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忘れられた池

さて、私が住んでいる静岡県は大きな川がいくつも流れており、市内の至る所に支流や用水路、溜池がある。場所によってはウナギやマス、アユ、スッポン等の養殖池が点在し、至る所に水がある。

そんな水の街の中心地から少し離れた山の麓に、小さな池があった。

池の周囲は葦が茂っているものの、誰かが手入れをしているのか、綺麗に整備された小道が池に通じていた。更にその道は、湖畔の岩場に開いた、小さな小穴へも伸びていた。

その穴は、子供でも通るのは難しいくらいの細い小穴で、すぐに中で曲がってしまっているためどの程度の深さかも窺い知れなかった。


私がその池を見つけたのは、良く食べに行く近所の蒲焼屋の主人に教えてもらったからだ。

彼は、私が何でも屋を行っている傍ら、拝み屋の様な仕事もしていることを知っているせいか、たまに、自身が聞いた不思議な話を教えてくれる。

どうも、彼が言うには、以前からその池の周りで近所の子供たちが遊んでいたらしいが、最近その子供達に元気がないそうだ。

関係ないとは思うが、どうにも気になるので、もし良ければ少し様子を見て来てもらえないか、と言う話であった。

彼から教えてもらった場所に行って見ると、確かに、そこは何か不可解なものはいた感じが残っていた。

池と山の麓の、丁度間くらいにある小穴の横には、岩が除けられた小さい更地がある。

多分、何かが建っていたのだろう。

その更地の先には、既に山の緑に飲み込まれた、古い階段のような段差もある。

恐らくだが、山の神様か何かの祭壇でもあったのだろう。

無くなってから、ずいぶん時間は経っているようだが、それでも僅かに空気が淀んでいる。


大抵、こういった神聖な場所の空気は澄んでいるのだが、打ち捨てられて寂びついた所は一転して、重い空気に支配されている。

それこそ、触らぬ神に祟りなしと言うが、神様の消えた神社は、どうにも妖怪や魔性のものが住み着きやすいようで、昔から廃寺や神社には妖怪が付きものだった。

ただ、それも建物が残っていればの話であって、ここにはもう何も残っていない。

住み着く場所が無ければそれまでである。

小穴の中に何かいるかもと思い覗きこんだが、空になって久しいのか、更地の所で感じた空気の淀みすら無かった。

気になるのは、周囲にゴミが散乱していたことだろうか。

お菓子の袋や空き缶等、おそらく蒲焼屋の主人が話していた子供達の散らかしたものだろう。

更に、周囲を踏み荒らしたのだろうか、至る所で葦がボロボロになっている。

小道も、所々石を蹴とばしたのだろうか、でこぼこの地面の上に石がゴロリと転がっている。

私は、その石の一つを蹴とばそうとした時、ふと、池の方に目を向け、足を止めた。

池の対岸付近に、1尾の白蛇が横たわっていたのだ。

大きさは、アオダイショウよりも小さい程度だろうか。

ただ、小さいもののマムシの様な寸胴な印象は無く、スラリと伸びた頭と胴はユリの花を思わせるような姿であった。

白蛇は、じっとこちらを見つめて動こうとはしない。

私も、金縛りにあったように動けなくなっていた。

その蛇からは何も感じられないのに、何故か、目があった瞬間から空気が淀み、次第に重苦しくなっていく。

そのまま、少しの時間が流れた。

やがて、白蛇は池を泳ぎ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。

すると、その背中部分に、小さな傷があるのが見えた。

それほど深いようには見えないが、鱗が剥がれて、少し血がにじんでいるようだ。

何かにぶつかったか、あるいは擦ったような傷跡である。

白蛇は、池から道に上がると、そのままゆっくり小穴へ向かい中に入っていった。

すると、先程までの重苦しい空気が急に消えて、風が草木を撫でる音が聞こえるようになってきた。


それが、一体何を意味しているのか。

私はその場に留まり、小穴の方を眺めながら先程の蛇について考えを巡らせていた。


先ほどの白蛇は、違和感は覚えたもののただの蛇である。

ただし、祭り上げれば妖怪も神様になる様に、ただの獣が年を経て神様になることもある。

またその逆に、人々の信仰が失われることで、姿を消す神様もいる。

あの小穴の横にあった更地に何かしらの祭殿があったとすれば、既にこの地に居た神様は姿を消してしまったか、ただの獣に身をやつしてしまっている可能性はある。

小穴自体は、ただ最近できた風穴の類であれば大したことは無いが、もし万が一、あれが祭殿のあった頃からのものであるならば、あの白蛇が、祭られていた神のお使いか何かの可能性はあるかもしれない。

