36 小鬼の迷宮1F-ボス戦4?
その異変に最初に気がついたのは、レイナさんであった。
「――ねぇ、何か聞こえてこないかしら?」
彼女は一度足を止め、耳を澄ませるように片目を閉じる。
それに釣られるようにして、俺たち全員が立ち止まると……確かに、今までは足音に掻き消されていた僅かな音が届いてきた。
なんだ、これは?
方向からすると、丁度ボス部屋のある方角なんだが……。
「戦闘音……ですかね? 複数のゴブリンの声と、時折、微かではありますが金属音が聞こえます」
「おいおい、ここまで来て先客か? 運がないぜ」
耳元に手を当ててそう告げたカエデの言葉に、うへぇ……とゴウキさんが眉をしかめる。俺も似たような思いだった。
ボスは誰かが一度倒しても、また時間を置けば再出現する。正確な期間まではわからないが、それは以前に俺とカエデが確認したから間違いない。
しかし、それは逆に言えば誰かがボスを倒してしまった場合、時間を置かなければ戦うことができないと言うことでもある。
もしも現在、この先で他の《冒険者》がボスと戦っており、そしてそのまま勝ってしまうと、俺たちがボスを倒せなくなってしまう。
第二階層へと進めるのは、最初にボスと戦って勝利した個人、またはパーティー一団体だけなのだ。
ここまで二連続で順調に進んできたボス攻略ツアー、ここで途切れさせるのは少し惜しい。
とは言え、だからとその見知らぬ誰かの妨害をする気は少しも起こらないのだが。
「どうする? 時間も迫ってるし、ここで一旦解散するなら、また後日集まることになるのかしら」
「あー、それもそうだな。ちと俺も時間がヤバくなってきた」
レイナさんが常識的な提案をすると、デバイスを取り出して時刻を確認したゴウキさんが悩ましげに答える。
まあ、それが普通か……幸いにも、明日からは週末だ。社会人らしきゴウキさんはどうか知らないが、俺とカエデ、そして恐らくレイナさんも休日であるだろう。
最悪、日曜日の深夜にでも、また予定を合わせて集合すれば良い。その時間帯まで仕事がある人は少ないだろう。
「ひとまず、ボスの部屋の前までは行ってみないッスか? 判断はそれからでも遅くはないッスし、できれば僕はその《冒険者》とも挨拶しておきたいッス」
「んー、まあ。それが一番妥当なところだよな」
クロの筋の通った主張に、俺たち全員が頷く。
解散するにしても、その件の《冒険者》の顔を見てからでも遅くはないだろうと。
そうして、再び行軍を開始した俺たちだった……が、やがて開ききったボス部屋の扉が見えてくると、誰にともなく緊迫した空気が蔓延し始める。
それは遠目にではあるが、通路から見える室内の様相が、やや異常と表現してもおかしくなかったからだ。
「おい……おいおいおいおい! なんかヤバそうじゃないか、アレ!?」
「知らないッスよ! 少なくとも、僕には大量に湧いてるゴブリンしか見えないッス!」
ゴウキさんの焦燥感が入り交じった驚愕の声に、クロの悲鳴に近い声が重ねられる。
いや、その反応も当然だろう。
何故なら俺たちの目に飛び込んできたのは、ボス部屋から溢れ出しそうなほどの数の武器持ちゴブリン……つまりはボスの取り巻きたちなのだから。
まるで茶緑色の洪水。部屋の外から見えるだけでも、その数は優に五十を超えているだろう。
取り巻きの無限湧き。時間と共に永遠と出現するゴブリンたちだが、通常、ここまで数が増えることはありえない。
その前にボスが倒されるか、逆に《冒険者》が敗北するからだ。
しかし、現在も魔物たちが存在し、戦闘が続いているという現実は……今もあの魔物の群れのなかに、少なくとも一人以上の《冒険者》が囲まれているということを指し示している。
明らかに不利な状況だ。最低でも一対五十。周囲を取り囲まれ、そこに加えてまだボスゴブリンも健在なのである。
絶体絶命。
そんな単語が、俺の頭の中をよぎった。
考えづらいことだが、その《冒険者》が撤退できるだけの余裕と手段を残しているならば、まだ良い。
だけど……最悪の場合、このまま《冒険者》が一人以上、命を落とす結末になりかねない。
ぞくり――と。
ここ数日、久しく感じていなかった恐怖が俺の身体を走り抜ける。ジクリと完治したはずの左腕が疼き、血液が頭の中で沸騰した。
顔も知らない? 名前もわからない? ついでに助ける理由もない?
