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僕の帰り道、僕だけ

作者: 佐藤九日

 仕事の休憩に、昔の文具箱を広げていると、懐かしいものがでてきた。ピンク色のシャープペンシル。高校3年のとき、ある女の人から、芯の太さが太すぎて使わない、というのでもらったものだった。

 20年も前のことなのに、なぜだろう。そのペンを見ると、緩やかに流れる小川のように、りゅうりゅうと記憶がよみがえってくる。

 

 過ぎ去りし災難を記憶すること、いかばかり楽しきか、とクラウデウスは言った。クラウデウスがだれかはよく知らない。

 高校3年の3月にあの子と分かれた。分かれたというのは、つまるところ、交際のあった男女に亀裂の入ったことではなく、道が分かれたという意味だ。高校3年の素晴らしき春、僕たちは自分の望んだ次の場所へ、前進した。

 あの子とは、小学高学年からの付き合いで、幼馴染と言えるか言えないのか、正直わからない。そういう風な関係があっただろうか。その間には、もっと何もない空間があったような気がする。

とにかく彼女は、小学校1年生のときから、おとなしく陰気な僕とは正反対だった。何もかもだ。女子のリーダー的存在だったし、成績もスポーツもよくできて、学年の半分の人間の顔も知らないような世間知らずの自分の周りにも話が聞こえてきて、僕でも顔は知っていた。その子は、いわば、総理大臣のような人だった。

 小学5年生、はじめて彼女と同じクラスになった。僕はいきなり、その子に呼び捨てされた。ほんの最初はあだ名だった気がするけど、何か事情があったのか、彼女は僕をしたの名前で呼び始めた。正直怖かった。

 その子は、なんだか知らないけれど、よくちょっかいをかけてくるようになった。僕は複雑だった。だれでも、きっと、総理大臣が急に話しかけてくればいろいろ思うことがあるだろう。学年の有名でヒエラルキーの高い女子に話しかけられるのは、ちょっと誇らしかったけど、どういうわけがあるんだろうと思ったりした。

 彼女は、たぶん男子のほとんどから好意を持たれていた。それゆえ、いやがらせをされていた。変なあだ名でよばれたり、ちょっとひどいこともされていた。殴ったりけったりもしていた気がするけど、本気で傷つけようとはしていなかった。あれは、パンチとかキックとか、そういうお遊びだったのかもしれない。でも、あまりにひどいことをされている(ように見えた)ときは、さすがに助けた。僕は遊びでも人を傷つけたりしたくなかった。あのころは。あのころは、僕は何もかも許していて、何にも怒ってなかった。

 彼女は、そのうち、僕をたたいたり蹴ったりするようになった。もちろん、遊びだ。僕が彼女をからかい、怒りゲージがたまると、僕は攻撃をうける。そのときは、僕とその子との関係を埋めるものだと思って気にしていなかったし、そういう風に流れていく日々も楽しかった。

 いつからか、その子と僕とが付き合っているとか、そういう話が出てきていた。僕は困った。そのとき、僕には憧れている人がいて、勘違いをしてほしくなかった。

 その時期たまたま、座席が前後の席だった。給食のとき、隣の彼女から、「さっき男子になに言われてたの」と書かれたメモ用紙が回ってきた。僕は、そういう話をするのが苦手だったから、何でもないと答えた。彼女はしつこく尋ねた。実はこのとき、自分でも恥ずかしくなることだが、彼女はもしかして僕に気があるのではと思った。気があって、照れ隠しに、そんなことはないとくぎを刺したいのかと思った。許してほしい、小学生だもの。そう思ったわけで、なおさら恥ずかしくなって言えなくなってしまったのだった。

 真相は違った。彼女は、僕と同様、勘違いをされたくない相手がいたようだった。

 今思えば、もう一つの可能性に気付かなかった愚かな独りよがりな11歳の男子に、鉄槌を下したいばかりだ。まあ、救いは、すべては僕の脳の中で終わったことだったが。

 その相手は、男子のなかでヒエラルキーの高い、彼女と確かに釣り合ういい男だった。彼と彼女は、おそくとも卒業式間近からもう交際を始めていた。

 それを知ったとき、なんだか、僕の中で嫌な気持ちが目覚めた。恥ずかしい妄想に入っていた僕は、それに気づいて赤面しただけではなかった。彼女はなんのために僕と仲良くしていたのか、と再び強く考えるようになった。

僕は彼女に好意を持ち始めたのだった。

 僕たちの学年はほとんどの人が、同じ中学校に入った。二つの小学校の卒業生が合流して、人数が倍になるので、人混みを苦手とする僕にとっては面白くない話だった。僕にとって良い話だったのは、中学に上がる最初のころには、彼女と彼は別れていたらしいということだった。

