06 家族会議
「創真、お前はもうダンジョンに潜るな」
「断るよ、父さん」
その日の夜……と言うより、もう深夜だな。
俺は父さんからダンジョン禁止令を出され、悩むことなくそれを拒否していた。
どうやら俺が帰ってくるのを家族全員が待っていてくれたらしく、現在はリビングに揃って遅い夕食中だ。
メニューは昼に食べ損ねたカレーに、サックリ揚げられたカツを乗せたカツカレー。付け合わせに茹で玉子と生野菜のサラダが付いている。
思えば昼から何も口にしてなかったんだよなー、と思いながら一口。
うん、やっぱり空腹は最高の調味料だな。それに母さんの料理は元々美味い。
「そ、創真! 父さんは本気なんだぞ!」
「うん?」
俺が母さんの手料理を堪能していると、ダイニングテーブルの反対側に座っていた父さんが勢いよく立ち上がった。
よく見ると母さんも妹の真由も、夕食には一切手をつけていない。料理に舌鼓を打っていたのは俺だけだったようだ。
はぁ……と、俺は一度スプーンを置き、父さんを正面から見据える。
警察署に迎えに来た車の中からずっと無言だったから何かはあると思ってたけど……まあ、妥当なところだよな。納得できるかどうかは別として。
「俺だって本気だよ、父さん。本気で《冒険者》として、ダンジョンに挑むつもりだ」
「だが、命の危険があるんだろう? そもそも、それ自体が未知の力だ。創真の身体に悪影響を及ぼす可能性がある」
なるほどなるほど。確かに父さんの言葉は正しい。
ダンジョンには魔物が徘徊していて容赦なくこちらの命を狙ってくるし、元々《冒険者》の能力自体が原理不明のものだ。与えられたものだ。
ある日突然、あの主催者の都合で一方的に取り上げられる、そんな未来があるかもしれない。
しかし父さんの反論に、俺は物的証拠をもって立ち向かう。
「それでも、そのリスクを上回るメリットもある――【物質化】」
俺が物質化させたのは、今日の俺がダンジョンで狩ったゴブリン八十一匹分のポイント。
そのうち、半分ほどをショップで換金して手に入れた金だ。
約三十五万円相当。大きさはそれほどでもないが、その純金の輝きは確実に家族全員の目を引いた。
ゴクリっと、誰かが息を飲む音が聞こえてくる。
「お兄ちゃん、これって……」
「ああ、紛れもない純金だよ。売れば三十万円は越えるだけの量はあるはずだ」
その俺の返答に、真由は恐る恐ると言った様子でテーブルの上の金へと手を伸ばす。
最初は危険物か何かのように指先だけの興味本意で。やがて手のひらの上にとり、その感覚を確かめるように触れ始めた真由の瞳は、すでに目の前の金に釘付けになっていた。
「創真……これは…………」
「これは俺が今日、たった三時間にも満たない探索の結果として稼いだ成果の内の僅か半分だよ」
声を震わせる父さんに続けさせないよう、俺はここぞとばかりに畳み掛けて熱弁する。
父さんが安全面からダンジョンに潜ることを反対するのならば、俺はそれ以上の利を提供してみせる。それだけの魅力が、ダンジョンにはあるのだから。
「何の特技も持たない高校生が、こんな短時間にこれだけ儲けられる方法って他にある? しかも俺にはこれから先、確実にこれ以上の金額を稼ぐ自信があるよ」
「……金は父さんが稼げばいい。わざわざ創真が危険を犯す必要はない」
「それじゃあ駄目だよ。だって父さん、今もすでにかなりの無茶してるじゃないか」
目の前に現物として提示されてしまったメリットに、父さんは固く目を閉じながら絞り出すよう答える。
けれども、そこには最初ほどの勢いはない。最後に出てきた弱々しい反論を、俺は容赦なく一蹴した。
「最近の父さん、毎日朝早くから夜遅くまで仕事ばっかりだよ? 今は何とかなってるかもしれないけど、このままだと確実に身体を壊すからね」
「気合いで持たせるから心配ない」
「その理屈だと、俺だって気合いで生き残るから問題ないはずだ。それに数年後、俺の大学受験や真由の高校受験の時はどうするの? 家のローンがまだ何十年も残ってるのに、今以上にお金が必要になるんだよ?」
現状、贄神家はお金に困っているわけではない。貯金だって少しはある。
だけどそれは、父さん一人が無理をして働いているからだ。いわば我が家の負担を、父さんが一身に背負っている形になる。
この状態が続くようであれば、贄神家の財政はいつか確実に破綻する。それも最悪の形でだ。
頼りになる大黒柱も、酷使し続ければいずれ折れる。そんなことは当たり前。
やはり本来ならば、家を買うのはもう少し余裕ができてからの方がよかったのだ。
