃったし……」
クラスメイトから湧き出たいくつもの証言により、事態が思わぬ方向へと発展していたことを、毘沙門と布袋はようやく察することが出来た。
「クソッ……!そんなことになってたなんて……それで委員長は今どこにいるんだ!?」
急激な焦燥感が湧き始めた毘沙門はクラスメイトに尋ねたが、皆が顔を見合わせ『弁財の現在地』についてはわからないといった反応を見せていた。
「誰も追いかけなかったのかっ!?」
「だって、ひとりになりたいのかと思ったし……」
「私もあんまり委員長と話したことなかったから、お節介かもって思ったら……」
「だから毘沙門たちを探してたんだろっ!?2人なら何とかしてくれるかもって思ったんだよっ!それなのにお前らいねぇし!」
「っていうことなんだよねぇ……そんで私たちは私たちに出来ることをしようってことでさっきまで掃除してたってわけ」
「そうか……怒鳴ってすまない。役に立てなくて悪かったよ……ありがとな、みんな」
弁財を追いかけなかったことを咎めた鞍馬だったが、確かにその場にいなかった自分が非常事態の対処を行っていたクラスメイトたちを咎めるのはお門違いだと思いなおして、謝罪の意を示した。
「でもな、俺と伊呂波も委員長の為に―――」
「それで伊呂波ちゃんはどこで何してるのっ!?」
「……は?」
五限目の授業中に布袋に今までの事情を説明し、件の不良生徒を生徒指導室に呼び出して事情の聞き取りをした後に、その不良共には停学処分が正式に言い渡された。
停学処分となった不良たちには帰宅指示が伝えられ、落ち込みながら生徒指導室を出て行ったそいつらを見送ったのが、六限目が半分ほど過ぎた頃。
不良共が弁財を逆恨んで直接手を出そうにも、授業中で衆人環視の中で行うことはないだろうと鞍馬たち3人は結論付けた。
だからこそ六限目の残り時間では、布袋からも教員として知っていた情報を教えてもらい、ようやく原因となったすれ違いと逆恨みのあらましの全容を理解した伊呂波と鞍馬であった。
六限目終了のチャイムを待った後に、3人で弁財に事の真相を説明しようと教室に戻って来た筈なのだから、『伊呂波なら俺の後ろにいるだろ』とさっきまでいた筈の姿を探して後ろを見ても、果たしてそこには在った筈の人影はなかった―――
「せ、仙兄……さっきまで伊呂波、一緒にいたよな……?」
「だから『布袋先生』だろうが……あのクソチビ野郎……いつも1人で勝手に何処かに行きやがって……」
「あいつが急にいなくなる時は決まって……」
「あぁ、またぞろ騒ぎを起こしてやがるぞきっと……」
トラブルメーカーの失踪に、残された2人は過去のアレコレを思い出し、片や痛み始めた頭を抱え、片や力が入りヒクヒクと動くこめかみを指先で揉み解した。
「鞍馬っ!お前はとにかく伊呂波を探し回れっ!俺は恵比寿を呼んでくるっ!あいつが今回の事情を一番把握してるはずだっ!あの不良共が行きそうな場所も知っているかも知れねぇからなっ!」
「わかったっ!多分何となく伊呂波の位置ならわかると思うからっ!ちゃんと場所がわかり次第連絡するっ!」
「おうっ!恵比寿に聞いた場所と一致してればそこがビンゴだっ!この学園は広過ぎるからなっ!闇雲に探し回っても時間を無駄にするだけだっ!それで行くしかねぇ!」
急に焦り急く様子の2人に置いてけぼりを喰らったクラスメイトをその場に残し、鞍馬と布袋はそれぞれの目的を果たすべく、走り出したのだった―――
◇