そんなこと、知ったことかっ!
「っ、介入しましょう! どうにもあの状況が、俺には意図してのモノには見えません!」
「おう! 全くもって同感だ!」
「ここで見て見ぬふりなんて、寝覚めが悪いにも程がありますから!」
「見損なわないで欲しいわ……ここまで来て、助けないなんて選択はあり得ないわよ」
俺の焦りの混じった発言に、ゴウキさんを筆頭とした全員が賛同する。
本来ならあまり褒められた行為ではない、他者の戦闘への割り込み。
だが、今の段階でそんな些細なことを気にする者は、この中には居なかった。
「先行くぜ!」
「クロード! 俺のことは気にせず、“全力で駆け抜けろ”っ!」
真っ先に飛び出していったのは、やはり純粋な身体能力ではこの中で一番のゴウキさん。
その背中にピタリと張り付くよう、護衛に召喚していたクロードが続く……が、そこに俺は技能による強化を上乗せする。
俺の奥の手。【鑑定】と【分析】を取るまで、俺が唯一習得していた技能だ。
そして直後、グンッ――と、クロードの姿が掻き消える。
前方を走っていたゴウキさんを一瞬で追い抜かし、さらに目にも追えない速度で引き剥がし始めたのだ。
これには流石のゴウキさんも驚いたのか、目を見開いて黒の疾風と化した黒狼を見つめる。
だが、その間にもクロードはゴブリン溢れるボス部屋へと飛び込んでいく。近くにいた個体の首へと食らいつき、抵抗を感じさせないままに噛み砕いた。
「ガアァァアアアアアッッ!」
身体を芯から震えさせるような、暴力的な狩人の咆哮が届いてくる。
聞く者の心胆を凍えさせ、思わず両腕を抱き締めて身を隠したくなるほどの野生の雄叫びだ。
予想外の乱入者。それに一時ではあるが、目に見える範囲でゴブリンたちの動きが止まった。
そして、それだけの時間があれば充分だったとも言える。
「おらぁっ! 退けよ雑魚どもっ!」
クロードに僅かに遅れて、ゴウキさんがボス部屋へと到達する。
硬直していたゴブリンのうちの一匹を殴り飛ばしながら、彼は自身に注目を集めるよう声を張り上げた。
そのまま一人と一匹は、手当たり次第、近くの魔物を紙切れのように引き千切り、吹き飛ばし、部屋の中央へと進んでいく。
「私も、遅れてはいられません――ねぇ!」
さらには、その後を追い掛けるよう、既に背負っていた大剣を鞘から抜き放っていたカエデが突き進んだ。
暴風の如き剣閃が宙を裂き、間合いの内側に立っていたゴブリンたちがまとめて斬り捨てられる。
基本、一対一を繰り返しながら戦うしかない先行者たちとは違い、一度に複数の魔物を巻き込んで攻撃できるほどの間合いの広さを有する彼女は、恐ろしいほどの効率で扉付近のゴブリンを駆逐していく。
――そうして、ようやく彼らに追い付く形で俺がボス部屋にたどり着いた時。
見えてきた部屋の中央では、巨大な両刃の斧を担いだゴブリンファイターに、一人の小さな少女が対峙するよう短剣を構えていた。
歳は確実に俺よりも下。恐らくは中学生……クロや妹の真由と同じくらいの年齢だろう。
短いサイドテールでまとめている髪の色は深い蒼色。瞳は濃い紫。
身に付けているのは肩を剥き出しにした薄い上衣に、こちらも太股を大きく露出するような下衣だ。腰には革素材の小さなポーチを巻き付け、首には顔を隠すよう、床に引きずるほど長い黒のマフラーが巻かれていた。
全体的に装備が軽装……まず間違いなく、斥候系の職業についている。
俺は彼女を含め、この部屋全体に対して【分析】を発動させた。
――――――――――
名称:剣持ちゴブリン
レベル:3
特殊技能:???