 僕と彼女は同じクラスになった。僕は、うれしかった。中学にあがっても僕と彼女の間柄は保存されていたので、下の名前で呼ばれ、憎まれ口をたたかれる、という関係のままだった。(ただ、暴力をふられることは減っていた。これには正直助かった。僕の力は中学女子の腕力のもとにひれふすほど貧弱だったから。恥をかかずに済んだので礼を言いたい。)変わったことと言えば、僕は彼女に言い返せるようになったということだ。つまり、女子に一方的にやられるひ弱な男になるまいと、格好をつけはじめたのだ。だが、彼女は自分より一歩上手だった。口喧嘩の才能まであったとは驚き見上げたものだ。

 ただ、何が変わろうと、僕は彼女の名前を呼び変えたりはしなかった。彼女は僕に対等を望んではいないのではないかなという思いがあったからだ。糸が切れたみたいに、彼女と僕の関係は、不意に無に帰してしまいそうな風に、僕は感じていた。彼女は何のために自分なんかと仲良くしているのかという疑問が、まだ解かれていなかったからだ。

 彼女は僕に勉強を聞くようになった。聞くのはいいのだが、頭の上から顔をかぶせてくるので、長い髪が首に刺さって痛かった。パーソナルスペースがせまいのだ。それでも、彼女が僕に頼ってきていて、周りから仲がよさそうに見えていることを誇りに思った。彼女と仲がいいせいか、そのクラスの中での僕のヒエラルキーは結構上がっていた気がする。僕は結果的に、彼女を盾にして、利用して、高ぶり始めた。クラスのやんちゃな連中ともつるんだし、学級委員に選ばれた学期もあった。他人と話すとき、僕には自信があった。ただ、僕は当時、それが彼女と仲が良かったせいだとはしなかった。自分だって、やればできるのだと思った。まるきり、虎の威を借る狐だった。 

そのとき、結構長い間僕の心に影を落とすことになる事件が起こった。クラスにいじめられている子がいた。前の学校から持ち上がりでいじめられているパターンで、無視をされたり、その子の机は汚いとか言われていた。僕は、そういうのをやるのはかわいそうだと思った。だが、口には出したことは数回しかない。その子とは、仲が良かった。でも、僕はそのクラスでの立場をぶち壊すことはできなかった。どっちにもいい顔をしたかったのだ。誰にも怒りを向けられることは嫌だったし、怒りを向けるのも嫌だった。

 そんなある日、班活動で机を移動するとき、彼女は、その子の机は持てないから、僕に持ってくれと言った。結局僕は彼女に従ったのだけれど、僕は、怒りを、というか、失望を覚えた。失望できる義理は僕になかったのだけれど、そのときは、僕は本当に、これはよくないなと思った。僕はよく考えたら、彼女のことをよく知らなかった。他人を傷つけたりすることにためらいがない人間であってもおかしくはないのだ、と痛感した。でも、彼女は優しかった、僕に対しては。でもやっぱり、このまま、彼女を想うことに疑念を覚えた。正直今思えば、あの場にいた僕たちはみな同じだけ罪深いのだが、僕は自分が正しい選択をしていて、つまり、そのいじめられていた子と仲良くすることは、その子を支えることであり、みんなに反発することができなくても正しいことなんだと信じていた。ゆえに、僕はこれからも正しい選択をしなくちゃいけなかった。彼女への思いを捨てるかどうか、僕は迷い始めた。

 迷ったあげく、彼女への対応もつっけんどんになったりして、

 話しかけられても、聞こえないふりをしてみたり、そんな不毛なことをしているうちにもう二年の半ばだった。二年も僕は彼女と同じ教室だった。でもそのころには、僕たちの間では、以前に比べて会話が少なくなった。席が離れたらもう話さないし、わざわざ勉強を聞きにきたりはしない。それは、別に彼女が僕を避けていたわけではない。彼女は自然だった。

 僕は、何とも言えない日々を過ごしていた。話さなくなったのは、僕に時間を振り与える余裕がなくなったからだろう、と思った。ちょっとだけ、覚悟を決めた。

 僕は、彼女に、交際相手ができたらしいことを耳に挟んだ。やっぱりと思った。彼女から、その人に思いを告げたとか。しばらくして相手がだれかも分かった。そいつは、一年のクラスのいじめの主犯で、たばこを吸う不良だった。かなり、衝撃だった。そのあとすぐ、そのせいじゃないだろうけど熱が出た。僕は、まさか自分が失恋で泣くまいと思っていた。僕は、泣いたら免疫が下がるなーとか思いながら、ベッドの上で涙を流した。上を向いていたので、涙が横に垂れてこそばゆかった。僕はやはり、彼女のことを嫌いになれなかった。どんな邪悪な一面にも、きっとなにかあるのだろう、と思って許してしまいそうになる。だめだだめだ、僕は本当にだめなやつだ、と思いながら、僕はその事実をぽすっと抱きかかえた。熱は、上がった。

