43 ベルの本当の願い
――チョロチョロ、と。
連続して水が流れる音が静まりかえったダンジョンに響き、不思議と心地よく聞こえる周期で鼓膜を震わせる。
なんとなく、心が落ち着くような音色だと思った。
ここは《小鬼の迷宮》第二階層の片隅にある、とある中規模ほどの広さの部屋。中央に何処からともなく湧き上がる清水を湛えた泉がある以外は、なんの変哲もない空間である。
縁は石ブロックで囲まれているし、人工物であるなら噴水と表現すべきなのかもしれないけど……まあ、どっちでも良いか。そこまで細かい部分を気にする性分でもないし。
俺はその中部屋の片隅の壁に背中を預け、グテンとだらしなく両足を伸ばしていた。ベルは隣で足を抱えて小さくなっている。
今のこの場には、クロードもヒスイもいない。召喚を解除しているので、本当の意味で二人っきりだった。
本来なら、危険なダンジョン内でここまで無防備になれるなんて考えられないんだけどな。
そこはほら、部屋に湧いている水のお陰である。お水サマサマだ。崇めておこう。
ベルを探して駆けずり回っていた最中にこの部屋を見つけたときは、時間がなかったから軽く目を通すだけで後回しにしてたんだが――。
俺は改めて【鑑定】の技能を発動させ、中央の泉を眺める。
――――――――――
名称:浄めの泉
効果:【安全地帯作成】
【聖水精製】
入手難易度:???
売却ポイント:???
説明:???
――――――――――
――――――――――
名称:聖水
効果:【魔物払い】
【死霊弱体化】
【生命力回復・極小】
【精神力回復・極小】
入手難易度:???
売却ポイント:???
説明:???
――――――――――
……しかし、泉がアイテム判定されている理由がわからん。どう考えても持ち運べないだろ。
俺は前回同様、二つ分浮かんだ半透明の枠に心の中だけで突っ込みを入れる。
とは言え、そんなどうでもよいことを考えられる程度には、現在の俺たちに余裕があることは確かだった。
それに重要なのは、アイテムと設備の区分ではなく、泉と水の効果の方だろう。
聖水……現実では邪なモノを払う加護や祝福が込められた液体を指す言葉だが、実際の効能の方は眉唾なことが多い。
こう言ったら聖職者関連の人に怒られそうだが、精々が気休め程度の効果しかないだろう。俺が不信仰者と言うことも関係しているかもしれないが。
だが、ことダンジョンに湧くこの聖水であれば、まさかニセモノということもあるまい。
まさしく魔性の存在を払う聖なる水。ゲームでお馴染みの敵を寄せ付けない効果に、極僅かではあるが回復作用も持っているようだ。
回復効果については飲めば良いのだろうか? それとも湯治のように浸かるのが正解なのか?
説明欄を覗ければわかる気がするのだが、その為だけに技能レベルをあげるのもねぇ……こんな時、補助系技能を山ほど保持しているクロが羨ましくなるな。
――いや、それはともかく。
【鑑定】で表示された情報にも、しっかりと【魔物払い】と出ている。泉に至っては、【安全地帯作成】の頼もしい単語が踊っているのだ。
第一階層では見受けられなかったが、どうやら第二階層以降はボスを倒したボス部屋以外にも、魔物が湧かず、近寄れない場所が幾つか設定されているようである。
あのウサギが、無意味に《冒険者》を騙すとは考えづらい。実際にこの部屋に向かってきていたゴブリンが、途中で顔を顰めて引き返していった姿も確認済みだ。
少なくとも、ダンジョン内に限定すればかなり安心できる場所だろう。
「…………どうして、なの?」
「ん、何がだ?」
と、そんな風に俺がとりとめのない思考を巡らせていると、今までずっと無言だったベルが問いかけてくる。
彼女は口元を組んだ腕に埋めたまま、まだ少し焦点の合っていない瞳で見上げるように俺を見つめてきていた。
俯き加減だからだろう、深い蒼色の髪がベルの顔に暗い影を落としている。
どういう訳なのか、それが一層、彼女の現状と未来を強く暗示しているよう俺には感じられた。
「……昨日も、今日も。……どうして、貴方たちはベルに優しくしてくれるの?」
