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58 交渉開始

 



 そして、ついに迎えた水曜日の放課後。


 いつも以上に長く感じた、学校での時間。

 それが終わり次第、俺は楓先輩と共にベルとの一件から続く第二階層攻略計画――その最後の仕上げへと臨んでいた。


 どうしてか……と言うより、楓先輩が呼んだのだろう。校門前で停まっていた黒塗りの送迎車に人生で初めて乗り、三十分ほどの時間をかけて送られた先。

 そこには彼女の実家が経営する禅上院グループの本社――五十階を越えるであろう、見上げんばかりの巨大ビルが建っていた。


 俺達が案内されたのは、そんな建物の中でも上層に位置する応接室。

 広さは高校の教室一つ分、と言ったところだろう。毛足の長い絨毯がひかれた室内は、素人の俺でも一目で高級品だとわかるテーブルやソファー、その他様々な調度品で彩られている。


 物が溢れている訳でも、殊更に目立つよう配置されている訳でもない。全体を通して見れば、落ち着いた気品の漂う部屋だ。

 だが、それでも嫌みにならない程度に自己主張をしてくる家具の品々は、この空間を作り出した人の趣味のよさを伝えてきた。


「――やってくれたな、この蛆虫が」


 そして、そんな応接室で俺たちを待ち構えていたのは、他でもない楓先輩の父親にして、この大企業の取締役でもある禅上院郷地さんである。

 彼は革張りの柔らかそうなソファーに腰掛けながら、入室早々、憎々しげな視線を俺に向けてきた。


 いやいや、仮にも来客にその態度は駄目なんじゃ……などとは思わない。

 何故なら、今日の俺は彼にお願い(・・・)する立場なのだから。


 そもそもの話、俺は一介の高校生で、相手は学校の先輩の父親とはいえ、大企業の経営者である。

 元々の立場が違いすぎるのだから、罵倒の一つや二つくらいは黙って受け入れよう。


 まあ、今日の俺の目的を考えれば、ただ殴られっぱなしと言うのも不味いから、軽く牽制程度に言い返してはおくけど。

 真っ正面からぶつけられた鋭い眼光に、俺は緩く笑いながら口を開く。


「さて。禅上院さんがなにを言っているか、俺にはわからないのですが」


「惚けるつもりか。まあいい、時間が勿体無いからさっさと座れ。俺は学生のためにいつまでも予定を空けられるほど、暇ではないんでな」


「そうですか……いえ、まずはお忙しい中、この場を設けて下さったことに感謝を述べさせて下さい」


「……ちっ。楓の頼みでなければ、誰がお前のために時間を割くか」


 俺が頭を下げると、いかにも不機嫌そうな様子で禅上院さんが顔を歪める。

 まだ会ったのは二度目だが、この眉間にシワのよった顔が素ということはあるまい。本当、随分と嫌われてしまったものだ。


 とは言え、彼が暇でないのも事実だろう。

 今回の場だって、俺が楓先輩を通して半ば無理やり作って貰った訳だし。


 あの日……四日前の土曜日、《小鬼の迷宮》第二階層の安全地帯で、俺が彼女に頼んだことは三つ。

 その内の一つ目は、第二階層攻略に対する協力要請。

 続いて二つ目が、何とか禅上院さんとベルに関して話し合う時間を取れないか、と言うもの。


 俺のダメ元の要求に、楓先輩は本当によく応えてくれた。彼女の助けがなければ、俺は交渉の席に辿り着く事すらできなかった。

 もう感謝感激、雨あられ。楓先輩を教祖とした新興宗教を設立して、毎日崇める時間を作ってもいいね。


 もっとも、そんなことをすれば、目の前の禅上院さんになぶり殺しの憂き目に遭いそうな気もするが……うん、何かゾクッとした。この考えは置いておこう。


 ともかく。


 今重要なのは、『大企業の取締役』としての禅上院郷地と、会話する機会を得られた事だ。

 俺は進められるまま、綺麗に磨きあげられた木製のテーブルを挟み、彼の対面のソファーに腰を下ろす。


 なお、その隣に楓先輩が躊躇いなく座った際、禅上院さんの眉が更につり上がった気がするけど……ねえ、楓先輩? 俺もちょっと距離が近すぎると思うんだ。ここで挑発はいらないよ?