それを母さんや俺の反対を押しきって前倒ししたのは、それだけ父さんの俺たちに対する愛情が深いからだろう。その点については疑う余地がない。
「……ねえ、父さん。俺は別に、父さんが不甲斐ないとか考えてる訳じゃないんだ。むしろ心から尊敬してる。そんな仕事付けの毎日、誰もが耐えられるわけないから」
「創真……」
先程までとは一転、優しく語りかけるような、穏やかに諭すような声色で、俺は最後の説得を行う。
視線をあげ、表情の抜け落ちた父さんの顔は、いつも以上にやつれて肌の色も悪いように見えた。
「でもね、だからこそ俺は、これ以上父さんに無理をして欲しくないんだ。折角手に入ったチャンスを、俺は手放したくない」
いつしか、黙って俺たちの討論を聞いていた母さんも、初めて見る黄金に目を輝かせていた真由も、俺の告白に耳を澄ませていた。
誰もが無言でいるリビングに、俺の声だけが響いていく。
「それに……さ。これはあんまり誉められた理由じゃないんだけど、俺自身がダンジョンを攻略したいって思うんだ。お金とかは二の次で、ただ単純に、この現実を楽しみたいって」
少しだけ恥ずかしくなって、そこで一旦俺は話を区切り、頬を指で掻く。家族の目を見るのが怖かった。
俺は我が儘で狡い。こちらの理由の方が大部分を占めているはずなのに、あたかも家庭を助けるためだと主張して父さんに反論した。
最初から正直に話せば、反対されることなんて目に見えていたから、嘘ではないけど真実でもない、耳障りのよい意見で誤魔化した。
少しだけ、自己嫌悪に陥る。
だけど、それでも俺は、ようやく見つけた『熱中できるナニか』を手放したくなかった。
そうして、全員が口を閉じてからどれ程の時間が経っただろうか。
五分? 十分? それ以上?
わからないけど、確かなのはこの静寂を破ったのが、今まで聞き役に徹していた母さんだということだ。
「……ふぅ、仕方ないわね。私はソウちゃんの意見に賛成します」
「なっ、母さん!?」
予想外のところから飛び出した援護射撃に、父さんが驚きの声をあげる。勿論、俺も驚いていた。
「だって、あなたが無理をしてることなんて、妻である私が一番知ってたんだもの。それを解決できる手段があるのなら、乗らないわけがないでしょう?」
「それで創真が危険に晒されてもか!?」
「ウーン、でもお兄ちゃんって、見た感じ余裕そうだったよね」
「真由もなのか!?」
母さんに続き妹の真由まで肯定的な言葉を口にし始めた現状に、父さんが悲鳴に近い声をあげる。
「だって、三時間で三十万だよ? 三十万? スッゴいじゃん。それにダンジョンだってゲームみたいで楽しそうだし、それならマユだって《冒険者》になりたい。お兄ちゃんズルイ」
ジトッとした真由の視線が飛んでくるが、俺にどうしろと? まさか《冒険者》の資格を譲れとでも言うつもりか。絶対に嫌だぞ。
大体、《冒険者》はあのウサギが配布するデバイスがないとなれないんだから、文句は俺じゃなくてあのウサギに伝えてくれ。伝えられるものならな。
なんだが気の抜けてしまった俺が息を吐くと、それに合わせるようにして父さんの肩が落ちる。
一対三、どうしようもない劣勢を悟ったのだろう。いや、もう勝負は決まってしまったか。
「父さん……もしここで強固に反対されても、俺は勝手にダンジョンに潜るからね。それを邪魔することは、父さんには出来ないんだから」
「っ……ああ、わかった。認めるさ」
その俺の言葉がとどめとなったのか、昼間の転移門がひらいた時の状況を思い出したのだろう。
酷く憔悴した表情で、ついに父さんは首を縦に振った。
「ただし、危険な真似は絶対にするな。ダンジョン内で起こったことは毎日報告すること。危ないと判断すれば縛り付けてでも禁止するからな」
「うん、それで大丈夫。ありがとう……それとごめん、父さん」
「…………心配だけはかけさせるな」
結果として、俺の我が儘を押し通す形となったことを謝ると、父さんは小さく不機嫌そうに鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
その頬が僅かに赤みを帯びていたことや、隣で母さんが微笑ましそうに口元に手を当てていたことは、言わぬが華と言う奴なのだろう。
とにかく。
こうして俺は、家族から正式にダンジョンに挑む許可を得たのだった。
なお、その後再開した夕食の席にてゴブリンと一対一で戦ったことを報告すると、「お前は命を何だと思ってるんだ!」と父さんに怒られたのは、また別の話である。