07 学校は波乱の予感
さて、家族から……特に父さんからの許可をもぎ取った以上、もはや俺に怖いものはない。
早速翌日から、ダンジョンに入り浸ってガンガン攻略を進めてやるぜ……とはならなかった。残念ながら。
おわかりだろうか。休日、それも週末である日曜の翌日は、世間一般では月曜――平日である。
そして俺は《冒険者》であると同時に、社会的身分として学生でもある。つまり翌日には普通に学校があった。
いくらダンジョンに挑みたくても、高校を休んでまでは潜れない。それでは優先順位が逆だ。何より父さんに叱られる。
そんなわけで、俺は頭の中を放課後からのダンジョン攻略の計画で一杯にしながら、学校に登校していた。
「ちーっす! はよっ、贄神!」
「おー、おはようさん」
教室に入った途端、元気のよい挨拶を送ってきたのは同じクラスの斎藤 一だった。明るく快活、クラスのムードメーカーのような男子である。
「なあなあ、贄神見たか? 昨日の放送」
「ああ、どうせあれだろ? あのカラフルデフォルメウサギの電波ジャック」
「そうそれ、『ダンジョン解放宣言』ってやつ!」
俺が自分の席に荷物を下ろすと、斎藤はなぜか得意気な様子で昨日の一件について話しかけてきた。
耳を澄ませてみれば、教室内のほとんどの生徒がダンジョンについての話題を口にしている。
まあ、あれだけ派手にやったのだ。その内容含め、若者の興味を引くには十分すぎるよな。規模からしても、見てない奴を探す方が難しいくらいだ。
「いいよなー、ダンジョンって。きっと夢とロマンと可愛い女の子との出会いが待ってるんだぜ。俺も潜りてー」
「ふむ、夢とロマンについては同意するが、斎藤はあの放送を信じてるのか?」
キラキラと純粋無垢な少年のように瞳を輝かせる斎藤だが、その口調がダンジョンの存在を確信しているように聞こえたので、少し気になって尋ねてみる。
現時点では、世間一般にダンジョンや《冒険者》は与太話かなにかの類いだと思われている。
と言うより、あの放送自体が盛大な悪戯だと認識されているようだ。
実際、俺たち《冒険者》みたいにダンジョンを直接目にするか、その周辺の人くらいしか信じていないのではないだろうか。
クラスの皆も、聞こえてくる限りじゃ半信半疑も良いところみたいだし。
俺も夕飯の後で気になって、ネットでダンジョンや《冒険者》関連の話題について検索してみたが、そのほとんどがネタや釣り、ガセで埋まっていた。つまりは嘘だ。
ごく稀に、本当に俺と同じ《冒険者》が書き込んだような書き込みを見つけることもあったが、他のネットユーザーからはその他大勢のガセネタと一括りにされていたし。
勘違いしそうになるが、今日はまだダンジョンが解放された翌日である。これからは精度の高い情報がネットなどを通じて拡散していくだろうけど、今は都市伝説などと同じ扱いだった。
俺が訝しげな表情をしていると、斎藤は「ちっちっち」と舌を鳴らして指を振った。意味がわからない。
「言ったろ、夢とロマンと可愛い女の子との出会いがあるって。あのウサギの言ってたことが本当だった方が面白そうじゃないか」
「何だ、結局そうであって欲しいって願望か」
「なんて言うか、斎藤くんはブレないわね」
と、そこで俺たちの話を聞き付けてきたのか、新たな声が会話に加わってくる。
そちらに顔を向けると、そこには青いフレームが特徴的な眼鏡をかけ、胸の辺りまで伸ばした髪をお下げにしている笹倉 詩織さんが立っていた。
「あ、おはよう。笹倉さん」
「ちっす! はよ、委員チョー」
「ええ、おはよう、贄神くんに斎藤くん。それにしても、今日の教室は昨日の事件で持ちきりね。私たちには関わりがないのに」
俺たちと朝の挨拶を交わした笹倉さんは、教室中を見渡して呆れたような表情になる。
その生真面目な性格でクラス委員長に推薦までされた彼女からすると、今の浮わついたクラスは好ましいものではないのかもしれない。
「いやいや、でもダンジョンだぜ? 冒険だぜ? 男なら心踊るだろ」
「残念だけど、私は女子だから男心はわからないわよ。……それよりも、個人的には贄神くんがこの手の話題に興味をもっている方が意外だわ」
「え? いや、そうかな……?」
やれやれとばかりに肩を竦めた笹倉さんが、次に指摘してきた点に、俺は首を傾げて尋ね返す。
すると斎藤が「あ、それわかるかも」と口にしたので、自然とそちらへ視線が向いた。
「贄神ってさ、どこかそっけないと言うか、冷静な部分があるだろ? だから朝イチで話題を振ったときも、普通に返事が返ってきて少し驚いたんだぜ」
うーん、自分では普通のつもりだったんだが。と言うか、俺ってそんな風に思われてたんだ。
斎藤の感想に、俺はちょっと落ち込みながら軽く腕を組む。
ここで俺が《冒険者》だと二人に打ち明ける理由は……ないな。黙っておこう。
「まあ、俺にだって興味の引かれる出来事の一つや二つはあるさ」
「ふーん、そんなもんか?」