神様のお使いとされる生き物は少なくない。

有名どころと言えばキツネやシカ、カラス等だが、蛇もまた神の使いとして崇められる生き物である。

とくに有名なのは弁財天のお使いとされる白蛇だろうか。

金運アップや商売繁盛につながるとされたり、再生の象徴とされたり、他にも良縁を結ぶといった話まである程だ。

また、日本の地方には蛇そのものを信仰する蛇神信仰もあり、特に水を重視する地域でその傾向がある。


そもそも、蛇神とは何か。

様々な伝承で、蛇は、水の精や神を模した姿として描写される。

古くは、川水の流れる様が蛇に例えられ、幾度も氾濫する川は時に竜とも呼ばれ崇められた。

日本神話で語られるヤマタノオロチも、蛇神とされることもあれば、悪竜の一種とされることもある。

然るに、竜神信仰と蛇神信仰とは一体何が違うのだろうか。

古来の伝承の中で蛇と竜が分けられると言えば、四神であろうか。

東を守る蒼竜に対し北を守る玄武には一匹の蛇が巻き付いている。キトラ古墳に書かれる絵を見ても、玄武に巻き付く蛇と蒼竜は明確に姿が異なる。

もともと、大陸の蛇神信仰はインドにおけるナーガや蛇が変じた化生とされる蛟がある一方で、竜は瑞獣というそれ自体で完結した架空の存在として画かれているようにも思える。

これが日本に入るにあたり、縄文の頃から根付いていた土着の蛇信仰と結びつく形で形成されていったのが、近代の蛇神信仰だろうか。

助手の裕美は爬虫類全般が苦手なこともあり、蛇と聞けば蚊取り線香を点けようとする。

金運が上がると言っても、どうにも鱗ものが苦手らしい。

そのくせ、回らないお寿司は好きだと言うのだから、良く分からないものだ。

いずれにせよ、祭壇もなく確証は持てないが、あの白蛇がかつてここで祭られていた神様の使いか何かの成れの果てである可能性はある。

それが、怪我をしている。


私は急いで蒲焼屋に戻ると、店の主人に、池で遊んでいたと言う子供達の様子を教えて欲しいと話した。

私が随分汗ばんで息を切らしているのを見たせいか、主人も直ぐに、近所の伝手を使って調べてくれた。

すると、その池で遊んでいた子供たち全員、足首に縄で括られたような痣ができていたらしい。

痛みも無く、特に気にもしないでいたそうだが、不思議なことに全員が蛇が足に絡まっている夢を見ていたそうだった。

私は、とりあえず自分が見た蛇の話はしないで、単純に子供達が池の周りにゴミを散らかしていること、池は非常に深く、今後あの周辺で遊ぶのは止めた方が良いという事だけを伝え、もし掃除をするのなら、一緒に手伝わせてもらいたいと申し出た。

