31 粘液の迷宮1F-ボス戦
結論から言おう。酷いモノを見た。
《粘液の迷宮》第一階層のボスは、ただひたすらに巨大なスライムであった。
通常の個体が精々五十センチほどの大きさしかないのに対し、ボスの大きさは優に二メートルを越えていたのだ。
レイナさんとクロは、そんなボスを『ラージスライム』と呼んでいたけど……もはやラージどころかヒュージと表現してもおかしくない大きさだろう、あれは。
とにかく、そんな大きな半液体状の魔物がズリズリと草花を巻き込みながら草原を移動する光景は、遠くから眺めるだけでも俺たちに多大な衝撃を与えるに十分すぎるものであった。
物理職のカエデとゴウキさんなどは、揃って唖然とした表情でボスを見ていたし。
もしかしなくても、あの巨大なスライムを物理攻撃だけで倒す行程を想像したのだろうか。
……ああ、うん。あれだな、軽く拷問だわ。時間が幾らあっても足りないな。
ぶった叩いても、ぶっ叩いても、平然とした様子で這い寄ってくる姿が容易に脳裏に浮かぶ。
絶対に、一人では相手にしたくない。
例外的とは言え、魔術師職の俺ですらそう思うのだ。戦士職の二人の絶望は、どれ程のものだろうか。
――だが。
これは骨が折れそうだ……と頭が痛くなってきた俺の目の前で、不敵に微笑んだレイナさんは一言こう言った。
「ここは一つ、私に任せて貰おうかしら」
その時、俺はこう思った。
レイナさんカッケェ! と。
同時に、幾らなんでも無謀過ぎやしないかとも感じていた訳だが。
しかし考えてみれば、少なくとも彼女は一度、このダンジョンのボスを倒しているのである。
先のクロの意味深な発言といい、何らかの秘策があるのだろう。
そんな風に結論付けた俺の目の前で、レイナさんは水晶付きの杖を構え、呪文の詠唱を始めた。
もちろん、それがただの詠唱のはずがなかったのだが。
そもそも、魔術にとって呪文の詠唱とは、一体何なんだろうか?
答えは起動句。
今からどの魔術を行使するか、《冒険者》の身体にインストールされた魔術という技能に認識させるための合言葉なのだ。
例えば、先程の戦闘でレイナさんが唱えた呪文――【炎よ・穿て】。
これは【炎術】技能レベルⅠで発動可能となる『ファイアブレット』を指定する呪文である。
魔術師とは自身で一から魔術を造り上げているのではなく、元々システム内に規定されている魔術をそのまま流用しているにすぎない。
もちろん、ある程度の威力調節や効果範囲指定の自由は効くが、本来の魔術から大きく解離させることは不可能だ。
故に、一言でも単語を間違えれば魔術は発動しないし、詠唱を適当に改変したからといって、その通りの魔術が新たに創造できる訳でもない。
大抵のゲームでもスキルなりキャラのレベルを上げれば新しい魔法は覚えられるけど、自分が勝手に新しい魔法を作ることはできない事と同じだ。
不正にシステムを改造しなければ……だけど。
もっとも、ウサギ相手にそんな真似が出来る奴がいるとは思えないので、俺たちには関係のない話だ。
ただし。
それはあくまでも、普通の魔術師職の場合。
【賢者】の職業をもち、その固有技能を扱えるレイナさんにとっては、少々事情が異なるらしかった。
「すぅ……【炎よ・風よ・――」
大体、距離にして二十メートル以上はまだ開いているだろうか。
ボスであるラージスライムから大きく離れた位置で、彼女は小さく息を吸い、呪文を紡ぐ。
けれどもそれは、出だしから俺の知っている詠唱とは大きくかけ離れていた。
まず、属性の指定がおかしい。
魔術には属性がある。それは至極基本的な概念であって、詠唱の最初には必ず扱う魔術の属性を定める一節が入る。
俺の召喚術の【召喚・~】と言うのも、一応は属性指定だ。
だが、今回のレイナさんの詠唱では、一節目と二節目の二つに炎と風の属性が入っている。
この時点で、彼女がこれから発動しようとしている魔術が普通でないことがハッキリとした。
「――燃え盛り・舞い上がれ・紅蓮の壁となりて・吹き荒び・――」
続々と繋げられていく魔術の詠唱。それは俺の知識が及ぶ限りでは、【炎術】と【風術】のものが入り交じっている。
ゴゥッ――! と。
完成に近づくにつれ、レイナさんの周囲を熱い風が吹き抜けていく。
ローブの裾がはためき、まるで彼女を中心とした目に見えない力の奔流が生まれているようだった。
それでようやく、こちらの存在に気づいたのか。ボスのラージスライムは、這い寄るようにして俺たちに接近してくる。
しかし、遅い。遅すぎる。まるで亀の歩みだ。到底間に合うはずがない。
そして、ついに――
「――敵を阻め・嵐となりて】っ!」
レイナさんの魔術が、発動した。
その瞬間を、俺は当分、目に焼き付いて忘れられないだろう。
現れたのは、地から天へと突き上がり、貫くようにして伸びていく炎の竜巻。
見上げるほどに高く、また成人男性が十人がかりでも囲みきれないほどに巨大な魔術は、ラージスライムの姿を意図も容易く飲み込んだ。
まさに天災。まさしく災禍。
その想像もしていなかった大規模魔術に、俺も、カエデも、ゴウキさんも、最初とは別の意味で驚愕し、震撼させられた。
「これが私の固有技能――【魔術融合】。その能力は……言わずともわかるわね」
もはや興味はないとばかりに視線をボスから外し、やや青白い顔で額に滲んだ汗を拭ったレイナさん。
隠しきれない疲労の色を見せながらも、彼女は口元に勝ち気な笑みを浮かべて俺たちを振り返る。
やはりこれだけの魔術だ。精神力にも相当の負担があるのだろう……が。
それを差し引いても凄まじい威力と規模の魔術に、俺は頬が引きつるのを止められなかった。
後になってレイナさんは語る。
『あれって威力はあるけど、精神力の消耗が倍どころじゃないから、余り多用したくないのよね』……と。
いやいやいや、そんな次元じゃないですから……と、俺は内心で突っ込みを入れる。
【炎術】レベルⅡの魔術、『ファイアウォール』。
同じく、【風術】レベルⅡの魔術、『ウィンドストーム』。
都合四節から成る二つの魔術の詠唱を融合させた、合計八節の魔術。
その威力は、押して図るべし……である。
おおよそ数十秒に及ぶ魔術が終わったとき、焦土と化した大地にボスが存在した痕跡は、欠片すら残っていなかった。