 次の席替えのとき、僕は運よく、運悪く、彼女と隣の席になった。僕は、覚悟を固めた。できるだけ、彼女と話そう。彼女の記憶に残りたい、彼女を記憶に残したい、と願ったからだ。

 僕は、たぶん初めて自分から彼女に話しかけた。何か、おちょくるようなことを言ったと思う。彼女は、いままで通り、睨んで言い返してきて、そこからまた話すようになった。彼女が普通に返してきたことは、僕にとってうれしいことでもあり、それと同時に彼女が僕としばらく話していないことを気にしていないと

分かった。僕は潔さを見せた。潔さとは、まあいい言葉だ。潔さとは、どうにでもなれという自棄になることだというのに、なんとみずみずしい響きだろう。僕は、その言葉に寄りかかって、これからの僕と彼女の関係について方針を固めた。彼女とは、これからも変わらずやろう。

 ところが、人とは、出来心というか、魔が差すというか、決めていたことに反逆して暴走しだすことがあるものらしい。ある日の理科の実験のとき、彼女と僕は共同で顕微鏡を使って、オオカナダモやらミジンコやらを観察していて見ていた。彼女は突然自分の好きな歌を口ずさむ習性があったので、顕微鏡をのぞく彼女が急に歌いだしても別に驚かなかった。そのとき歌った歌は、少し前に流行ったアニメ映画の劇中歌だった。問題はそんなことではない。 

 修学旅行の時の話になった。

「わたし、本当は君と同じ班にしてもらいたかったんだけど、ほかの人にとられた」と彼女が言い出すのだ。

 僕は、ちょっと、どきりとした。なにかを期待してしまった。そのあとの僕は、本当にひどかった。僕は、なんで同じ班が良かったのか、と訊いた。彼女は、とりとめのない理由を話した。もっともな理由だった。僕の期待したような理由ではなかったのだ。僕がひどいのはここからで、やめておけばいいものを、本当にそれだけが理由かと訊いた。彼女はびっくりしたような顔をして、別にない、他にどんな理由があるのかと訊かれた。僕は別に、と言ったきり、閉口した。

 僕は告白まがいのことをしたのだ。彼女は気づいてしまったのではなかろうか、とそれからしばらくびくびくすることになる。

 だが、それも杞憂だった。彼女は、僕の中で、何が起こっているか知ろうという視点はなかったみたいだった。別にそのことは彼女を貶めたりしない。誰もが、本当に大事なこと以外に時間は割きたくないと思う、僕もそうだから。でも、すこし悲しく思ったりした。

 これで、中学二年生の彼女に関する記憶はもうない。これから困ったのは、中三の話だ。僕は、彼女と同じクラスにならなかった。彼女と同じクラスになれなかった僕は、そのことを悲しいなと思った。それだけをただ感じた。

 だが、僕は甘すぎた。彼女のいないクラスで、彼女がいるクラスと同様に振舞おうとした。それは最悪の結果を招くことになる。

 彼女がいることで、僕のクラスでの立場はよかった。彼女は、僕のシールドだった。だが、それがないのだから、僕の肩身は一気に狭くなった。僕は、進級最初のころから、さっそくクラスの男子のリーダー格みたいなやつに嫌われてしまった。そいつは運動神経が良かったから、体育のときは、陰口を仲間のなかで叩かれたり、嫌みを言われたりした。いじめというほどではなかったけど、それよりも、自分単体で見られれば、自分には何の価値もないのだということ、僕は誰かの魅力に縋り付いて2年間過ごしていたこと、それで偉そうにしていたこと、その真実が重くのしかかってきた。僕はなされるがままにつぶれた。ひ弱だ。僕はひ弱だ。

渡り廊下を歩けば、あの人に会うことがよくあった。僕は、よく名前を呼ばれる。僕はああ、とかうん、とか返すのみだった。彼女は、体育委員会の委員長だっけ、1組の学級委員だっけ、体育祭の色長だっけ。僕は彼女に出くわすことがないときでも、ひっそり、あの人のいる教室の前を通らざるを得ないとき、いやでも考える。この箱の中で、彼女は前に進み、いろいろの感情を引き起こして、生きている。その場所に僕はいなかったし、いる必要なんてない。僕が、その中で、あの人と感情を分かち合って、記憶に焼き付けたいと思っても、それはできないのだ。