「……は、俺が? ……っく、冗談はやめてくれ」
その酷く的外れな疑問に、俺は思わず吐き出すよう乾いた笑い声をあげた。
どうやらベルには、俺が優しい人にでも見えているらしい。馬鹿馬鹿しくってヘドが出そうだった。
違う違う、そんなんじゃない。俺は人として当然のことをしただけだ。
目の前で死にそうになっている誰かがいたとして、その窮地を救える力を自分が持っているとしたら、良識と良心を備えたほとんどの人間は手を差し出すだろう。
俺は誇れるようなことをした訳じゃない。欠片のようなちっぽけな善性と、『目の前で人死を見たくなかった』なんて利己的な感情で行動していただけだ。
「勘違いすんな。この程度で優しいなんて言ってたら、本当の善人はどんな空前絶後の聖人君子だって話だよ」
「…………? ……でも、貴方は私の家族じゃないのに、助けてくれたよ……?」
「血の繋がりがないと他人を助けちゃいけないなんて、誰が決めたんだ」
そんな腐った常識、ゴミ箱にでも捨ててしまえ……なんて、俺は顔を顰めながら告げる。
するとベルは理解ができないような、自分とはまるで違う生物を見るような視線を俺に向けてきた。
その深刻な常識の解離に、俺は彼女との間に広がっている溝の深さを悟って愕然とする。むしろ断崖絶壁と表現してもおかしくないだろ、これは。
頭が痛くなってきた。この目の前の少女に、はたしてどのような手段で俺の考えを伝えれば良いのか……言葉が通じないよりも厄介じゃないのか?
……でも、ここまで関わっておいて、まさか放置するわけにもいかないしなぁ。
なんと表現するのが適切なのか、居心地が悪くなって仕方がないのだ。
ここで諦めてしまうと、将来、後悔がいつまでも押し寄せて来そうで、むしろ俺はベルが若干怖くなった。
まさかそんな手段で俺を脅してくるなんて……やるな、お前。
……なーんて、内心一人で茶化すのもここまでにしておこうか。いつまでもふざけている訳にはいかないし。
思考を切り替えるよう、俺はグリグリとこめかみを親指で押す。
どれだけ重苦しい思いを味わおうが、胸を押し潰されそうな感情を覚えようが、怒りに頭の血管が切れそうになろうが、それは中途半端に事態へと手を出してしまった自身への罰だ。
俺は姿勢を正して彼女と正面から向き直り、諭すような声色で語りかけた。
「……いいか、ベル。俺にはお前がこれまで、どんな生活を送ってきたかなんて詳しくわかるはずもない。だけど、お前の考えが極端過ぎることだけは理解してるつもりだ」
「……? ベルは、間違ってる?」
「そこまでは言わないし、言えないけどさ……いや、でも、ある意味ではそうかもしれない。死にそうになってまで他人に尽くすとか、お前は少し異常だよ。どこか壊れてる」
サラリ、と僅かに身動きした身体に合わせ、ベルの髪が揺れる。
何処までいっても純粋に、不思議そうな表情で首を傾げる彼女へ、これを伝えるかは少し迷ったが……結局、俺は自身が感じたままの印象をベルへと語った。
娘が身体を張って父親を助ける――良い話だ、美談じゃないか。子供向けの絵本の題材にでもなりそうな内容だ。
だけど、あくまでも美談は『実例がない、あるいは限りなく少ない』からこそ、美談足り得るのだと俺は思う。
考えてもみてほしい。
例えば、善人しか存在しない夢のような世界があったとして、そこでは人々が毎日、毎時、毎秒、当然のごとく善行をおこなう訳だ。
けれども、それはその世界の住人にとっては息をするのと同じくらいに当たり前のことなので、誰も気に止めるわけがない。むしろちっぽけな悪事を働いた方が目立つだろう。
人間が善人に憧れるのは、本物の善人が至極珍しいからに他ならない。
極論ではあるが、完璧な善人なんて存在しないか、もしくは頭のネジが外れた異常者ばかりなのだろう。
根本的に、個人的な欲望と無縁な人間なんて、存在し得るはずがないのだから。
人が行動する時、そこには何かしらの原因と理由と目的があるはずだ。欲と言い換えてもいい。
では、ベルの欲とはなんだろうか? 本当の願いとはなんだろうか?