「そんなもんだよ。ほら、そろそろ先生が来るから席に戻れって。笹倉さんも」
「そうね、それじゃあまた後で」
俺は未だに納得していなさそうな斎藤を追い払いながら、内心で小さくため息をつく。
この分だと、俺が《冒険者》だってバレたら大騒ぎになりそうだなぁ……と。
……が。
その予想は、あまり当たって欲しくない方向で的中してしまった。
それは午前の授業がすべて終わった昼休みのこと。
俺の通っている高校は、その食堂のメニューの豊富さと味のよさがちょっとした自慢だったりする。
当然、生徒たちも購買で売られているパンを買うより学食を利用することの方が多く、一部の例外を除けば常に昼時の食堂は人で溢れている。
この日、俺は込み合う食堂で何とか席を確保し、何となくの流れで教室から一緒だった斎藤と笹倉さんと共に昼食をとっていた。
ちなみに、メニューは俺がミートスパゲッティ、斎藤が親子丼、笹倉さんがきつねうどんだったりする。
「あれ、あれって会長じゃないか? こんなところで珍しい」
「ん? ……ああ、本当だ」
そんな折、親子丼をがっつくようにかき込んでいた斎藤が、頬に米粒を引っ付けた状態でふと顔をあげた。
釣られるようにそちらを向くと、確かにそこにはこの高校の生徒会長をつとめる三年生、禅上院 楓先輩の姿があった。
まるで烏の濡れ羽色のようだと例えられる腰まで伸びた艶やかな長髪に、処女雪の如き白い美肌。
涼やかな眼差しと大人びた顔立ちは可愛らしいと言うより美しく、均整のとれたメリハリのある身体つきをしている。
外見的には若干、近寄りがたい雰囲気のある美人さんだが、性格の方は全然そんなこともなく、容姿と相まって学校でもかなりの人気を誇る生徒会長だ。
「珍しいわね、生徒会長が学食を利用するなんて。いつもは弁当組じゃなかったかしら? あと、斎藤くんは顔を拭きなさい」
斎藤の様子に顔をしかめつつ、笹倉さんが不思議そうに呟く。
彼女が口にした通り、普段の禅上院先輩は数少ない弁当派の生徒だ。
学食も安くて美味しいのだが、彼女の実家がかなりの資産家らしく、毎日豪華な弁当を持参しているのを多くの生徒が目撃している。
「今日は事情があって持ってこれなかったんじゃないのか?」
「そっか。まっ、そんな日もあるのか」
「周りに他の生徒会の役員もついてるから、学食の仕組みがわからなくて困ることもなさそうね」
俺が適当に理由を考察すると、そんなものかと斎藤も納得する。笹倉さんはまた別の点が気になっていたようだが、そちらも問題なさそうだった。
確かに、お嬢様なら初めて利用する学食のシステムに戸惑いそうなものだが、周囲に小判鮫のように引っ付いて……もとい禅上院先輩をサポートしている取り巻きの皆さんがついているので、心配いらないだろう。
学食を利用していた他の生徒も、普段は姿を見せない有名人の登場に気づいてにわかにざわつき始めたが、元々が騒がしい場所だ。
俺たち三人は、それ以上彼女たちを気にすることもなく、昼食を再開しはじめた。
……だが。
「あのー、少々お話をよろしいでしょうか?」
しばらくの間の後、唐突にあまり聞き覚えのない、しかし何故か圧倒的な存在感を発する声の主に話しかけられる。
驚いて顔を向けると、そこには想像通り、先程まで俺たちの話題の中心となっていた禅上院先輩が立っていた。
「うぇ!? あ、あの、なにかご用でしょうか、禅上院生徒会長!?」
まさか話の種にはなれど、実際に面と向かって話しかけられるとは思っていなかったのだろう。変な声をあげながら斎藤が姿勢を正す。
笹倉さんの方は……似たような感じか。さすがに斎藤ほど取り乱してはいないが、驚愕に目を大きく見開いている。
しかし、確かにどうして話しかけられたのだろう。俺たちは普通に食事をしていただけで、目立つような真似はしていないんだが。席を譲って欲しいのか?
「ああ、すみません。驚かせてしまったようですね」
俺たちが揃って疑問符を浮かべていると、それを困惑と受け取ったのか、ペコリと軽く禅上院先輩が頭を下げる。
いや、それもあるんですけどね……もしかして、少し天然が入ってる?
「それでですね、私が声をかけさせてもらったのは、そこの……そう、貴方に尋ねたいことがあるからなんです」
内心でそんな確信に似た疑問を浮かべていると、彼女は遠慮がちに俺のことを見つめてきて……って、俺?
確かめるよう自分の顔を指差すと、大きく頷きながら微笑む禅上院先輩。
流石は人気者の美人生徒会長。その笑顔だけで心が洗われるようだが、今はそれに浸っている場合ではない。
斎藤と笹倉さん、そしてついでに先輩の取り巻きの方々から痛いほど視線が突き刺さってくるが、俺自身が声をかけられた理由を理解していないので答えようがない。
訝しげに眉を潜める俺だったが、続いて彼女の口から飛び出してきた質問に、それまでの疑問のすべてが吹き飛んだ。
「貴方……もしかして、《冒険者》ではないですか?」