 僕は、ただ、この場所から、卒業することを願った。

 冬のある日、自転車小屋で数人の女子に取り巻かれている彼女を見た。僕はほかの人がいたら話しかけるまいと思って、構わず自分の自転車を小屋から取り出そうとした。すると、彼女は僕の名前を呼んだ。無視するわけにいかないので、僕は振り向いた。

 彼女は、その日の体育での僕の醜態を笑った。バスケットボールの授業で、僕はドリブルができず、シュートの前に手が滑って女子のほうにボールをほうりだして恥をかいたのだ。彼女は、僕がボールと友達になってないと言った。僕は、嫌みを言われ慣れていたし、彼女の言葉では僕は傷つかなかった。

 ただこのとき、ちょっと悔しかった。せめて僕は、ボールと友達になろう、と思って、その次の土日にバスケットボールをスポーツセンターで買った。それから家でボールをつく練習をするようになった。家の近い幼馴染からは、パンでもつくってるのかと言われて、即興でパン屋を始めるのだと冗談を言った。ともかく、僕は自分がボールをつけるようになって、そのことをいつか、彼女と離れてしまう前に見せびらかしてやりたかった。結局見せず仕舞いだったけれど。

 3月、僕は卒業した。このクラスで、卒業を迎えることを苦々しく思った。泣いているやつもいたけれど。彼らにとって、いかばかりこのクラスが思い出深いものだったか、わからない。分かろうともしなかった。

 ところで、卒業アルバムの後ろには、数ページ自由に書いていいという白紙のページが閉じこまれている。ここに友達同士、いろいろのことを書きあうのである。楽しかったね、とか、これからも友達でいようね、とか。僕は、友達にそれを書いてもらうことを拒んだ。小学生のころは、いろんな人に書いてもらって、あとで見返すとうれしかった。でも、ここでは、そういうことはやらないほうがいいと思った。ここには、僕が自分でなにかを書いておこうと思った。

 本当にどうでもいいことだが、なにかを書いておこうと思った僕は何も書くことがなくて、なし崩し的に、とりあえず「みんなが幸せになりますように」と書いた。みんなというのは、ぼくを嫌って嫌な言葉を言ってきたやつも、あのひとの彼氏のヤンキーもみんな含めていた。どういう気持ちでそれを書いたのか、覚えていない。僕は、中学卒業を最後に、すべてを許そうと思ったのだろうか。そして、自分もすべてを許してほしかったのだろうか。

 高校1年生になった。彼女は僕と違うクラスになり、階まで違った。僕は、二度と同じ轍を踏まぬと誓った。僕は、できる限り、人の名前を覚えることをやめた。去年のいやがらせとかをまだひきずっていたし、あのひとがいないクラスでは僕は自信をまだ持てなかった。おとなしく、静かにしていよう、と思った。

 ところが、僕は席がとなりになったある女の人の名前を、覚えてしまった。下品なことに彼女にほれてしまったのである。そのとき、あの人は、まだあの不良と会っているだろうし、僕がいくら彼女に依存してもいいことはない。この機会にすっぱりときってしまえばいい、と思って、僕は自分を止めなかった。

実は、その人のことはよく知らないまま好きになった。話したこともあまりないのだ。だが、隣の席にいるとき、普通にいい人だとは思った。いい人だというのは、ただこのなにも知らない僕が観測者であったから出しえた結論であって、もっとその子をよく知る人であれば、その闇についてべらべらと語ったかもしれないけれど。

 外観からすれば、おとなしくてまじめだった。だけど、少数の心開ける友人の間では、ときどきそうではない片鱗を見せていたのが、とてもミステリアスだった。そこに、静かにあふれる生命力があった。静かに生きているのに、力強い。それが良かった。僕も、そうなりたいと思った。僕には、自分の秘密一つに殺されそうなのに、その子もあの人も、強いことだと思った。

 2年にあがって、クラスが変わった。僕はその子に告白をして、みごと振られる。よく知らない、と言われた。そりゃそうだ、と思った。すいません、という感じだった。どうやら困らせたみたいで、相談を受けたという友達の話を聞いて、やっぱりやめりゃよかったと思った。何とかして何もなかったことにできないだろうか、といろいろの画策を働いたが、無駄だった。外に放出した感情は、ネットに書きこまれた不用意な発言と同じく、拡散し、人の記憶に残って消えないのだ。僕は、たぶん初めて人前に感情をさらけた。それも、ほぼ話したことのない相手を前に。逆に、仲良くなりすぎた相手には、たぶん僕はできない。

