取引
「そこの君、少しいいかな」
始めは何かのキャッチセールスだろうかと思った。
街を歩いていたところ、唐突に声を掛けられたのだからそう思っても仕方のない事だろう。
落とし物の可能性も考えたが、こちらは必要最小限の手荷物しかなく、その心当たりもない。
怪しい声掛けと判断するには十分だった。
という事でそのままスルーしようとしたのだが、次に掛けられた言葉でつい足を止めてしまった。
「君の夢の話をしようか」
「夢……?」
「そう、君の夢。今まで誰にも言った事すらない君の夢。私はそれについて話がしたい」
こちらが何かを言う暇もなく、一方的に要件を伝えられる。
私の夢。
確かにこれは今現在に至るまで、誰にも知られていないはずの事柄であった。
親にも言った事のないそれを知っている存在など、私以外にいる訳もなく、そこでようやく相手の身なりを確認に至った。
黒の帽子とトレンチコート。
実に怪しい身なりだが、その表情は昼にも関わらず、影が濃く確認ができない。
怪しい声掛けとの判断は正しかったと改めて思う。
「君は面白い生き方をしているね」
「面白い、ですか?」
そんな不審者に連れられてやってきたのは近くにある公園のベンチ。
不思議と自分達以外の人が見当たらないものの、怪しげな建物に連れられる事もなく、他人に知られたくない話をするという条件は満たしていた。
そして開口一番この台詞である。
「叶わぬ夢と知りながら、誰の理解も得ようともせず、それでも努力を積み重ねていく。
その姿は一見すると実に愚か。
だが、努力とは須らく尊いものと思わないかな?
例え、それが無意味なものであったとしてもね」
「『叶わぬ夢』、『愚か』に『無意味』。
これはストレートに貶されてるんですかね?」
言うまでもないが、この不審者とは初対面である。
顔すら確認できない不審者にこれまで会った経験があれば、間違いなく記憶に残っている。
あまりに喧嘩を売っているとしか思えない内容に口調も刺々しくなるのは仕方ないだろう。
しかし、だが、それでも、その次の台詞に自分は返す言葉を持てなかった。
「ああ、気を悪くしてしまったのならすまないね。
私が君にまず伝えたいのは、『君の人生において君のその夢は叶う事はない』という事だよ。
それは君自身、わかっている事だろう?」
「…………」
それは、自分自身が骨身に沁みて理解している事。
夢が叶う事はない?
そんな事は言われるまでもなくわかっている。
反論する気も起きない憎たらしい程のド正論だ。
「しかし、叶わないとわかっていながらも君のように努力ができる人間は一体どれだけいるのだろうね?」
「さあ?
そんな人はいくらでもいるんじゃないですか」
「いくらでもいたら『面白い』と言えないんだよ」
「そうですか」
これはフォローのつもりなのだろうか。
先程からこちらの感情を逆なでする言い方ばかりをして、こいつは何が言いたいのだろう。
喧嘩を売りたいなら他を当たってくれとしか言いようがない。
「と、実のところここまでのやり取りにはあまり意味はない。
つい前置きが長くなってしまったな」
「はぁ……」
「では本題に入ろうか。
君は自分の夢が叶えられるのなら今の人生を捨てられるかな?」
「出来ます」
こちらを苛立たせるばかりの前置きから放たれた本題とやらへの返答は、自分でも驚く程の即答だった。
しかし、『この前置きに意味がなかったという事』自体を無意味と断じられる程に、私が自分に投げかけていた問いでもあった。
今までに何度も繰り返した、わかりきった答えをここで答えられなくてどうするのだ。
「即答か。
少しは躊躇するものかと思ったが」
「はて、躊躇して何か意味があるのですか?」
「代償は今の人生だよ?」
「それは夢を叶えるのに必要ですか?」
「ハハハ! やはり君は面白いな」
心の底から愉快だと言わんばかりの反応。
何がそこまで面白いのかはやはりよくわからないが、ようやく見えてきたこの問答の終わり。
「では、君の夢に必要なものを与えよう。
君が何よりも望んでいたものは言われずとも用意しているから安心したまえ」
「それはどうやって……というのは、言わなくていい質問ですか。
まあ、今までの知識と経験。
それと必要最低限の才能があれば十分です」
「ふむ、『最低限』と来たか。
実に謙虚な事だが、せっかく夢を叶えようと言うのだ。
ここは高望みするところではないかな?」
「過ぎた欲は身を滅ぼすというではないですか。私にはそれでちょうどいいですよ」
「なるほど、君の生き方を思えば確かにそれでよいのだろうね」
私の回答に満足したのか、相手は納得した様子であった。
全くの無意味としか思えない問答だったが、自分の夢を第三者の意見の上で再確認するという意味では有意義と言えなくもないか。
これでこの話も終わりかと立ち上がろうとしたところで、急に眩暈がして視界が歪み始めた。
そのまま立っていられずに膝をついた私に頭上から声が掛けられる。
「君の望みは理解した。
だが、私は君が今まで積み重ねた努力が本来ならどこまで才を伸ばすものだったのか。
それを知るのも楽しみなのだ。
だから、少々私の我が儘にも付き合ってもらいたいな」
「一体何を……」
「なに、君が望む世界への招待状とちょっとしたプレゼントだ。
遠慮なく受け取りたまえ」
そして、私の意識は途絶えたのだった。
11/7 修正