14話 やっぱりサキュバス
夏祭りの日から、一週間後。
「あの、一応綺麗にしてるけどそのー……変なものあったらごめんね?」
「いや、むしろ喜ぶから大丈夫」
「ひえー、ミナトさんがヤバいです! 変態ーっ!」
というわけで、俺たちは佐久さんの家におよばれされていた。
まさか佐久さんの家に足を踏み入れるなんてイベントが人生に訪れるなんて想像もしていなかった俺は、昨日から内心ドキドキしっぱなしだ。
佐久さんの家は綺麗に片付いていたけど、ぬいぐるみとか小物とかが飾られているとにかく女の子っぽい部屋で、作業のために入ったというのに俺は少しドキドキしてしまう。
なんか甘い匂いもするし……って、これはフェロモンなんだっけ。それがわかって改めて嗅ぐと、やっぱりこう……ぐわっとくる感じの匂いをしてるよね。本能に直接訴えかけててくる感じの。我ながらこの匂いを嗅いでもよく理性を保っていられたもんだ。
と、そんなことを考えていると、佐久さんと目が合う。
思わずといった様子で照れ隠しに目線を逸らした佐久さん。睫毛が長い。すごい。そしてかわいい。
「一人暮らしなんだね」
変な雰囲気にならないように何でもいいから話を振ろうとして、とっさに口から零れたのはそれだった。
「うん。家族は魔界にいるからね」
そりゃそうだよね。
考えてみれば当たり前のことを聞いてしまった。
気の利かない男だと思われただろうか。
「だから、この家に入る男の人は湊くんが初めてだよ?」
止めて佐久さん! 俺を誘惑しないで! 好きになるっ!
「で、女の人はユルルちゃんが初めて」
「うわぁっ、私がそんな大役をいただいてしまってもいいんですか?」
喜ぶユルルを尻目に、俺は少し驚く。
佐久さんのような人気者が、家に一人も友達を呼んだことがないなんて、少し意外だ。
……ああ、そっか。サキュバスであることを隠してるんだもんな。そりゃプライベートの深いところは見せられないか。バレる危険も増すし。
そう考えると、佐久さんは常に周りに人がいたように思っていたけど、その実ずっと孤独を抱えてこの世界で生きてきたのかもしれない。
「あたしはむしろユルルちゃんでよかったなーって」
「そんな言葉をかけてもらえると、喜びが止まりません……!」
「あはは」と笑う佐久さんを見ていると、サキュバスだと気付けてあげて良かったんじゃないかと思えた。だってこの笑顔は、多分何も隠していない佐久さんの素の顔だから。
そしてお昼。
俺たちは佐久さんが作ってくれた昼食を食べながら話をする。
俺とユルルの目の前にあるのはオムライスだ。
しかも驚くなかれ、佐久さんの手作りオムライスである。
家庭的な女の子って、いいよね。
口に入れるとすぐに卵のふんわりとした触感が口の中に広がる。その後に酸味のきいたケチャップライスが追撃してくる。うん、おいしい。
佐久さんが作った料理ってだけで価値があるのに、それがおいしいなんて事態になったれこれはもうあれだよね。食の緊急警報発令事態だよね。
……っと、ボーっとしてた。二人は何話してるんだろ?
ユルルと佐久さんとの会話に意識を向けてみる。話題はユルルが名前を呼ぶ時のイントネーションについてのようだ。
「そっか、外国人だから名前の呼び方がちょっと変わってると思ってたんだけど、違う世界の人だったからだったんだね」
「はい。地球の人の名前は少し発音しにくくて……その点、アイノさんはイントネーションも完璧で凄いです!」
「いやー、まああたしはもう五年現世にいるからね。ユルルちゃんも数年いれば、徐々に話せるようになると思うよ?」
「本当ですか!? み、ミナトさん聞きました!? 私もいつかミナトさんのことを普通に滑らかに呼べる日が来るらしいですよ!」
くるりと俺に身体を向けてくるユルル。
ユルルに「湊さん」って呼ばれる日も、そう遠くはないってことか。うーん。
「でも、もうその片言の感じに慣れちゃったからなぁ。今更普通に呼ばれると、逆に違和感があるかもしれない」
「なんでですか! その時は私の成長を素直に喜んでくださいよ!」
地団駄を踏み始めやがった。
いや、たしかに成長したのならそれは素直に受け入れるのが一番だよな。
「まあ、そうだな。その時はな。まだ全然無理そうだけどな」
「むぅ……まあそうですけど。ぬぐぐ、日本語をマスターするまではまだ遠いです!」
「……でも、考えてみれば凄いよな二人とも。日本語ペラペラだもんなぁ」
オムライスを頬張るユルルと、少しずつ口に入れる佐久さん。
考えてみればどちらも母国語は日本語ではないわけで、その点については本当にすごいと思う。
ユルルが名前のイントネーションが少し変なこと以外は、ほとんど完璧だ。それだってそこまで違和感のあるものじゃないし。
「日本人が英語とかドイツ語とかがペラペラ喋れるのと同じってことだろ? いや、もしかしたらそれ以上に言語の壁があるのかもしれないな。すごいよそれって」
二人がどの程度努力したのかはわからないが、本当にすごいと思う。尊敬する。
少なくとも俺には無理だ。
週に何コマも英語の授業を受けておきながら、わかるのは「今何時?」と「私の名前は春風湊です」だけだからな。なんだこの体たらく。二人と比較することすらおこがましい。
「な、なんですかミナトさんっ。と、突然褒められると反応に困ります」
「でも、そこの努力に気付いてくれて貰えるのは嬉しいな。あたし日本人って設定だから、日本語は喋れて当たり前だし、誰も褒めてくれないからね」
日本人が日本語を喋れたところで誰も褒めないだろうなぁ。
「誰かにとっては当たり前でも、他の誰かにとっては難しいことってあるんだなぁ」
「たしかに……ミナトさん、良いこといいますね。これは拍手ものです」
やめて、拍手はやめて!