 その子のことを気にしている時期でも、ときどきあの人のことを考えることがあった。

言っておくが別に、これは道義的違反をおかしていない。このまま、何も話さぬまま卒業して、離れていくのは嫌だと思ったのだ。彼女ともう丸2年ほど会話をしていなかった。最初のころは廊下で会ったら、少し話したりはしていたけれど、途中からは、目があっても素通りされるようになった。卒業するときに、彼女にできれば挨拶したかったが、そんなことができる義理はもうとっくになくなっているかもしれない。

 そう思っていたところ、意外なことに3年になって、僕は、あの総理大臣と再会した。クラスの中で見る総理大臣は、もう内閣を辞職していた。朝は遅刻をし、一人でご飯を食べ、授業中はよく眠る。冬眠中の熊みたいな生活に、もはやあのとどろく政権のみる影もない。だけど、なぜだろう、前にもまして自分からは話しかけづらい。

 結局、彼女と席が近くなって、ちゃんと話せるようになったのは、12月の最初のころだった。このまま席が近くならなければ、どうなっていただろう。想像するのも恐ろしい。

 前後の席になって、僕は前よりも積極的に彼女と話すようにした。僕には、もう彼女につっけんどんにしてしまう偉そうなこだわりもなくて、ただ彼女とたくさん会話をした。今までしてこなかった、というより興味のなかった、彼女自身のこともよく聞くようになった。おかしももらった。コンビニにも一緒に行った。放課後は残って、勉強を教えてやった。

 彼女は、あたらしい、とても健全な彼氏をつくっていた。野球部で、人の好さそうな人だ。僕はよかった、と思った。ただ、僕は彼女がその人と一緒にいるところを見たらだめだと思った。きっと苦しくな

る。僕は、もう彼女に恋愛などしていなかった。ただ、僕が向けていたのは、あの机事件時の彼女の邪悪さにたいする、叱りの気持ちだったり、進路のことで泣いていたことへの同情であったり、彼女が僕に向けた数々の無関心を苦笑する気持ちだったり、彼女が僕へむける優しさの謎だったり。僕は彼女に情がある。情が移っていた。だからこそ、僕は二人の歩く姿を見てはいけない。僕はきっと、離れていくあの人に何も言うことはできない。

 それでも僕は、その日々を愛していた。もっと、この中にいたかった。僕と彼女はここから先、こんなに長い間一緒にいられない。彼女もそれを望まない。きっと、しばらくして、彼女は僕のことを昔仲良かった友人の一人として数少ない場面写真とともにしか思い出せなくなる。さらにすれば、僕のことなど記憶の底に沈んでしまうのではなかろうか。彼女の中で、僕はいなくなってしまうのではなかろうか。

 そして、きっと僕も忘れていく。会わなければ、顔も声も存在も思い出せなくなる。

 修学旅行のバスのなかで、彼女が髪にくしを通すのに、手が痛くなりながら、鏡を支えてやったことなど、そんなことあっただろうか、と。覚えている者がいなければ、その過去はなかったことになるんじゃないか、と怖かった。

 卒業するとき、卒業アルバムが配られた。後ろの数ページは、例によって、空白の白いページだった。書いてほしいか、と訊かれて、僕はうなずいた。

 かえってきたのを見ると、私との思い出はきっと忘れないだろう、いや消すなと彼女は書いていた。それは、無理なことだと思った。それに対して、無理だと書くのも野暮なので、あたりさわりのないことを書いた。忘れたくないな、忘れたくないよ、と思った。彼女は建前でも嘘でも、僕の中に彼女を残すことをのぞんでくれたのだ。僕はうれしかった。


 僕は、回想から我に立ち返り、ふう、と息をついた。手元のピンクのシャープペンを見やる。ばねがとんで、型のあうやつも見つからないので、もう書くことはままならない。僕はそいつを文具箱に戻し、ふたをぱたりと閉じた。

 あのとき、僕は祈った。新たな鮮烈な記憶の波に、あの日々が押し流されてしまわぬことを。けれども叶わぬことだった。僕は今の今まで忘れていたし、どこかで元気な彼女もきっと、今の日々に忙しく、僕との記憶の回顧する暇もないだろう。あの人と会ったことでできた、あらゆる感情の川は、川端で休む僕の目の前を今でも流れているけれど、僕はそれに気づかない。恋しいとも思わない。でも、それでいい。

 人は、苦しいこともうれしいことも等しく忘れる。それでもいつか、美しく思い出す。


 

 

 

 

 


 


 

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