11話 花火と衝撃
「ほら、ここ!」
金魚すくいで俺がノックアウトされてから約一時間後。
俺とユルルは佐久さんに連れられ、小高い丘にやってきていた。
「ここからだと、花火がめっちゃくちゃ大きく見えるんだよ! 隠れ家なんだぁ」
「うわぁ、本当ですかアイノさん! 楽しみです!」
浴衣姿で盛り上がる二人。
なんとも目に優しい光景だ。
そしてたしかにここは遮蔽物もないし、誰にも邪魔されることなく花火が楽しめそう。
……あと、夏の夜空の下で三人きりっていうシチュエーションの時点でもうね、色々凄いよね。
「もうすぐ始まると思うから、座って待ってよ?」
佐久さんが近くのベンチに座って俺たちに手招きする。
まるで三人で花火を見るためにつくられたみたいに、長さも角度も完璧なベンチがそこにはあった。
マジか、誰だこのベンチ設置してくれた人! 市か、市なのか!?
ありがとう市の偉い人たち、俺はこの市に生まれたことを誇りに思います。
俺を真ん中にして、三人でベンチに座る。
左にはユルル、右には佐久さん。
んん、なんだこれ? 夢幻の類じゃないのか?
ふと不安になった俺は、ぎゅうと頬をつねる。
力加減が下手でちょっと涙がでたが、視界は変化なし。つまり、これは現実。
二人の体温さえ感じられるほどの至近距離で花火を見れるのか……。やばい、ドキドキしてきた。
「あ、始まりましたよ! ほらっ!」
ユルルが空を指差す。
指し示した先では、墨で線を描くように一筋の光が空に上がっていた。
充分な高さまで上がったそれは、夜空のキャンパスにぱあっ、と花開く。
「うわわわわ! ミナトさん、アイノさん、見てますか!? すごいですよこれ!」
「ああ、見てるよ。にしても凄いな……」
「とっても綺麗……」
最初の一発を契機に、次々と上がっていく花火たち。
赤、青、緑、黄色……そんな色鮮やかな光で夜空を彩っては、次の瞬間には儚く消えていく。
侘び寂びっていうんだろうか、こういうの。
俺の中に流れる日本人の血が、この光景をとても美しいものだと教えてくれる。
二人と共に、俺は空を見上げ続けた。
しばらくの間、辺りには花火のくぐもった音だけが響いていた。
「終わったな、感動した」
花火の終了と共に、そんな言葉が自然と口から出る。
まさか高校生にもなって花火に感動するとは思わなかった。
今までの花火は、家の中で音だけ聞いてるだけだったからな。……それじゃ感動も何もするはずないか、と今更気づく。
結局俺は、花火の何たるかをこの十六年間知らずに生きてきたのだ。
それを教えてくれたのは、ユルルと、そしてもちろん佐久さんだ。
「ずっと上見てたから、首がこっちゃった」
佐久さんは首をくるくると回す。
同時に漏れた「ん~っ」という声が、ちょっと色っぽくて焦る。
こ、こういう時はユルルを見よう。
ユルルも可愛いけれど、それ以上にポンコツだ。このドキドキを収めてくれるに違いない。
そう思い、左に座るユルルの方を向く。
「み、ミナトさぁん……」
ユルルの顔がすぐ近くにあった。
もう数センチずれれば唇が触れ合ってしまいそうで、俺は余計に焦りを募らせる。
しかも、なぜかユルルは瞳を潤ませている始末だ。
なんだこれ、超可愛いんだけど。
「ど、どうしたユルル」
「こ、こっちは見ちゃ駄目ですっ。あの、帯が……と、とれちゃって、その……」
そこまで聞いて、ようやく合点がいく。
どうやら浴衣の帯が解けてしまったようだ。
支えるものの無くなったユルルの浴衣は大胆にはだけており、肩などは丸見えの状態になっていた。
はしゃぎすぎるからだぞ、と言いたいところだが、煩悩を抑えるのに必死でちょっとそれどころじゃない。
そうこうしているうちに、異変に気付いた佐久さんが立ち上がる。
丁度俺が壁になって今までのユルルの状態に気づけていなかった佐久さんは、ユルルの姿を見て目を丸くした。
「ゆ、ユルルちゃん、大丈夫!? 浴衣直すの手伝うよ!」
「い、いえ、近くのトイレで直してきます。み、見られるのは、その、恥ずかしいので。なので、ミナトさんとアイノさんはしばらく二人でお話しててください!」
そう言って、ユルルは浴衣をぎゅっと強く握りしめ、トイレのある方角と向かっていってしまう。
そして、俺と佐久さんだけが残された。
「……」
「……」
なんだか、気まずい。
学校じゃ話すこともあるし、高校からの帰り道だって最近は毎日一緒だ。
ただ、夏祭りの夜というのは普段とは雰囲気がまた別というか……鈴虫の鳴き声って、こんなに大きかったっけ。
「えっと……あのさ」
「う、うん」
「ユルルちゃん、大丈夫かな」
「ああ、多分大丈夫だと思うよ。ユルルだし」
よくわからない返答をするので俺は精一杯だ。
それもこれもこのシチュエーションが悪い。ユルルがいかに俺たちの仲を取り持ってくれていたかが身にしみてわかる。アイツがいるだけで、会話が明るく弾むのだ。
しかしユルルは死んだ。もういない。
なら、俺が話題を広げないとだよな。
「ありがとう佐久さん。今日はすごく楽しかった」
「う、ううん! あたしの方こそ、ありがとう。二人のおかげで、今までで一番楽しい夏祭りになったよ」
佐久さんは長い脚を地面から浮かせ、ブラブラと揺らし始める。
「本当に楽しかった、本当に。今日が終わっちゃうのがもったいないよ」
そして月を見ながら少し寂しげに呟いた。
それはまるで名作絵画の一枚のようで、思わず息を呑む。
絵になる、というのはきっと佐久さんのような人のことを言うのだろう。
だけどこんなに楽しかった今日を、そんな顔で終わらせるのは、ちょっと嫌だな。
「もったいなくなんてないよ。今日より楽しい明日にすればいいんだ」
言ってから少しして、気づく。
……あれ? いま俺もしかして、めちゃくちゃクサい台詞言ってない?
これってめちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃない?
気付いたときには、かぁぁ、と顔が熱を持っていた。
やばい、頬が赤くなってるの、佐久さんにバレたらカッコ悪い。
い、いや、大丈夫だ。この暗さなら、よほど夜目が聞かない限りは顔色なんてわからな――
「どうしたの湊くん、ほっぺた赤いよ?」
――普通にばれてました。
こんな暗いのに良くわかるな佐久さん。
ひょっとしてネコ科? ……猫耳つけた佐久さんかぁ。アリだな。大アリだ。
「でも……」
佐久さんが俺を見つめてふひ、と笑う。
「たしかにそうかも。湊くんって案外ロマンチストなんだね」
「男は皆そうだよ」
「えー。女の子もロマンチストな子は多いけどなぁ」
「じゃあ、人間は皆ロマンチストだ」
プッ、と佐久さんがまた笑った。
「やっぱり湊くんは面白いなぁ。友達になれて良かったや」
呟く佐久さんの横顔は、今日の花火よりも綺麗に見えた。
ああ神様、願わくばこの時間がいつまでも続きますように。
だけど、幸せな時間は往々にしてそう長くは続かない。
「ガサッ!」と不意にベンチの裏の茂みが揺れた。
驚きに身体を預け、「きゃっ!」と抱き着いてくる佐久さん。
佐久さんからしか嗅いだことのない甘ったるい匂いがして、一瞬くらりと欲望に身を任せそうになる。危ない、この匂いに負けちゃ駄目だ。
「お、落ち付いて佐久さん、猫だよ猫」
「ね、猫……?」
茂みから猫が顔を出す。
俺が猫耳がどうとか思ったから顔を出しにきたのかな。だとしたらごめん。
「び、びっくりしたよぉ……って、ごめんね湊くん、く、くっついちゃって! すぐに離れるからね!」
いや、俺としてはずっとこのままでもいいんですけどね、なんてことは少しも顔に出さぬまま、俺はジッと佐久さんが離れるのを待つ。
すると、俺の手元を何か細いものが横切った。
細長く黒いこのフォルム……もしかして蛇っ!?
ま、まずい、佐久さんが蛇に噛まれたら大変だっ!
咄嗟に、手元の細長い物体を思いっきりつかむ。
「ひゃあんっ!?」
あられもない声が、佐久さんの口から漏れた。
……え、なに? 何が起きてるの?
「そ、それは駄目……は、離して、湊くん……っ」
急に荒々しい息遣いに変わった佐久さんに圧倒され、俺は蛇らしきものを離す。
するとそれはくねくねと意思を持ったように動き――そして佐久さんのお尻のあたりに移動した。まぎれもなくそれは――
「――え、尻尾?」
そう、尻尾。
猫とか犬とかそういう毛がふさふさの尻尾じゃなくて、よく漫画に出てくる小悪魔とかのお尻に生えてるあの尻尾。
それが、佐久さんのお尻にも生えていた。
「え? え? ど、どど、どういう……ことだ、これは?」
俺はパニックになり、佐久さんを見る。
「……ばれちゃったかぁ」
佐久さんはとても寂しそうにそう告げると、ベンチから立ち上がった。
同時に、少しずつ姿が変わってゆく。
お尻から生えたハート形の尻尾に、浴衣を破って背中から生えた黒い翼。そして蒼い瞳に浮き出たハートの模様。
「湊くん……あたしね、サキュバスなの」
何も言えない俺の前で、佐久さんはそう告げた。




