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死神が魂を奪いにやってきてから毎日が波乱万丈です  作者: どらねこ
2章 クラスのアイドルのあの子編
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12話 夜の丘の上で

 ベンチに腰掛け、佐久さんに水を飲ませる。

 佐久さんは細い喉でこくこくと水を飲み、ぷは、と口を離した。


「佐久さん、落ち着いた?」

「うん……ありがと」


 佐久さんは正気を取り戻したようだ。

 明らかにいつも通りではなさすぎたので、一旦落ち着いてもらうのを優先したのがよかったのかもしれない。


「……それで、さっきの話だけど」


 だけど、そのまま追求しないという訳にもいかなかった。


「佐久さんがサキュバスっていうのは、本当?」


 俺は尋ねる。

 浴衣を突き破って生えた翼と所在なさげに動く尻尾が、さっきの光景が嘘ではなかったことを示している。

 なにがなんだかよくわからないけど、とにかく佐久さんは普通の人間ではないのだ。

 しばらく間が開いて、佐久さんがコクリと頷いた。


「……湊くんは、サキュバスって知ってる?」

「ま、まあ、概要は」


 あれだよね、よくフィクションで見る……いかがわしい感じの。

 佐久さんからそういう気配は全くしないけど。


「サキュバスは男の子の魔力が大好物なんだ。それで魔界から現世に魔力を求めてやってきたんだけど……どうやって魔力を吸いとればいいか、わかんなくて。暴れ回る訳にもいかないし。だから、欲望を我慢して人知れず人間らしく生きていこうかなあ、って考えてたんだけどさ……バレちゃった」


 涙ぐみながら自嘲気味に笑う佐久さん。

 その笑みは破滅的で、なんというか、見てられない。


「上手く隠せてたつもりだったんだけど、本当はかなり綱渡りだったんだよね。あたし、すっごく驚くと尻尾がぴょこんって出ちゃうし。それに、なんとか耐えようとは思ってたんだけど、佐久くんの魔力が強すぎて、ちょっとだけフェロモンも漏れちゃってたかもしれない」


 ……ああ、あの甘ったるい良い匂いは、フェロモンの匂いだったのか。

 道理で煩悩を直接刺激してくる訳だよ。サキュバスのフェロモンだもんな。


 佐久さんはこちらを向く。

 頬にはいつの間にか一筋の涙が伝っていて、いつも吸い込まれそうになる蒼の瞳は、今日は頼りなさげに潤んでいた。

 瞳を伏せた拍子に長い睫毛が何度か上下する。

 ごくり、と唾を呑みこんだ音が聞こえた気がした。


「怖い……よね。ごめんね、湊くん。でもこれだけは信じて欲しい。君を傷つけるつもりも、怖がらせるつもりもなかったの」

「いや、俺は全然怖くないよ」

「……え?」


 佐久さんが珍しく間の抜けた顔をする。

 あれ、俺変なこと言った? 言ってないよね?


「で、でもこんな姿見たら、びっくりしちゃうでしょ……!?」

「たしかにめちゃくちゃビックリはしたけど、でもまあ……慣れてるし?」


 ビックリするのと怖いのは全然別だ。

 たしかに佐久さんがサキュバスだったっていうのは凄く驚いたし、今もまだ驚いてる。

 でもそれで佐久さんを見る目が変わるかっていうと……変わらないよね、普通。


「慣れてる……? それってどういう――」

「あーっ!」


 とそこで、帯を巻きなおしたユルルが帰ってきた。

 歩幅を目一杯広げて、俺の方へと怒った様子で詰め寄って来る。


「ちょっとミナトさん、何してるんですか! 女の子を泣かせるなんて、見損ないました!」


 またややこしいタイミングでややこしい勘違いを……。

 ……いや。タイミング的にはむしろ、ベストって考え方もあるか?


