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微温湯の夢に浸っている瞬間、人は最も幸せを感じられているとよく言う。


夢のマイホームを想う人も居れば、白馬の王子様を待つ人、栄光をその手で追いかける人。

あるいは、もっと小さくも、慎ましやかな夢かも知れない。

新たな足し湯が出来ればよいが、大きすぎる夢の場合には大抵、自ら現実と言う名の島に上がるか、誰かから冷水を浴びせられて醒めてしまうかのどちらかだ。

中には、無理な足し湯をし続けたり、現実から目を背けて溺れたりする人も居る。やはり身の丈に合った夢が大事であろう。


そういう意味では、やはり夢は寝ている間に見るものが害も無くて良い。

どれだけ無茶苦茶な内容であっても、溺れて死ぬようなことはないのだから。

しかし、中には悪夢に悩まされている人も居るようで、以前ここに来たA氏はそういった方であった。


彼が最初に私のオフィスに来たのは、2年前だ。

随分と残暑が厳しい、11月だった。

晩秋だというのに、冬支度を始める必要も感じないほどで、職場へ手伝いに来ていた助手の裕美も、秋物のコートを買ったのに着ることが出来ないと文句を垂れ流していたのを覚えている。


そんな頃、A氏は、非常にやつれた姿でやってきた。オドオドした仕草に、どこか挙動不審で、目線も定まらない様子だった。

随分と不安そうですねと裕美が話しかけると、その言葉に驚いたように震えてから、なにやら小さい声でブツブツと呟いた。

何ともか細い、喉から絞り出すような声で、どうにも周囲の雑音に掻き消されて聞き取れない。

もう少し大声でお願いしたいと頼むと、今度は叫んでいるような大声であの、とかその、とか言い始めた。

しかし、少し話すとやはり急速に声量が絞られて、結局最初に戻ってしまう。


それでも、何とかかんとか聞きだしたところによれば、最近悪夢ばかりを見ているらしい。

中々寝付けないので、どうも精神的に疲れがたまり、そろそろ仕事にも支障が出てきている。

どうにかならないかとのことだった。


どうにかと言われても、ここは病院でも何でもない。

出来ることと言えば、良い睡眠がとれるような民間療法を一緒に調べるか、睡眠関係のお医者さんを探す程度だろうか。

そんなことを考えながら話を聞いていると、このA氏はとんでもないことを言い始めた。

このオフィスでは、色々と不思議なことを解決してくれるのだろう。

どうか獏を見つけて、この悪夢を食べてもらって欲しいというのだ。


うちは、相談受付から拝み屋の類まで確かに色々と行ってきた。また、犬や猫を探して欲しいという依頼自体は、これまでも有ったが、さて、獏を探せと言われても困ってしまう。

まさかマレーバクでも捕まえてこいと言うわけではあるまい。

裕美は、適当に探してきて居なかったと言えばいいのではと簡単に言うが、居ないと分かって探した挙句、それでお金を取れば詐欺である。

そんないないものを探すようなことはできないと言うが、居ないことの証明は出来ないのだと嘯くから始末に悪い。

じゃあお前が探して来いと言っても、私は事務員だからと屋外業務には全く力を貸そうとしない。


とりあえずA氏には、一旦そのまま帰ってもらったが、果たして何をどうすればいいのか考えてみた。

まず居るかどうかも分からない獏を探しても、あまり意味は無いだろう。

また、彼の悪夢は、理由があるとしても心因的なものの可能性は高い。

中には憑き物が影響している依頼人も居るが、少なくとも今の時点では彼には何も憑いていなかった。

あるいは彼が今住んでいる場所に何らかの問題があるのかもしれないが、それは現地を見に行かないと分からない。

まず、精神的なストレス等によるものか、あるいは彼のいる家に何かあるのか、それを調べてみるのが最初の作業だろうか。


そう思いたち、道具を片手に彼の家に行く途中であった。

どうにも奇妙な姿をした1匹の獣を偶然にも見つけてしまった。

大きさは、成長したシベリアン・ハスキー程度だろうか、ふわりとした金色の毛に包まれて、道路の隅に蹲っている。

短い4本の脚と、さらに短い尻尾をこちらに向けているが、頭は隠れてしまって良く分からない。

どう見ても一般的な獣ではなさそうだが、何か害や悪意の様なものは感じられなかった。

そうかと言って、下手に刺激して、虫の居所を悪くしてしまうとなにか悪いことがあるかもしれない。

触らぬ神に祟りなし、早々に立ち去ってしまおうと思ったが、横を通った時に、ちらりと覗かせた顔に足を止めてしまった。

象とまでは言わないが、少し長く伸びた鼻に、くぼんだ黒い瞳。

それは、写真で見たことのある、所謂バクの姿にそっくりであった。

私は周りに人が居ないことを確認してから、バクに近づき、少し手を差し伸べてみた。

すると、バクはゆっくりと体を起こし、私の周りに纏わり着いて来たのだった。

下手に追い払うわけにもいかないのでそのままバクが着いて来るに任せてA氏の家に向かったのだが、面白かったのは、A氏の家に近づくにつれてバクが鼻をひくつかせ、それこそ犬が喜んでいる時のように落ち着きを無くしてそわそわとしていったことだ。