時間帯、そして場所の立地も影響してか、徐々に人気が少なくなっていく廊下を走り抜け、弁財はようやく教室棟からは程遠い第三専門施設棟まで辿り着いていた。
時間の経過と走り続けた疲労により、弁財の脳内には落ち着きや冷静さが取り戻されつつあったが、逆に身体は運動による疲労感や嘔吐したことによる倦怠感に苛まれていた。
(よう、やく……はぁ……はぁ……辿り着きましたか……)
渡り廊下を抜けて第三専門施設棟の校舎に足を踏み入れた弁財の心の中には、多種多様な想い、後悔や恥ずかしさが去来していた。
先程までは切羽詰まっていたために、自分を取り巻く人々の思いまでをも考える余裕などはなかったのだが、まともな思考が出来るようになってしまった現在では、嫌でも思い出させられ、考えさせられる。
自分の机周りの荒れ様や、気遣い声を掛けてくれたクラスメイトの面々。
特にクラスメイトには、いくら思い出そうとも申し訳なさしか抱くことが出来ないほどの迷惑をかけてしまった。
今日までは手のかかる人たちだと、理解し合えない世界の人間だと、そう思っていた。
息を整えた弁財は、上階に向かう階段を見つけ、四階を目指して階段を昇る。
(正直、見下していた……無知蒙昧な人たちだと、彼らを見て優越感さえ感じていた)
―――でも、実際には違った。
教室で嘔吐してしまった私を遠巻きに笑うこともなく、私を心配し声を掛けてくれていた。
気遣うように背中を撫でてくれて、汚物で汚れた口元さえもわざわざ濡らして来たハンカチで拭ってくれた。
他人を見下し自尊心を慰めていた冷たい私なんかとは違って、人のことを損得や清濁を抜きで思いやれるクラスメイトは、よっぽど温かく思いやりがある『立派』な人間だった―――
(恥ずかしい……私は、自分が利口でいるつもりでいて、その実誰よりも愚かで……他人のことを理解していると勘違いをしていたけれど、誰よりも人のことを知ることが出来ていなかった……)
一段、一段と、よろめく両足を無理矢理に前へと出して、目の前の階段を昇っていく。
手に握りしめている紙には、四階が目指す場所と記されている。
その四階の、なんと遠いことだろう―――
(教室に戻ったら、まず、お礼と謝罪を……そして、向き合おう……今度はちゃんと……クラスメイトのみなさんと……そのためにも―――)
―――決着を付けなければいけない。
吉祥伊呂波との確執を解消して、取り戻すんだ―――私の大切なものを。
そして、ようやく始められる―――クラスメイトとの新たな関係を。
(おぼろげな記憶しかないけれど、今思い出しても、やっぱり吉祥伊呂波はいなかった)
彼の声は聞こえなかったし、クラスメイトの誰かも吉祥伊呂波の不在について言っていた気がする。
吉祥伊呂波と毘沙門君を探しに出た人までいたようだった。
きっと待っているはずだ。この階段を昇った先に―――
(見えてきた……やっと、ここまで来た……)
遠い道程だったその階段もようやく終わりを迎え、私は第三専門施設棟の四階に足を踏み入れた。
(まずは冷静になろう……そして、終わらせる。吉祥伊呂波との全てを、今度こそ……)
乱れた呼吸を整えるように深呼吸をして―――
(吉祥伊呂波は、一体どこに……)
吉祥伊呂波を探すために動き出そうとした、その矢先―――
「―――よう弁財、ようやく来たか」
階段前から歩き出そうとした私の目の前に、3人の男子学園生が姿を現した―――
◇
「てめぇ……!書いた通り誰も連れてきてねぇだろうなっ!」
「毘沙門や布袋の野郎にまた助けてもらおうとか思ってんならマジ殺すからなっ!」
(なぜ、ここにこの人たちが……?)
