10話 夏祭り当日
そして、待ちに待った夏祭り当日。
土曜日の夕方に、俺は会場で一人そわそわと辺りをうろついていた。
ユルルと佐久さんが浴衣の着付けをしてくるのを、俺は会場で待っていたのだ。
現在時刻は、待ち合わせ時間の五分前。
「ごめん、待ったかな湊くん?」
「お待たせしましたミナトさん!」
佐久さんとユルルが待ち合わせ場所に現れた。
「いや、全然待って――」
二人を庇うような俺の言葉は、最後まで発されることはなかった。
なぜかって? 決まってる。
二人の浴衣があまりにも似合っていたからだ。
佐久さんの浴衣は白地に水色や青、藍色の花々が印刷されたもので、とても夏らしく爽やかだ。
そして、腰に巻いた帯の位置がべらぼうに高い。背は俺と同じくらいなのに、なんでそんなに脚が長いんだ。
そして制服と違い柄のついた浴衣では胸元の膨らみがよくわかる。ゆったりとした服なはずなのに、なぜこんなにも直視しがたいのか。
スタイルの良さは浴衣という聖なる武器によって何倍にも膨らみ、もはや他を圧倒する美しさを誇っていた。
だが、ユルルもまたそれに引けを取っていない。
黒地に桃色の花弁が幾つもあしらえられた浴衣を纏ったユルルは、白髪とのコントラストで形容しがたい愛しさを有している。
未発達な身体を浴衣に覆われ、裾を握るユルルの姿を見て、死神だと思う人は万に一人もいない。おそらく全員が天使だと思うはずだ。
桃色の帯もまた可愛らしく、ユルルの魅力をこれでもかと引き立たせていた。
そんな二人が、同時に俺の前に現れる。
「どうかな、似合ってる?」
「えへへ、どうですか?」
二人はその場でくるりと回って見せる。
その場の男全員の視線が二人に集まったように思えたのは、決して俺の勘違いではないだろう。
「……あ、ああ、似合ってるよ。すごく」
スパークしそうな頭を無理やり動かし、俺は何とか言語を話すことに成功した。
よく頑張った俺。これは歴史的な一言だぞ。
こんな美少女二人に詰め寄られて、よくぞ人間の言葉を忘れずにいられたものだ。
「ユルルちゃんスタイル良くてどんな浴衣でも似合っちゃうから、選ぶの大変だったんだよ。ねー、ユルルちゃん?」
「いやー、アイノさんの方がスタイルいいですって。私羨ましいですもん。でも、こんな可愛い浴衣を着させてくれてありがとうございますっ」
「いえいえ、どういたしましてー」
俺の前で二人がなんか会話してる。
やっべ、頭がふわふわして全然内容が聞き取れない。
なんか二人の周りに常に百合の花が浮かんで見えるんだけど。綺麗すぎてもはや視界に影響が及んでるんだけど。
「じゃあ、行きましょう! ほら、行きますよミナトさん」
そう言ってユルルが俺に手を差し出してくる。
今日は土曜日ということもあり、夏祭りの会場は人で大賑わいだ。
だからはぐれないために手を繋ぐ。うん、合理的だ。
でも今手を繋いだら、僕は間違いなく恋に落ちてしまいます。
「ちょ、ちょっと待って、ちょっとだけ」
俺は二人にそう要求し、一度深呼吸をする。
消えよ煩悩! 俺は僧、僧になるのだ!
すぅー……はぁー……。
すぅー……はぁー……。
「……うん、もう大丈夫」
ようやく少し落ち着き、俺は二人の元へと歩み寄る。
「じゃあ、行こ?」
小首を傾げる佐久さん。
「早くしないと全部回れませんよ~っ?」
楽しそうにはしゃぐユルル。
……こんな二人を目の前にして、煩悩を失くせるヤツなんかいねえだろ! ふざけてるのか俺は!
くそぅ、可愛い! 可愛すぎる! 好き! もう大好き!
でも抑えるんだ。この気持ちは胸に秘め、平然とした外見を繕え、春風湊。
そうでなければ、二人が夏祭りを楽しめないじゃないか。
俺は二人の浴衣姿が見れただけでもう充分いい思いをした。
その分、あとは二人に楽しんでもらわなきゃ!
「よし、夏祭り……楽しもう」
俺は二人にそう言って、屋台の並ぶ祭りの中心へと歩き始めた。
わたあめやかき氷など、祭りの風物詩ともいえる食べ物を食べながら屋台を回っていく。
はぐれないようにと繋いでいた手と手は、いつの間にか腕と腕の交差に変わっていた。
手よりも二人との距離が近づく分、耳を澄ませば息遣いさえも聞こえそうだ。
ああ、なんて幸せな時間……!