「うん、もう言っちゃおう。なあユルル?」

「はい? はぁ」


 全く事情が理解できていなさそうなユルルの頭にポンと手を乗せ、佐久さんに紹介する。


「佐久さん。実はユルル、死神です」

「ちょ!? な、何暴露してるんですか――ってええええええ!? つ、つば、翼!? 尻尾!? どういうことですかこれ!?」


 ユルルは驚愕に紅い瞳を見開き、口をぽっかりと開ける。

 そしてぎぎぎぎ、と油の切れた機械人形のような動きで俺と佐久さんを代わる代わるに見た。


「……いや、聞きたいのはあたしの方もなんだけど……。え、えーと、死神? ……ユルルちゃんが?」

「は、はい。私は死神ですけど……アイノさんは一体」

「……あたし、実はサキュバスなの」

「サキュバス!? 悪魔ですか!? そ、そんな空想上の生き物が実在したなんて……!」


 声を震わせるユルル。


「いや、お前も充分空想上の生き物だから」


 なんで人間の俺より死神のお前の方が驚いてるんだよ。


「まあとにかくそういう訳で、俺は佐久さんがサキュバスだからって怖がったりしないよ。だってもう死神と同棲してるし」


 普通の人間じゃない存在にはもうユルルで慣れてるのだ。

 ユルルのおかげで……と言うべきか、ユルルのせいでと言うべきかはわからないが、まあここは一応ユルルのおかげとしておこう。ユルルのおかげで、ちょっとやそっとのことでは動じなくなった自信がある。