漫画であれば目を輝かせて、頬に朱が差しているような状態だろう。


A氏の家に着くと、急にバクは鼻を地面につけて、匂いを嗅ぐ様にあちこちうろつき始めた。

案外、本当に悪夢を食べる獏なのかもしれない。

そう思いながら家の呼び鈴を押すと、これまた疲れ切った顔のA氏が扉を開けてくれた。

いつの間にか、バクは再び僕の後ろにやってきて、目をキラキラさせてA氏の方を見つめている。

こちらは、若干興奮しているようだ。

A氏には、どうにもバクは見えないようだが、折角だから一緒に家に上がらせてもらった。

家に上がってからはA氏に纏わりつくバクを眺めつつ、お茶を頂いて話をしていたのだが、その間にもバクはA氏の頭のあたりで何度も鼻をひくつかせていた。

時々口を開けたりしていたが、どうにも寝ていないと夢を食べられないのか、すぐに閉じてしまう。

その間も、A氏は獏を捕まえてきてくれと必死に伝えてくるが、これが本当に獏がどうか分からない。

とりあえず、そのケモノのことは何も言わず、一旦夢を見てもらうためにA氏に寝てもらうことにした。


渋々ながらA氏が横になると、バクはさっそく足を折り、A氏の枕元にどっかりと身体を置くと、その長い鼻をA氏の頭に纏わりつかせ始めた。

そして、ゆっくりとA氏の頭を揺らしながら、口をもごもごと動かし始めたのである。

見た目は、反芻動物の食事風景そのままである。

一般的なバクは鼻で草や木を絡めとり、口元に葉を持って来て食べるのだが、それが人の夢になったとしたらこんな風景なのだろうか。

2時間程度そのまま様子を見ていたが、暫くして満腹になったのかバクがA氏から離れた、そのタイミングでそっと彼を起こしてみた。

すると何としたことか、起き上がったA氏は、あれほど連日悩まされていた悪夢を全く見なかったと言うのだ。

A氏は、首をひねりながら、折角相談したのにと、小さな声で余計に憔悴した雰囲気になってしまったが、私が実は獏を連れてきたと話しはじめたらと、目を丸くして、私の話に耳を傾けてきた。

流石に、偶然見つけた何とも良く分からぬ獣を連れてきたとは言えないので、金毛の霊獣がどうたらとか言って話したところ、大層喜ばれ、お礼に色々と渡してくれたが、金銭だけは固辞した。

やはり偶然見つけただけのものでお金を貰うのは、少々気が憚れたのだ。

A氏の家を後にし、事務所で、裕美と貰った茶菓子を食べながら事の顛末を話すと、何でお金を貰わなかったのかと1時間にわたる小言を貰う羽目になったが。

 

次に会った時、A氏は最初に会った時の姿が嘘のように晴れ晴れとした表情であった。

死人が生き返ったようだと言えば聞こえは良いが、裕美などは、そのあからさまとも言える快活さを、まるで詐欺師のようだと若干引き気味で言うくらいに、見違えて溌剌としていたのだ。

その横には、依然見た時の倍近い大きさに膨れ上がったバクが控えていた。

どうやら、裕美にもその獣が見えていたようで、あの変な獣が獏であるのかとか、折角だから毛の数本でも切り取ってお守りとして売ったらどうかと言われたが、却下した。 


そもそも、後日調べたところによれば、江戸時代に書かれた和漢三才図絵に、獏は熊に似ていて頭は小さく脚はひくく黒白の駁文、毛は浅くて光沢があるとされるが、最も気になるのは胴鉄および竹や蛇を舐り食べるという点であり、そこには夢を食べるという事は何も書かれていない。

本草綱目からの引用のようだが、元々、中国における獏の伝承はパンダの類を指していたところが、インドの象やマレーのバクが混じったもののようでもある。

これがなぜ、日本では悪夢を食べる霊獣とされたのかは、諸説あり明確ではないようだ。

となれば、今回A氏に憑りついたあのケモノはなんであるのか。

実は日本の獏伝承は、室町時代末期には既に出来上がっており、正月には良い夢を見つつ悪夢を食べてもらえるようにと、枕の下に獏と帆に書いた宝船を敷いた風習もあったとされている。

本草綱目の獏は、おそらく元々の原点である中国の説を書いたものであって、日本の伝承として語られてきた獏とは違うのではないか。

もしそうなら、あれは、連綿と続いてきた伝承の一つがこの時代になって形を得たものなのかもしれない。

何れにせよ、悪夢が転じて良夢になったのなら、それはそれで良いことだが、悪夢を食べて膨れ上がったバクが、悪夢を見なくなったと言うA氏から離れようとしないのは気にはなった。

ひょっとしたら、バクはまだまだあの鼻で、何かしら悪夢の香りか何かを嗅ぎつけているのかもしれない。


先日、A氏から3度目の事業の立ち上げに失敗したと、電話で笑いながら話をされた時に、ふとそのことが思い出された。

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