明日死ぬんじゃないだろうか、と意味なく勘繰ってしまうくらいには幸せ。
と、ユルルが俺の腕を引っ張る。
「ミナトさん、アイノさん。見てくださいこれ、金魚すくいですって!」
どうやらユルルは金魚すくいを見るのは初めてらしかった。
まあそりゃそうか。冥界にはきっと金魚はいないのだろう。
「たいしょー、やってもいいですか?」
「おう、いいぞ。ほら、ポイだ」
「ありがとうございます!」
店主からポイを受け取ったユルルは、浴衣を捲ってぺろりと舌を出す。
ハンターの目だ、ハンターの目をしてる……!
「行きますよぉ――って、あれれ?」
早速一匹目に狙いを定めてポイを入れたと同時に、ユルルは力の抜けた声を出す。
見ると、ユルルのポイは大きな穴が開いていた。
まあ、これぞ力任せのお手本って感じの動きだったからな。その上死神は人間よりも運動能力が高い……すなわち力も強いことを考えると、この結果になるのは無理もない。
「力入れ過ぎちゃったみたいだね、ユルルちゃん」
「そ、そんなぁ……」
ガックリと落ち込むユルル。
……ハッ! その時俺に雷鳴走る。
これはもしや、俺がいいところを見せるチャンスじゃないか?
「俺に任せておけ、ユルル」
そう言って、店主からポイを受け取る。
別に金魚すくいに自信があるとか、そんなことは全くない。
たまに祭りでやっても一匹とれるか半々、二匹取れればかなりすごいって感じの腕前だ。
だがしかし! 男の子というヤツは! こういう時に成功させるものなのだ!
「よーし……」
慎重に狙う金魚を選定していく。
狙い目はやはり水面近くにいる金魚。そしてなるべく小さい個体。
大きさなどクソ喰らえ、今は『金魚を掬う』という行為が出来るかできないかが何よりも大切なのだ。そのためならどんな小さな金魚でも、慈悲なく掬って見せるぞ俺は。
キョロキョロと眼球を動かし、ターゲットを探る。
……良さそうなのがいるな。
大きさも小さく、水面の近くを泳ぎ、なおかつ暴れるような様子もない。
掬うのにうってつけとも思える金魚が、そこにいた。
俺は迷わずその金魚目掛けてポイを近づける。
狙い通り、金魚がポイの上に乗る。
イケる! 掬える! 俺は金魚を掬える!
その瞬間、張り詰め続けていた緊張の糸が僅かに――しかし確実に、緩んだ。
「頑張れー、ミナトさーんっ」
「頑張れっ、頑張れっ」
背後から鈴の音を鳴らしたような二人の声援が耳に届く。
ほぼ同時に、二人の浴衣姿が脳裏に描かれる。
恥ずかしくなる。
手元が狂う。
ポイが破ける。
「あっ……」
かくして、俺は金魚を掬うことなく、いいところなど何も見せれずに金魚すくいを終えた。
「ご、ごめんなユルル。俺、一匹も掬えなかったよ……」
肩を落とし、ユルルに謝る。
あと一歩のところで、二人にいいところを見せたいという煩悩が働いてしまった。
くそぅ、なんてこった。二人に楽しんでもらおうと思ったのに、これじゃ微妙な雰囲気に差せただけじゃないか。
「そんな落ち込まないでくださいよミナトさん~。ほれ、うりうり~」
ユルルが肘で俺を突いてくる。
励まそうとしてくれてるのか。優しいなユルルは。
「うん、ありがとうユルル。もっと突いて」
「え、そ、それは引きます」
引かれてしまった。さすがに注文が過ぎたようだ。
「佐久さんも、ごめんね? 折角応援してくれたのに」
「ん~?」
佐久さんは瑞々しい唇に指を当て、数秒を考え込む。
そしてにひ、と妖しく笑った。
「でもさ……不器用な男の子って、かわいいよね」
はいクリティカルヒットー。
俺は胸を押さえて悶える。
「はうっ。はうはうっ。ははうはうっ」
「日本語を! 日本語をしゃべってくださいミナトさん!」
「ど、どうしたの、湊くん……!?」
二人が心配そうに俺を見つめる。
紅の瞳と蒼の瞳。どちらもとても綺麗で、月並みだけどまるで宝石みたいだ。
こんな二人に心配してもらえるなんて、ああ本当に、俺は運のいい男だなあ。




