<第三万(よろず)。‐半解の神様‐> ⑤
◇
「―――たしか、タバコを吸っていた3人組の不良を注意した時のことですよね……?」
「その時にもっと強く止めておくべきだったんだけど、今悔やんでも仕方ないか……その時に注意した人たちの顔、覚えてる?」
「まぁ、しっかりとではないのですが、朧気には……」
「そいつらには最大限警戒しておいて。なるべくなら、いや絶対に近寄らないように気を付けて。お願いだから」
そう言い深々と頭を下げる吉祥君の姿など、今まで見たことがなかった。
『あなたのお願いを聞く義理などない』と、そう答えようとした私の目の前に現れた、常の彼の姿からはかけ離れたその真摯な懸命さは、私の口を噤ませるに十分過ぎるものであった。
「もし嫌ってるボクのお願いでも聞いてくれるって約束してくれるなら、ボクは弁財さんに絶対に損はさせないと約束する」
「損とか約束とか、あなたは一体何を言ってるんですか?私にはあなたの言っている意味が全然分からないんですけど……」
ずっと頭を下げたままで話しているものだから、吉祥伊呂波の表情を読み取ることはできなかったけれど、私は彼の発する声音から誠実な丹心を感じ取ってしまった。
(い、けない。騙されちゃダメ……もし疑いを捨てたそばからまた騙されたら……)
けれど、だからと言ってこの人への警戒心を解いてもいけないと、そう自分を戒める。
この素振りすらも、そして真面目な声音すらも他人を欺く為の演技かもしれない。
その可能性や騙されることへの恐れを、僅かでも捨ててしまいそうになっている自分を律しなければいけない。
「そもそも、なんでいきなりあの日のことを……いえ」
(これ以上、この人の話を聞いてどうする。話を聞いている今の状況こそ、思うつぼなのかもしれないのに……甘さは、捨てるべき……)
状況に対応しきれてない混乱した思考をリセットするために頭を軽く振り、ひとつ深呼吸をしてから、低くなった吉祥伊呂波の頭を見つめ、いや……睨みなおした。
「『お願い』『お願い』って、あなたにはそれしか言うことができないのですか?」
「うん。今ボクが弁財さんに言えるのは、それしかないから……」
「……他に言いたいことがないのなら、私はもう教室に戻ります」
低頭を続ける吉祥伊呂波を残して、私はその場を去るために踵を返す。
吉祥伊呂波はこれが最後だと言った。
それならば、私も―――
「それと、最後に私からもひとつ言わせていただきますけれど……あなたの『お願い』がどういうものであれ、私はそれを叶える気はありません。最後と言い私を引き留めたこの時間は、私にとってもあなたにとっても無駄なものでしかありませんから」
そう言い残し、改めて教室に戻るべく足を動かした。
「……うん。わかってる。でもお願い」
「っ!だから―――」
「お願いします」
もうこれ以上、私がなにを伝えようとしても無駄だろう。
私も彼も同じ言葉を繰り返すのみで終始し、将棋の千日手のような状態に陥ってしまっているのだから。
「これで、最後ですものねっ!もうあなたのことなんて知りませんっ!どうぞ私に関係の無い所でご勝手にやってくださいっ!」
これ以上、吉祥伊呂波の言葉に耳を傾けないように、意識的に聴覚から得られる情報を無視して歩みを進める。
しかし、もう背中に投げ掛けられるような声は聞こえては来ず、彼も先の言葉を最後に、私に何かを伝えるのを諦めたようだった。
校舎の角を曲る直前、最後に見た真摯に頭を下げ続ける吉祥伊呂波の姿に後ろ髪をひかれ、チラッと後ろを見やると、果たして吉祥伊呂波はもう私のことなど見ていなかった。
依然として泥に塗れて汚れてしまっている彼は、空を見上げる様に視線を上げ、校舎の遥か上階にある窓を睨みつけている。
その鋭い目つきで何を見ようとし、何を思っているのか、私には全く分からない。
五限目に出る気などないようにその場を動かない吉祥伊呂波から視線を外し、私は授業に参加するために教室までの帰り路を辿った。
場所や道順は異なるけれど、前にも一度だけ五限目の授業に遅れないように薄暗い校舎裏を駆けたことがあった。
その時には、吉祥伊呂波も隣を走っていたはずなのに―――
(あぁ、そうか……思い出した)
その光景の何が私の記憶をくすぐったのかは定かではない。
けれど、その瞬間にふと、私の中に蟠っていた、思い出せないもどかしさを氷解させる一つの記憶を思い出させた。
(吉祥伊呂波や毘沙門君がお昼休みに私の席まで来るようになったのは、あの次の日からだったっけ)
さっき吉祥伊呂波の言葉で思い出した在りし日の一幕。
その日を最後に、私の静かな独りきりの昼休みは終わりを告げ―――
そして、きっと、また―――
明日から再び、孤独な昼休みは返ってくるのだろうと、私はそう思った―――
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