一章 29 合流
雨が酷くなってきた。
鬱蒼と生える木々もさすがに傘の代わりとはならず、濡れて重くなった服を〈吸収〉し、人型から触手を四つ出した素体に戻した。
慣れている分、走るにはこの姿の方が速い。
魔樹海の奥、ニビの元へと急ぐ。
途中までナメクジの這ったような焦げ跡を残していた鉄熊の足跡が、ハッキリとした四つ足の歩いた跡に変わってきた。
ドロドロに溶けていた体が、元の熊の体に戻った、というわけではなさそうだ。
足跡は変わらず焦げている。
そばの下草が燃えたみたいだけど、雨のおかげで延焼することはないようだ。
とりあえずよかった。
ってよくないか。火元である鉄熊を倒さないことには、なんの解決もしない。
やつに追いつくまで、とにかくわかったことを整理して対策を考えよう。
ひとつ目。魔力の混じる攻撃、つまり魔法はオレに効く。
ざっくりとした考えなんだけど。
どうも魔力というのは、〈アビリティ〉によってその性質が変わるみたい。
さっきの燃える鉄塊、あれは魔力に「燃やす」という性質が付与されていた。
だからオレの何も付与されてない状態の魔力が触れると、「燃やす」という性質に引っ張られてオレの魔力も燃やされてしまう。
感覚としては溶けるって感じだったけどね。
つまり、どんなに物理的に固くしても意味はない。
オレの体が魔力で構成されている限り、オレは魔法攻撃にめちゃくちゃ弱いってことだ。
気をつけないと。
ふたつ目。その魔法も魔力を〈吸収〉してしまえば無効化できる。
性質が変わったとはいえ、魔力であることに変わりはない。
さっきの燃える鉄塊も、燃える魔力を〈吸収〉したら、ただの高温の鉄になった。
熱いだけの鉄ならこの素体には効かない。
性質の変化した魔力も、〈吸収〉すると変化前の何もない状態に戻るから、オレの体に影響はない。
以上のことから、魔法で攻撃された場合、オレの体がなくなる前に魔力を食べきればなんとかなる、という結論が出ました。
……できるかな。
鉄塊を食べるだけでも時間かかったんだけど。
連続で受けたら難しそうなんだけど。
いやいや、弱音厳禁。やるしかない。
魔神様からもらった体と〈アビリティ〉なんだ、負けるはずがない!
……はず。
雨足の強まるなかしばらく走っていると、足跡の続く先にぼんやりと明かりが見えた。
松明なんかじゃない。
鉄熊だ。
急がなきゃ。触手の動きをさらに速める。
ニビの動きから四つ足の走り方を学んだおかげで、ここに来た頃より速く走れるようになった。
なのにもどかしいほど遅く感じ、焦りばかりが募る。
ニビ、どうか無事でいて……!
グ、と触手に力を込めたとたん、視界が開けた。
焦げ臭い。木や草が燃えて倒れ、魔樹海にポッカリと穴が開いたようだ。
雨に打たれ、なおゴウゴウと燃える炎の塊。
鉄熊がそこにいた。
頭の先から足の先まで、溶けた鉄が対流しながら体の形を保っている。
まるで溶岩が熊の形を取って生きているみたいだ。
額には真っ赤な魔石が輝いている。一つ目の熊だ。
一つしかないその目は、毛を逆立てて威嚇するニビをまっすぐ見ている。
突然、鉄熊が走り出した。
突進だ。今までより速くない。
でもオレが助ける暇はない。
ニビは逃げない。木の前で威嚇したまま動かない。
そのまま真っ赤に燃える鉄熊に飲み込まれた。
ニ……、ニビィィーーー!!!
走り寄ろうとするオレをニビが後ろから咥えて止める。
離せ、離してくれニビ! 仇討ちだ!
ニビが鉄熊に飲み込まれた……ん?
んん?
見上げるとニビがいた。
「ふすんっ」と鼻を鳴らし、オレの体を離す。
ニビが二匹?
いやいや、あれ?
どういうことだと考えるうちに思い出した。
火ネズミの突進を、幻覚の魔法で華麗にかわすニビの姿を。
鉄熊の前にいたニビは幻だったみたい。
さすがニビ。
いや、オレはすぐに気づいたけどね。
ゼンゼンよゆーですよヨユー。
ハハハ。
ズズン、と音を立て、鉄熊の突進を受けた木が倒れた。
根本が焼け焦げ、えぐれている。
あの体に触れたが最後、ニビなら骨も残さず蒸発しそう。
怖い。
鉄熊は木に当たった衝撃で頭部がへこみ、首なし熊になったが、すぐさまぬるりと頭を生やした。
進化直後と違って、自在に体を操れるようになってきたようだ。
なんであれで生きてんだろ。
ホント怖い。ワケわかんない。
ニビが無事でつい気が弛んだけど、引き締め直さないとヤバいな、これは。
キョロキョロと辺りを見回した鉄熊が、こちらに気づいた。
どんな風に見えているかはわからないけど、視覚は持ってるってことか。
それならばと、オレはニビと同じ姿を取る。
形だけ狐に擬態したわけだ。
そのまま走り出す。
ニビにはいつでも逃げられる体勢で待ってもらった。
鉄熊は迷ったようだが、動くオレを標的にして突進してきた。
鉄熊の憎しみの思念がまっすぐオレを射抜く。
でも突進はそれほど速くない。
捕まる直前、背中に生やした触手で枝の上に回避。
鉄熊はまた木にぶつかって頭をへこました。
枝から降りて、今度はニビに動いてもらう。
近くにいるのはオレ。
でも鉄熊は動くニビに向かって走り出した。
動くものに反応してるのかな。
さっきよりやや遅い。
なんとなく体も小さくなってるような気もする。
よくよく倒れた木を観察してみたら、溶けた鉄があっちこっちに飛び散って、雨に打たれて冷やされていた。
ニビの方はというと、再び幻を使って鉄熊の突進を避けていた。
なんて華麗な足さばき。
もう何度も同じことを繰り返しているみたい。
鉄熊はまたもや木にぶつかって、体を飛び散らせていた。
雨で冷えた体は元に戻らない。
――ハッ、ひらめいた!