父親の幸せこそが私の幸せ、家族のためなら何だってする……なんて寝言は聞きたくない。綺麗事は沢山だ。
もっと根元的に、本質的に、率直に、無粋に、不躾に、彼女が求めているモノを思考しろ。推察しろ。考察しろ。暴きたてろ。
ギリギリ、ギリギリ――と、頭の中で歯車の回る音がする。
もちろんそれは錯覚だ。だけど、そんな幻聴を聴いてしまうほど、俺は猛烈な勢いで思考回路を働かせ続けていた。
そして……そのような観点から考えてみると、俺にはベルが父親に『依存している』ように見えて仕方がなく思えてきた。
唯一の肉親、たった一人の家族……彼女はそんな相手に見限られることを、大層恐れているように感じられる。
ハッキリ言って、その有り様はちょっと気持ち悪い。精神がアンバランス過ぎて、狂っているとすら言える。
これは想像だけど、多分、これまでのベルには傍で支えてくれる……助けてくれる人が誰も居なかったんだと思う。
だから、家族という明確な血の繋がりにすがり付いた。せめて父親だけは自分の味方だと言い聞かせ、それゆえに己の身を削ってまで彼に認められようとしてる。
それは、悲痛なまでの少女の叫びだ。
――『私を見捨てないで』。
もう俺には、ベルがそう声を枯らしながら泣き喚き、そして疲れ果てて全てを諦めかけているようにしか見えなかった。
「あー、もう。やっぱり胸くそ悪くなってきた」
ガシガシと頭を掻きながら、俺はようやく指先に引っ掛かってきた真実とやらに唾を吐きかける。
誰かに認められたい。それは人として当然の感情だ。確か承認欲求だったか?
けれど、これまでのベルの周囲には、それを満たしてくれる可能性を持った対象が父親しか存在しなかった。ゆえに彼女は、《冒険者》という手段で彼に貢献する。
ならば、ここで再び考えろ。
ベルとその父親を引き剥がす為に、俺が成すべきことはなんだ?
単純だ。彼女にとっての味方になればいい。
これまでは父親という存在が占領していた位置に成り代わり、徐々に正しい人間関係を教え込んで独り立ちさせられれば完璧だろう。
もっとも、それが難しいからここまで悩んでる訳なのだが。
ベルが積み上げてきた人生によって構築された価値観は、かなり強固なものだ。それはこれまでの対話で、早々に浮き彫りとなっていた。
問題が、出発点へと戻ってくる。
はたしてどのような手段で、現状、赤の他人でしかない俺は彼女に認められれば良いのか。
まずは俺の存在を受け入れてもらわないと、話を聞いて貰う下地すら作れない。
「これなら一度、専門のカウンセラーとかに見せた方が早い気がしてきたな……他人の心を開く方法とか知らねぇよ」
俺は本人には届かないよう、口元を手で隠しながらボソリと呟いた。
無論、ここまで盛大に膨らませてきた俺の予想が、すべて見当違い……だなんて可能性もある。
だが、ベルの精神状態がまともでないことだけは歴とした事実なのだ。専門家に見て貰う価値は、充分すぎるほどにあるだろう。
「…………?」
ジッとベルの顔を見つめながらそう総括した俺に、やはり彼女は何処を見ているとも知れない瞳で、不思議そうな表情を浮かべている。
とは言え、いきなり会話していた相手が黙って考え込んでしまったのだから、それも無理はないのだろうけど。
――が。
「……ねぇ? 一つだけ、聞いても……いい?」
「ん、なんだ?」
そこで意外なことにも、ベルの方から俺に質問が飛んできた。
それは彼女自身になんらかの変化があったのか、俺にはわからない。どんなに頑張ったって、他人の心をすべて見透かせる訳がないのだから。
しかし、確かにベルは俺と目を合わせて、少しだけ辛そうに言葉を詰まらせながらこう尋ねてきたのだ。
「じゃあ…………貴方にとっての、家族って……なに?」
と。
心理描写って、本当に難しい……。