感銘を受けてくれたのはわかったから。
拍手されてもどういう顔をすればいいのかわかんないよ!?
「あ、ちなみにあたしの佐久って苗字は、サキュバスのサキュからとったんだー」
「そっか、確かに言われてみれば……。頭いいなぁ佐久さん」
俺は佐久さんを褒めつつ、ユルルの関心をそちらに誘導する。
食いつけユルル、そして俺への拍手をやめろ!
「凄いですアイノさん、天才なんじゃないですか? 私にはそんな遊び心のある苗字思いつきませんよ!」
よし、食いついた!
今度は佐久さんに拍手を始めた。
なんですぐ拍手なんだお前は、もっと手を労われ。
……そうだ、ここで佐久さんの反応を見て、俺の今後の対応に生かそう。
さて、拍手された時、佐久さんはどんな反応をするのだろうか。
「い、いやー、それほどでもないと思うけどね?」
なるほど、照れるのね。
形の整った後頭部に手を当てて? 軽くクシャッと金髪を撫でて? 頬を桃色に染めるのね?
なるほどなるほど……って、それは美少女かイケメンじゃないと許されない手法だよ! ずるいよ佐久さん!
くそぅ、勉強したら顔面偏差値が上がる教科はないのか!? もしあるなら徹夜で勉強するというのに!
「……ところでさ。名前についてちょっと思ってたことがあるんだけど、いいかな?」
俺がこの世の不条理に憤っていると、佐久さんが言う。
「ユルルちゃん、ちょっと湊くんに呼びかけてみて?」とのことだが……一体どんな話なのだろうか。
言われるままに、ユルルが俺に呼びかけてくる。
「はい、いいですけど……えーっと、ミナトさん!」
「おう、なんだユルル」
いつも通りに返した。別に特段変なところもない、ただのやりとりだ。
それを見終わって、「で、次はあたし」と自分を指差す佐久さん。
「ねえねえ、湊くん」
「ん? どうしたの佐久さん」
これもまた、いつも通りのやりとり。
しかし佐久さんは、ぶぅー、と口を尖らせる。
「……あたしだけ苗字呼びなのって、変だと思わない?」
……なるほど、そういう話かぁー。
まさかここまで直接言ってくるとは思ってなかった。
「あ、たしかに! 変ですよミナトさん!」
「い、いやー、変じゃないと思うけどなぁ」
ユルル、お前そっちサイドに立つのかよ。俺の味方をしてくれると思ってたのにぃ……。
「しかもユルルちゃんは呼び捨てなのに、あたしにはさん付けでしょ? なんか、距離感じちゃうなぁ。事情を知る前は『二人はいとこ同士だから仕方ない』って思ってたけど……でもさ、ユルルちゃんは死神なんでしょ? だからそのー……名前で呼んでくれると、嬉しいなって」
佐久さんは上目遣いで言う。
宝石のように輝く蒼い目でジッと見つめられ、俺はたじろぐ。
「それはそのー……。は、恥ずかしい、と言いますかですね……」
「何恥ずかしがってるんですかミナトさん! このシャイボーイ!」
くそぅ、ユルルがあっちに着いたせいで、旗色が悪いぞ……。
キョドキョドと視線を絶え間なく移動させる俺を見て、佐久さんはジトーとした瞳を向けてくる。
「恥ずかしい、かぁ。……ふぅーん、春風くんはそう思うんだぁー」
「ぐっ……!?」
ここにきて、苗字呼びだと!?
距離を感じる……急速に、距離が離れていく感じがする!
待って佐久さん! 離れて行かないで!
「わかった、一回だけなら! 一回だけなら名前で呼ぶよ!」
「わっ、本当? 一回だけでも嬉しいよ」
勢いに任せて言ってしまった。
声に出してしまった以上、もう後戻りはできない。
すぅ、はぁ……と深呼吸をする。
ユルルのヤツ、途端に静かになりやがってぇ……! 口元を押さえても興奮してるのは丸わかりだ。大体なんでユルルがドキドキしてるの? おかしくない?
佐久さんの目を見る。
そりゃ、俺だっていつかは名前で呼びたいなとは思ってた。だって、佐久さんは俺のことをずっと名前で呼んでくれてる訳だし。
なのにいざ呼ぶとなると勇気が足りなくて、いつも尻込みしてたんだ。
でも、それじゃ駄目だよな。女の子にだけ名前で呼ばせて自分は苗字呼びって、そりゃねえよ春風湊。
頑張れ俺、俺なら言える! 皆、オラに勇気を分けてくれ!
言え! 佐久さんの目を見て、言うんだ!
「あ、愛乃……」
……呼んだ。呼んだぞ俺は!
顔が真っ赤になってる気がするけど、でも呼んだぞ!
さ、佐久さんの反応はどうだ?
小首を傾げ、髪の毛を耳にかけ。
「はい、愛乃です」
そう言って佐久さんはニッコリと微笑んだ。
……恥ずかしすぎて憤死するよ! なんだそれ、かわいすぎるだろ!
やっぱり佐久さんはサキュバスで間違いないな。だって小悪魔だもん。