やつを突進させて木にぶつけ、体を少しずつ削る作戦を!
……時間かかるなー。
しかもひらめく以前にもうニビが実践してるし。
雨が止むまでにあの質量を削り切れるかな。
ダメなら川にでもぶちこもう。
とにかく一撃で倒せる必殺技がない以上、地道に頑張るしかない。
体力という概念のない素体を持つ、オレにしかできない特別な作戦だ、と思えば気分も上がる。
よし、やってやる!
気合いを入れて鉄熊に向かう。
頭をへこませた鉄熊は、またぬるりと頭を生やそうとして、細長い奇妙な塊を伸ばした。
上下に割れて、ひとつに固まって、ようやく頭の形を取る。
体の自由が効かなくなってきたのかな?
チャンスかも。
鉄熊がもたついている隙にニビと合流し、「あとはオレに任せて離れてほしい」と伝えた。
いつ終わるともしれないおいかけっこだ。
触ったら一発アウトのニビを、いつまでも鉄熊の前に出すわけにはいかない。
しかしニビはその場から動かなかった。
体を震わせて水気を飛ばし、じっとオレを見つめてくる。
やる気は充分、て感じかな。
なにやら因縁があるみたいだし、それなら手伝ってもらおう。
「川か、水深の深い池に行きたい」と念じると、ニビは「わかった」と左耳を二回振って走り出した。
ニビを先頭に、鉄熊を誘導するようにオレも走る。
飛んだり跳ねたり踊ったり、木と木の間をすり抜けたり、蔓のたくさん垂れ下がった場所を通り抜けたりと、しつこく挑発しながらの走りだ。
少しでもやつの体を削ることを意識した動きであり、ニビに狙いをつけさせないためでもある。
でもぶっちゃけて言えばめちゃくちゃ怖い。
一発アウトではないとはいえ、鉄熊の体に触れればオレだってまずい。
やつは速さが落ちた分、正確にオレを狙うようになった。
近づくだけで火傷しそうな熱気。
ギリギリまで耐えて、素早くよける。
何度か表面をこすり、素体がわずかに溶けた。
よけるタイミングが早いと、真っ赤に燃える口を大きく開け、噛みつこうとしてくる。
危うく飲まれかけた。
飲み込まれたらおしまいだ。
よけるたびに、すぐそこで草が焼け、木が抉れ、岩が溶ける。
いつオレがそうなってもおかしくない。
憎しみと殺意のこもった一撃必殺の突進は、勢いが衰えてきたものの、いまだ高い攻撃力を誇る。
その突進を受け、何本目かもわからない木が倒れていく。
先を行くニビに当たらないよう、指示を飛ばした。
細いわりに枝葉を大きく広げた木だ。
尖った枝をよけるため、ニビは少しスピードを速めた。
木に当たった鉄熊は右肩をへこませ、折れた木を巻き込みながらすぐさま再生させた。
さすがにこの程度じゃあまり削れ――
「キャンッ!」
ニビの悲鳴。
振り返っても繁った葉でよく見えない。
急いで回り込む。
ニビが倒れてる。
左の前足に、鉄製の罠が食い込んでいた。
血が出て白い毛並みを汚している。
ちくしょう、こんなものがあるなんて……!
この罠は見たことある。
円形にギザギザの歯が並んでいて、罠の真ん中を踏むと閉じて足を挟む仕掛け。
たしか、トラバサミとかいう名前だったはず。
普段のニビなら、こんな鉄臭いものにかからない。
雨で匂いが流され、しかも視界が悪く、さらには木をよけるために急いだせいだ。
……急がせたのはオレだ。
とにかく傷の手当てをしなきゃ。ニビが痛がっている。
触手でなんとか罠をこじ開け、回復薬をかけた。
淡い緑の光が傷口をおおい、あっという間に治る。
血も薬と雨で流れてきれいになった。
骨に異常はなかったようで、ニビはすぐさま立ち上がり――ある一点を見つめたまま固まった。
背後から木の燃える音がする。
火傷しそうなほどの熱気。
痛いくらい突き刺さる殺意。
すぐそこに鉄熊がいる。
察すると同時に触手でニビを掴み、思い切り放り投げた。
驚き見開かれた目がオレを見て、茂みの向こうに消える。
少しでも逃げる時間を稼ぐ。
覚悟して振り返った先に。
燃えたぎる顎があった。
体の半分以上を変形させた巨大な顎が、徐々に迫ってくる。
鉄熊の体が視界いっぱいに広がる。
熱い。
逃げなきゃ。
すべてがゆっくりと動くなかで、鉄熊の口が閉じていく。
オレは後ろに跳んだ。
だがすぐに高温の牙が伸び、行く手をふさぐ。
触れたところから素体が溶けていく。
生きた鉄の檻が、静かに閉じられた。