 まさしく悪鬼のような表情へと変わり、それに相応しい威圧感を醸し出し始めた禅上院さん。

 俺は内心で冷や汗を浮かべつつ、彼の気を逸らす意味合いも含めて早々に口火を切った。


「単刀直入に言います……禅上院グループの力で、助けて欲しい人がいます」





 《冒険者》ベル……彼女を取り巻く境遇は、複雑なようで実はかなり単純でもある。

 その気に入らない現状を変えるため、俺が改善すべきと考えた点は二つ。


 まず第一に、ベルの精神的な、いわば心理面での問題。

 いくら彼女を助けたいと願い、手を差し伸べる人がいても、ベル自身が救済を求めていなくては意味がない。変化を受け入れられるだけの、下地を作る必要があった。


 これに関しては、恐らくこの三日間の行動を共にする内に、かなりの進展が見られただろう。

 酷い荒治療にはなったし、あれが最善だったとは到底思えない。

 けど、もうベルは父親に依存するだけの少女ではない。自らの足で立ち上がれる、自立した人間である。


 そして二つ目には、彼女の歪な家族関係に端を発する経済的、家庭面での問題が挙げられた。

 話を聞く限り、ベルの父親は膨大な借金を抱え込んでいるはずだ。私生活にも問題しかなく、改善する気配も見られていない。


 こう言っては悪いが、彼が傍に居てはベルは不幸にしかならないだろう。

 だから最終的にベルを救うために、俺は彼女と父親を引き剥がす必要性があると考えた。


 しかし、それでは引き剥がした後はどうなる?


 いくら《冒険者》なんて力を得ようとも、ベルはまだ中学生。世間を知らぬ子供でしかない。

 この現代社会で真っ当に生きていくために、どうしても誰かしら『大人』の庇護下に入らなければならないのは、火を見るより明らかだ。


 それに保護を頼む相手も、誰でも良いと言うわけではない。


 第一条件として、ベルの《冒険者》としての能力を悪用しない者。これは必須だろう。

 次に、彼女と父親を切り離す手段を有する、確固たる社会的な権力や人脈を有している人、もしくは組織。


 最低でも、父親の方はベルを手放そうとはしないはずだし、強行しようとすれば全力で抵抗してくるだろう。

 新たな保護者には、そう言った影響から彼女を守り通せるだけの力が必要だった。


 そしてこれらを考慮した時に、やはり真っ先に俺の周囲で名が挙がるのが、楓先輩の実家である禅上院グループであった。


 《冒険者》の扱いがまだ不確定で見通しが立っておらず、今後の対応が予測できない現状、国の機関はそれほどアテにしたくない。

 同様に、他の同規模の企業には、俺が個人的な繋がりを持っていなかった。何より、そこが《冒険者》と、どのような内容の契約を結んでいるのかがわからない。


 信頼できるという意味では、現時点で禅上院グループ以上の相手がいないのだ。


 幸いにも、禅上院さんの会社は《冒険者》の雇用契約に積極的だ。その件を条件に含めて彼に話を持ちかければ、直ぐにでも動いてくれるだろう。


 いやぁ、良かった良かった。

 これですべて解決、大円団じゃないか。素晴らしいよ。


 ……なんて。簡単に話が進めば、俺はここまで苦労はしていない。


 その証拠に、俺の言葉を聞いた禅上院さんは、つまらなさそうに一つ鼻を鳴らした。


「ふん。それはベルとか言う小娘のことか? 楓から話は聞いているがな」


 腕を組み、苛立たしげに足を揺すりながら、彼は顔を顰めて告げる。


「ハッキリ言おう。『禅上院グループの方針』としては、積極的にその娘と雇用契約を結ぶ気はない。向こうからどうしても、ということなら考えなくもないがな」


「やっぱり……そうなりますか」


「当たり前だ。何故、わざわざ好き好んで『訳アリ』の《冒険者》を囲わなければならない? 同じだけの働きをしてくれるなら、より低リスクで低コストな人材を雇うのが道理だろう?」


 不機嫌そうな様子は変わらず、禅上院さんは吐き捨てるよう俺の確認の問いに答えた。

 それに理解は示せても、不快感が溢れてくるのは、まだ俺が子供だからだろうか?