属性:???
弱点属性:???
――――――――――
――――――――――
名称:ゴブリンファイター
レベル:7
特殊技能:???
属性:???
弱点属性:???
――――――――――
――――――――――
名前:ベル
レベル:8
職業:???
――――――――――
「っち、ギリギリじゃないか!」
俺は表示された情報に、思わず悪態を吐いた。吐き捨てずにはいられなかった。
レベルだけで判断すれば、ベルとか言う《冒険者》はボスを上回っている。
けれども、取り巻きのゴブリンも含めて相手をすることを考えれば、そのような差など有って無いようなものだ。
何より彼女は、ボスの防御力を破れてはいなかった。
「ごぎゃぐぎゃぁぁああ!」
「――っ!」
ゴブリンファイターの咆哮。同時に大上段から降り下ろされた大斧に、彼女は咄嗟に身を翻す。
寸前の回避。掠めていった刃が浅く彼女の肌を傷つけ、そのまま力任せに床へと叩きつけられた。
そして、ズガンッと。
その衝撃によって床の石材が砕け散り、破片が散弾のように撒き散らされる。
当然、近くにいた少女に防ぐ術はない。
身体中を襲う痛みに顔をしかめた彼女。
だが、次の瞬間には一歩足を踏み込み、ゴブリンファイターへと手にした短剣で斬りかかっていた。恐るべき精神力だ。
しかし、それでは届かない。
閃いた刃はボスの片腕に食い込み、確かな傷をつける。
が、それをゴブリンファイターは大して気にした様子もなく振り払い、斧の柄で少女を殴り付けた。
なんとか反射的に腕を差し込んで防御しようと試みる彼女だが、ボスは関係ないとばかりに腕を大きく振り切る。
距離があるためにあり得ないことだとは思うが、その瞬間、俺の耳には確かに骨の砕ける音が聞こえてきた。
「っ! ――っぎぅぅぅぅぅぅ!?」
吹き飛ばされ、転がり、埃と土と血にまみれて倒れ伏す少女。
それでも立ち上がろうともがいてはいるが、やはり腕をへし折られた痛みは耐え難いものがあるようだ。圧し殺した悲鳴が届いてくる。
そして、そんな獲物を放っておく魔物ではない。
【自己回復】の技能によって、早くも塞がっていく腕の傷を見せつけるようにゆっくりと、それはもうゆっくりと彼女に歩み寄っていくゴブリンファイター。
その姿を虚ろな瞳で見上げながら、少女は泣き笑いのような表情を浮かべる。
諦観、恐怖、絶望、苦痛――最後に、何故か安堵。
それらが複雑に入り交じった顔をした彼女に、ゴブリンファイターは容赦の欠片もなく大斧を降り下ろした。
クロードも、ゴウキさんも、カエデも、助けに入るにはまだ距離がありすぎる。
取り巻きが多すぎるのだ。時間が足りなさすぎたのだ。どうしようもないのだ。
最後に追い付いてきたレイナさんも、これだけの数のゴブリンの隙間を抜いて、正確にボスだけを狙い撃つことが出来ない。
そもそも下手をすれば、近くの少女まで巻き込んでしまうと考えると、魔術の行使はどうしても躊躇われてしまう。
万事休す。打つ手なし。八方塞がり。
皆の顔が、悲痛な色に染まっていく。
ゴウキさんはそれでも諦めきれずに、カエデは奥歯を食い縛りながら、レイナさんは思わず顔を背けて、その瞬間の訪れに備えていた。
そして、俺は――
「――おいベルっ! 生きたきゃ死に物狂いで、“ボスから距離を取って逃げろ”っ!」
肺の中の空気をすべて吐き出す勢いで――吠えた。