てっきり吉祥伊呂波が出てくるものだと思っていた。
一緒に出てくるとしても、毘沙門君くらいなものだろうとも思っていた。
それなのに、私を待っていたと言ったのはこの3人だけで、吉祥伊呂波の姿はこの場にはなかった。
私と知り合った経緯はどういうもので、この3人は何処の誰なのかは、お昼休みにした吉祥伊呂波との会話でもうすでに思い出している。
いつの日か私が校舎裏で注意した喫煙の疑いのある不良学園生で、さらには三限目への移動の時に私を恫喝した人たち。
「なぜ、あななたちがここに……?吉祥伊呂波は……?」
「あぁ?伊呂波ぁ?お前を呼び出したのは俺たちだ」
「……え?」
私の予想を裏切るように発せられた言葉の内容は、初めは私に困惑を齎し、そして次第に新たな予測へと形を変えていった。
「あなたたち……吉祥伊呂波と裏で繋がっていたんですねっ!それで手を組んで私を貶めようとしていたんですねっ……!」
いつからかはわからない。
もしかしたら、あの校舎裏の時点で既に吉祥伊呂波と目の前の3人は繋がっていたのかも知れない。
「はぁ!?てめぇなに意味わかんねぇこと―――」
「待てっ!……おい弁財、よくわかったなぁお前。流石だよ、その通りだ。お勉強が得意なことはあるなぁ?」
「おいっ!何言ってんだよっ!別に伊呂波ちゃ―――」
「うるせぇ!いいから黙ってろ……どうせならあいつも道ずれにしてやるっ……!」
「なるほどな……」
「面白ぇじゃんそれ。そうなったら少しはスッキリ出来そうだしよっ……」
不良たちは私を睨みつけながらも、小声で何事かを言い合っている。
その内容までは、私の耳には届かなかった。
だけど、今が唯一のチャンスかも知れない。
吉祥伊呂波との話し合いを想定していたけれど、この3人を相手にするとなれば分が悪いにも程がある。
いかにも粗暴そうな人たちだし、暴行されてもおかしくない。
何よりここは人気がない場所であり、助けを呼ぼうにも期待できないのだから。
私ひとりで切り抜けるしかない。
私への注意が薄れている今ならば、そう思い身体の向きを変えようとしたけれど―――
「おいっ!逃げんじゃねぇぞっ!弁財っ!」
「『コレ』を取り戻しに来たんだろうがっ!」
そう言って、後ろ手に隠していたであろう私の持ち物、鞄や教科書、ノートの類。
そして、他の何よりも大切な、お父様からプレゼントされた私の『筆入れ』。
それらを私の目の前に見せつけるように、嫌らしくも掲げてきた。
「そ、っれ……私の、大切な……」
目当てのモノを差し出され、私の目は惹きつけられる。
今この機会を逃せば、もう一生取り戻せないかもしれないという不安が、逃げ出そうとしていた私の動きを止めさせた。
それでも、『筆入れ』も彼らの言葉も無視して、逃げ出すべきだったのだ。
―――そうして私は失ってしまった。
逃げ出せたかもしれない唯一のチャンスを―――
逃げ出す構えを見せた私を警戒したのか、不良たちはニヤニヤとにやけたり、睨みつけながら私に近づいてきた。
「ひっ……!い、や……来ないでっ!」
逃げようとした私の肩や腕は、願い叶わず3人に捕まえられ、力一杯引っ張られた。
「いっ!いやぁっ!やめてっ!触らないでっ!」
「ギャーギャーうるせぇっ!」
「暴れんなコラッ!」
「はなっ!離してぇっ!誰かっ……!助けてっ!誰―――んぐっ!」
1人の手が私の口を塞ぎ、声を出すのを封じられた。
いくら逃げるためにもがき暴れようとも、男子3人がかりでは大した抵抗にもならず、私の身体はズルズルと引きずられて階段から離れつつあった。
―――私たちが騒いでいたのが幸いしたのか、階段を駆け上がってくるその足音には、私を含めた誰もが気付くことはなかった。
(いやっ!嫌ぁっ!)
「~~~っ!~~~っ!」
「ぜってぇ許さねぇからなっ!教師にチクったことを後悔させてやんよっ!」
「よしっ!どっか適当な教室に連れ込むぞ―――」
―――私の耳に微かに聞こえてきた新たな足音は、一瞬止んだかと思うと。
次の瞬間―――
「くたばれぇっ!クソ共がっ!」
「うげっ!」
ドゴォッ!という音と共に、私の身体、というよりも私の口を押えていた手越しに衝撃を与えてきた。
誰かの罵声と、また別の誰かの呻き声。
そして謎の衝撃の後に、私の口からは押さえられていた手の感触が消えた。
「死ねダボハゼッ!」
「痛ってぇ!」
「お前もじゃボケカスッ!」
「うぐぁっ!」
誰かの悲痛の声が聞こえる度に、私を押さえていた手の拘束が解けていく。
恐怖で目を閉じていた為に状況の変化を目視確認できなかったけれど、私以外の第三者によって、私を襲っていた暴行が鎮められたことだけは理解できた。
しかし、だけど―――
(今の声……なんで……?『彼』が……?)
発せられた罵声の内容や怒りを露にしたその声音は、今までに一度も聞いたことのないものだったけれど。
それでも一度聞けば誰のものかがわかる、その特徴的な声音。
私は、目の前に広がる現実を確認するために、恐怖で強張った瞼を開いた。
その先で―――
「はぁ……はぁ……『さよちゃん』……いや、弁財さんっ!大丈夫っ!?」
肩で息をしている『吉祥伊呂波』が―――
私に微笑んだ―――
◇