 小さく息を吐いて、俺は感情の整理をする。

 彼の企業の代表という立場を考えれば、これは至極当然な結論だったろう。


 現在、《冒険者》の総数は三百人。

 その内のどれだけが、禅上院グループのような企業と雇用契約を望むかはわからない。

 けど、少なくとも彼らは、現時点で十名以上の《冒険者》と雇用契約を結んでいるはずだった。


 他の企業と比べ、禅上院グループは無理に火中の栗を狙って拾う必要性が薄い。


 加えて、俺は既に彼らと手を組んだ《冒険者》達の中に、第二階層進出者が数名含まれている事も知っていた。


 チラリ、と。隣に座る楓先輩の方へ視線を送る。

 最後の三つ目にして、もっとも難しいと思っていた頼み――『禅上院グループと雇用関係にある《冒険者》の情報』を俺にもたらしてくれた彼女は、能面のような無表情で自身の父親を見つめていた。


 理屈はわかる。

 けれど、心情的には納得がいかない。


 多分、今の楓先輩はそのような複雑な心境なのだろう。


 親としては動いて欲しいはずだ。

 しかし、何万もの社員とその家族の生活を預かる企業の代表としては、軽々しくその運営に私情を挟める訳がない。


 会社の利益を最優先に行動するのは、禅上院さんにとっての義務なのだから。


 ベルは『父親』という、マイナス要素持ちの《冒険者》だ。彼女を雇用したければ、まずはその問題を片付けなければならない。

 そして、その際には確実に何らかの対価が発生する。

 見も蓋もない表現をすれば、ベルは他の《冒険者》と比べ、運用するのに手間と支出が掛かりすぎるのだ。


 だから、彼女の価値は相対的に低くなる。

 利益最優先の企業が、積極的に確保しようとは考えなくなるくらいに。


 それを承知の上で、ベルの方から契約を望むとなれば、その条件は他の《冒険者》よりも悪くなる。ならざるを得なかった。

 だが、それでは何も変わっていない。彼女を利用する相手が、父親から企業になっただけだ。


 何度も繰り返すが、企業には最大限に利益を追求する権利と義務がある。

 禅上院さん達が、俺たちの足元を見てくるのは当たり前。人情? 何それ美味しいの?


 彼らは商人である。こちらに不利な条件を突きつけつつ、それで図々しく「貸し一つ」だなんて言える人種なのだ。


 まあ、そこに偏見が混じっていることは認めるけどね。そう言う人達もいるって話である。

 どちらにせよ、商談の場で相手の善意になんて期待してはいけない。


 そもそも禅上院グループだって、禅上院さん一人で動かしている訳じゃない。多くの幹部や株主とも相談した上で、今後の経営方針を決めているはずだ。


 これほど巨大な組織なのだから、内部にも幾つかの派閥や勢力が出来上がっているだろう事は、想像に難くない。

 ベルを直接知らない人達からすれば、彼女に情けをかける事は、そのまま自分達の利益が目減りすることを示している。


 ゆえに、禅上院グループは積極的に動かない。

 それこそが正道で、常道で、もっとも企業が得をする選択だと知っているから。







 ――けど。


 そこで、俺は薄く笑みを浮かべる。

 決して、こちらはお前たちに媚びを売ったりはしないのだと、禅上院さんに知らしめるように。


「それは、あくまで昨日(・・)の時点では……じゃないですか?」


「……ちっ」


 この指摘に、彼は忌々しそうに舌を打つ。

 十分だ。その反応だけでも、俺のしてきたことが無駄ではなかったという何よりの証拠になる。


 さて……それじゃあここからは、こちらの反撃の時間といこう。



 

 

 正直、代表取締役だからって大企業を個人が好き勝手に動かせる訳がないよね……多分。

 ついでに現状、禅上院父は娘と企業の板挟み状態。ここ数日は娘からの圧力に、胃薬が手放せない状況でした。


 以下、各々の立場からの主張。



カエデ「父様、ベルさんをウチで守ってあげてください」


父親「いや、しかしだな。いくらラブリーマイエンジェル楓たんの頼みでも、会社を私情で動かす訳には……」


企業「は? なんでマイナス要素持ちの人材と契約しなきゃならないわけ? するとしても当然、他と比べて雇用条件は悪くなるでしょ? ついでに向こうからお願いしてきたなら、恩も売りつけられて一石二鳥だよね」


ソーマ「よしわかった、ならばボス攻略だ」


企業「ふぁっ!?」

 

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