「……そっか。私、怖がられないのなんて、初めて……っ」


 佐久さんはぽろぽろと涙を零す。

 安心したのだろうか。俺とユルルが怖がっていないことが伝わったならいいのだが……。

 と、佐久さんは泣いている顔を隠す様にこちらに腕を出してくる。


「ご、ごめん二人とも、こっち見ないで。は、恥ずかしいから……」


 それを聞いたことで、固まっていたユルルが再起動した。


「そうでした、あまりに衝撃的で頭から飛んでましたけど、今アイノさん翼のせいで普通に浴衣がはだけてますよ! ミナトさんは見ちゃ駄目です!」

「た、たしかに! ご、ごめん佐久さん!」


 俺は慌ててそっぽを向くのだった。




 それから十分ほど。

 佐久さんは浴衣を整え、涙も止まったようだ。

 ようやく顔を見て話ができる、と俺は佐久さんの方を向く。


「……警察とかに、通報しないの?」


 佐久さんは俺に尋ねてた。

 佐久さんらしからぬ弱々しい口調だ。


「しない。する必要もないしね」

「そっか……ありがと、湊くん」

「……佐久さん、もしかして引っ越しとか考えてる?」


 確証なんて一つもないけど、口ぶりからなんとなくそんな気がした。

 どこか手の届かないところに行ってしまう気が。


「うん。引っ越しというか、魔界に帰ろうと思う。ばれちゃった以上はね」


「噂になると、暮らし辛くなっちゃうし」と佐久さん。

 もしかしたら他の場所でも何度かサキュバスだとばれたことがあったのかもしれない。

 その度に引っ越して引っ越して……きっと、佐久さんは疲れてしまったのだろう。

 そんな佐久さんに、ユルルは声を荒げる。


「な、何言ってるんですか、アイノさん! 私たちは絶対誰にも言わないですよ! ねえミナトさん!?」

「ああ、もちろん。……だからさ、佐久さん。どこかへ行ったりなんてしないでほしいんだ」


 驚いた顔をする佐久さんを見て、俺は思う。

 ああ、こんなことならもっとちゃんと国語の勉強しとくんだったな。

 もっとふさわしい言葉があるはずなのに、それが俺にはわからない。

 でもせめて、気持ちを乗せよう。少しでも、ほんの少しでも佐久さんに伝わるように。


「佐久さんはユルルにとって二人しかいない友達のうちの一人だし……俺にとっても掛け替えのない友達だから」

「湊くん……」


 俺の気持ちは伝わっただろうか。

 わからないけれど、目の前の佐久さんは唇を噛んで必死に涙をこらえているように見えた。

 そんな佐久さんに、ユルルも言葉をかける。


「もしそれでも踏ん切りがつかないようでしたら……そうですね。もしアイノさんがよければ、私たちと一緒に暮らすっていうのはどうですか?」

「おお、なるほどぉ……おおおおおおおおお!? いやいや全然なるほどじゃねえ! 何言ってんのユルル!?」


 どういう考えでそうなった! 言え、言ってみろ!

 何を不思議そうな顔で首をかしげてんだ!


「え? だって湊さん、アイノさんのこと好きなんですよね? 問題ないんじゃ?」

「そんなのいきなり目の前で言ったらドン引きされるでしょ! それに、好きじゃなくて気になってるだけ! 気になってるだけだから!」

「じゃあ、もしアイノさんと手をつなげるって言われたら?」

「つなぎたいけど!」

「キスできるって言われたら?」

「したいけど!」

「全部アイノさんに聞かれてますけど?」

「うわあああああ! おしまいだああああ!」


 俺は絶望の淵に突き落とされた。

 膝から地面に崩れ落ち、四つん這いになる。

 終わった……絶対嫌われた……。


「まあさすがに同棲は無理かもしれませんけど……でも、魔界に帰るなんて言わないでほしいです。私、まだアイノさんのこと全然知りません。アイノさんともっと仲良くなりたいんです」

「……あたし、まだこの世界にいてもいいのかな……?」


 頭上から聞こえる躊躇した声。

 たまらず顔を上げる。


「いい! いいに決まってるよ!」


 サキュバスだからってこの世界にいちゃいけないなんてことはない! 絶対!

 ……あ、でも今俺嫌われてるかもしれないんだった。下手に口出したのはまずかったか……!?

 あわあわと慌てる俺の耳に、クスリと笑い声が届く。


「困ったなぁ。二人みたいな友達ができたんじゃ、現世を離れられなくなっちゃうよ」


 視線を向ける。そこには恥ずかしそうに微笑む佐久さんの顔。


「色々迷惑かけるかもしれないけど……これからもよろしくね?」


 どうやら魔界に帰らないでいてくれるようだ。

 よかった……上手く説得できて本当によかったぁ……!


「ミナトさん、泣きそうじゃないですか」

「だってぇ、絶対嫌われて、魔界に帰っちゃうと思ったからぁ……!」

「もう、こんな優しい人のこと嫌うわけないよ」


 佐久さんは笑う。

 はうぁぁ……好きになりそぅぅ……。


「でも、アイノさんがいなくなったりしないですんで良かったです……あれ? なんか私も涙がでてきっ……ひぐっ……! うわ、と、突然涙が止まらなくなっちゃいました、ぐすっ、ど、どうしましょうミナトさん……っ!」


 ユルルが戸惑いながら手の甲で頬を拭う。

 安心したからか、時間差で溢れだしてきたユルルの涙はぽろぽろと大粒で、止まる気配がない。

 でもユルル、俺に聞かれてもどうすればいいかはわかんないよ。だって……


「……うぅ……な、涙がぁ……!」


 俺まで泣けてきたんだもん。

 くそ、高校生にもなって女の子の前で泣くなんて、カッコ悪い……!


「二人とも、よしよし。……本当にありがとね。二人が友達で、心の底からよかったと思うよ」

「うわぁぁんっ!」

「ぐっ……泣かない……俺は泣か……ひっく!」

「よしよし、よーしよし……」


 なぜか最終的に俺たち二人が佐久さんに頭を撫でられるという、謎の結末に行きついてしまった。

 でも、なんとかうまく纏まって本当に良かった。……この惨状をうまく纏まったと呼んでもいいのかは、ちょっと疑問だけど。

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