一章 05 覚悟のいる恩返し
……――
〈魔力分解〉
〈吸収〉
……、……――
〈魔力分解〉
〈吸収〉
なにか、ある――
〈魔力分解〉〈吸収〉
――何かを押し付けられるような感覚。
反射的に体に取り込み、〈魔力分解〉、〈吸収〉を発動する。
意識が浮かぶ。思考が戻る。
爽やかな目覚め、とは言えなかった。
体が重い。寝不足なのに無理やり起きた時のような気怠さが残る。
あとなんか、なんだろ。撫でられてる気がする。
感覚がないから違うかもしれないけど、体がぐいぐいと押されるような感じもする。
なんなんだ。
え、怖い。なんだ?
誰かいるの?
あ! 狐! どうなった!?
〈解析〉ですぐに見たい。でも魔力は節約しないと怖い。
はやる気持ちを抑え、視覚の〈解析〉だけ発動させる。
まだいつも通りの視界ではないが、狭いだけで色の違いもわかるし光の加減もできるし、なかなか良好だ。
オレは気を失った時と同じく、穴の奥を向いていた。狐はいなかった。
代わりに、人間の時の感覚で言うなら後頭部の辺りに、あの撫でられる感覚がある。
……もしかするともしかして?
いったん視界を切って、後ろに意識を向ける。
体を動かさないのは、少しでも魔力の消費を抑えるためだ。
再び〈解析〉を発動。
目の前に狐がいた。視界いっぱいの狐に驚いて、体が少し震えた。
狐はオレが意識を向けたことに気づいたのか、舐めるのをやめてこちらをじっと見つめてきた。
緑のつぶらな瞳。
首を左右に傾ける仕草。
二本の尻尾がゆらゆら揺れている。
めっちゃかわいい。なんだこの生き物かわいい。
これは正義。生きてるだけで正義。
圧倒的ジャスティスに水まんじゅうは敗北するしかない。
穴が狭いせいで伏せている、その姿もかわいらしい。
揃えた前足がなんとも言えない。
治療中は気にしてなかったが、お手々の先が白い靴下を履いたようだ。
かわいい。
白靴下はジャスティス。
女の子はジャスティス。
存分に、とはいかないまでも、狐ちゃんのかわいさを堪能したところで、細い触手を伸ばす。
狐ちゃんを驚かさないよう、ゆっくりとだ。
実はオレの方がおっかなびっくりな心境なんだけど。
これで逃げられたらショックだ。
狐ちゃんは触手の匂いを嗅いで、そのまま頭を擦りよせてきた。
ホントかわいい。
早く魔力を回復させて、触覚の〈解析〉したい。
もふもふしたい。
だが余計なことをしている場合ではない。狐ちゃんの具合を〈解析〉で調べる。
どうやら元気になったようだ。
よしよし、良かった。頑張ったな。
正直な話、あんな行き当たりばったりな素人治療で元気になるなんて思ってなかった。
いやまぁ「なかった」まで言うと言い過ぎか。
元気になって欲しかったが、自信のある的確な行動かと問われれば、否、である。
狐ちゃんの生きようとする根性と運が良かったおかげだ。
本当に良かった。
その狐ちゃんは、動かないオレをキョトンとした顔で見つめたあと、おもむろにオレを咥えた。
反射的に身構えてしまったが仕方ないと思う。
目の前に牙の並んだ口が迫ってきたら、誰でもそうなる。
オレはビビりじゃない。じゃないぞ。
親狐が子狐を運ぶように、オレも狐ちゃんに運ばれた。
すぐ離される。穴から出たかっただけかな。狭いもんなー。
森は相変わらず薄暗いが、明るさを感じるあたり、昼に近いようだ。
気を失ってからどれだけ経ったのかわからないが、様子にあまり変わりはないようなので、季節が変わるほど時間が過ぎたわけではなさそうだ。
見える範囲を確認したあと、視線を狐ちゃんに戻す。
戻さなきゃ良かった。
……狐ちゃんの前に妙な塊が落ちてんスけど。
噛み砕かれた毛皮と肉が血と粘液にまみれてこんにちわ!
お手々を上げてこんにちオワー!? 何これー!?
〈解析〉すればわかるけど絶対したくない。触りたくもない。
狐ちゃんは口の周りを舐めてきれいにしている。
彼女の前にあることと、今の彼女の行動から推測するに、狐ちゃんが吐き出したのかな、あれ。
なんでだ。食べたならそのまま胃に納めてていいのに。
なんで吐いたの。
……獲物を吐き出す?
前世の朧気な知識が甦る。
たしか、犬や狼なんかの犬科の動物は、巣に残した仔に、獲物を吐き戻して与えると聞いたことがある。
これもそういうことなんだろうか。
狐ちゃんを見る。首を傾げて「ご飯お食べ」って言ってる気がする。
いや、いやいや?
ちょっと待って欲しい。
ということはあれか?
気絶中、無意識に吸収してたのって、もしかしなくてもこれ?
これなの!?
これしかないよねー。まじかー。
かわいい狐ちゃんと吐き出された肉の塊。
あまりのギャップに全身の力が抜ける。
助かったから感謝はしてるけど、それとこれとは別問題だ。
これを吸収するのか。
〈魔力分解〉するから形は崩れるとはいえ、この新鮮なお肉を。
触りながら。
痺れを切らしたように、狐ちゃんが前足で肉を押す。
無論、オレの方にだ。「早よ食えや」ってなもんだ。
その時、オレの中の紳士が囁いた。
――女性の期待に応える、それが紳士の務めだ。
狐ちゃんを見る。キラキラした目でオレを見ている。
わかった。オレは紳士を目指すと決めたんだ。
その期待、応えようじゃないか!
そっと触手を伸ばす。
さすがに本体に取り込む勇気はまだ持てないので、触手の先端を広げ、肉塊を覆い、包む。
包め。
包むんだ、オレ。
包んだらできるだけ早く〈魔力分解〉を進める。
〈吸収〉すればただの魔力だ。
オレは紳士。これは魔力。
オレは紳士。これは魔力。
オレは紳士。これは魔力。
オレは――
自分の心に必死に言い聞かせながら〈魔力分解〉と〈吸収〉を発動させるオレを、狐ちゃんは満足げに見つめていた。