子供達は随分と池に近づくことを渋っていたが、ゴミを散らかしていたことをきつく親から咎められたようで、ゴミ袋を用意して池に向かう事となったようだ。

誰か大人も他に着いてきてくれるかと思ったが、何やかんや忙しいと言うことで、成人は私一人であった。

一先ず池に向かうが、道中子供達に少し質問をした。

池を見つけた経緯やどの程度の期間遊んでいたのか、足の痣は何時頃から出ていたのか、遊んでいる間に何か気になったことは無いか。

子供達は、概ね素直に答えてくれていたようだが、唯一答えに窮したのは、蛇を見なかったか、という質問であった。

質問した時に、一緒に来た3人全員が肩を震わせて反応したが、お互いに目を合わせて押し黙ってしまったのだ。

私は、少し様子を見てから、子供達に、何か気になることがあるのならいつでも話して欲しいとだけ伝えた。


さて、池に着くと、まず子供達に足首は大丈夫かどうか確認してからゴミ拾いと小道の掃除をするよう話した。

ゴミについては3人とも納得したようだったが、小道を掃除すると言うのはピンと来ないようだった。

不満気に首をかしげる子供達に対し、蹴とばしたり放り投げたりした石が転がっていると良くないぞ、と伝えると、また3人で目を合わせてから、分担して掃除をすることで納得してくれた。

子供達が掃除してしばらく経った時、小穴の中から、1尾の白蛇が首をもたげながら姿を現した。

気がついた子供達が一瞬怯えたが、蛇は何もせず、動かないでそのままじっと見つめている。

私は、一番震えている子供の所に行き、あの蛇に何かしたのかを聞いてみた。

すると、彼は、この池で蛇を見つけた時に、その辺に転がっている石を投げつけたことを白状した。

そのうちの一つが、蛇にあたって怪我をさせたのだろう。

その日以降、夢の中で随分とあの白蛇に追いかけられたらしい。

足首の痣も、その頃から3人に浮き上がる様になってきていたそうだ。

私が、騒がずに掃除を続けるように話すと、子供達は不安そうな表情をしたままではあったが作業に戻っていった。

ゴミ拾いと小道の掃除はすぐに終わり、私は、子供達にもう帰るようにと伝えた。

3人は少し怯えたような表情で白蛇を一瞥してから、小さく頭を下げて無言でその場を後にした。

白蛇はその間、ずっとこちらを見ていたのだが、子供達の姿が見えなくなると、ゆっくりと小穴の中に戻っていった。私は小穴に一礼してから、その場を立ち去った。


次の日、ウナギ屋に子供達のことを聞きに行ったら、足からは痣がひいており、体調も回復したそうだ。

もう池には行かないようにと、念を押した後、1人で池の様子を見に行くと、小穴は既に塞がってしまっていた。

しばらく周囲を散策したが、特に珍しい生き物も見えず、更地の所に残っていた淀んだ空気も、小穴に残っていた僅かな気配もなく、どこにでもある耕作放棄地のような雰囲気になってしまっている。

おそらく、数週間もすれば、ただの池がある空き地になってしまうだろう。


後日、市の図書館で地域の習俗を記した本を紐解いてみた。

それによれば、昔、小穴が開いていた場所には、蛇を祭る小さな祠が建っていたそうだが、戦火に焼かれ、氏子や世話人も戦後の混乱期に姿を消してしまったらしい。

もしかしたら、あれは使いなどではなく、昔祭られていた神様自身だったのかもしれない。

もしそうであるなら、手入れをする人も参拝する人も居ない日々で、次第に力を弱めた神様は、何を思ってあの小穴に居続けたのだろうか。

自分の事を忘れた人間が、かつて崇めていた自分の住処を汚したことを、どんな思いで見つめていたのか。


既に祭殿も無く、あの神様にはほとんど力は残されていなかったのだろう。

最後の神通力を振り絞って、あの子達に罰を与えようとしていたのかもしれない。

私が何かしなくても、数日であの子達は快方に向かった可能性もある。

近代化の波の中、人間が自分達の力で自然を制御できるようになった今、神様への接し方も昔とは大きく変わっている。

水神として田畑を潤し畏敬の念で崇められていた蛇は、治水の発達と共に、新たな信仰を集めるために金運や商売繁盛への趣旨替えを行った。

そこまでしても、必要のなくなった神様は忘れられていくものである。

困った時の神頼みと言うだけあって、人が、自分で幸せを掴める時代になればなるほど、神様は必要なくなっていくのだろう。

しかし、果たして今は、本当にそんな幸せな時代であるのか。

池の掃除中に見つけた、小さな蛇の抜け殻を見つめながら、そんなことを思った。

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