閑話 とある父親と秘書の会話
今回は閑話です。
時系列的に、ここにぶちこんでおかないと何処にも入れる場所がないように感じたので。
流れが悪くなるのは勘弁してください……(汗
その日、禅上院グループ代表取り締まり役にして、《冒険者》禅上院楓の父――禅上院郷地は朝から虫の居どころが悪かった。
いや……正確にはここ数日中、常に機嫌が下落し続けていたと表現すべきだろう。
原因は彼にとって、目に入れても痛くないほど可愛がっている娘に関することである。
いや、しかしそれも当たり前と言うべきだろうか。
何故なら愛しの娘がラッキーラビットなる得体の知れない存在に《冒険者》へと変えられ、毎日命の危険があるダンジョンへと潜っているのだ。
それだけでも、彼の中では取引先との交渉をぶっちぎる正当な理由になる。なお、相手方は涙目になっていた。
彼がどれだけ娘を可愛がっているか……それは初めて娘がダンジョンへと潜り、姿が見えず行方不明との連絡が屋敷から届いた時、思わず手にしていた次の会議の書類を引き裂いたという実話からも察せられるだろう。
彼こと禅上院郷地は親バカであった。それも、極度の。
しかし、そんな彼も今朝ばかりはあり得ないほど機嫌が悪かった。
全身から重苦しい空気を撒き散らすその姿は、耐性のない者が近づけば泡を吹いて気絶するほどだろう。
普段から鷲のようだと比喩される鋭き双眸は厳しく細められ、その指は忙しなく膝を叩いている。
いつもの時間、いつもの道、いつものように会社へと向かう黒塗りの送迎車。
その後部座席で足を組み、後ろへと流れる外の景色を眺めていた彼に、車を運転していた彼付きの筆頭秘書である中島昇は、苦笑しながら尋ねかけた。
「今日はまた、一段と不機嫌そうですね、郷地さま」
「……ふん、当たり前だ」
他者を存在ごと拒絶するような威圧感も、長年の友人兼、仕事仲間である彼には通じない。
全くもって普段の調子で話しかけてきた中島に、禅上院郷地はやや間を開けてから鼻を鳴らした。
「おや、それはおかしいですね。極秘で進めていた《冒険者》へのスカウトは、現時点で半分近くの方から快い返事を頂けているはずですが?」
「……その件ではない」
惚けるような口調で首を傾げてみせた中島の言葉を、禅上院は苛立たしげに否定する。
「では、早速彼らから買い取りを始めた物品類の調査結果ですか? 申し訳ありませんが、そちらはもう少しばかり時間がかかりますね」
「……その件でもない」
「なんと! それでは、今朝のニュースを拝見されたからですか? 確かに楓お嬢さまが《冒険者》であられる以上、あの法案は郷地さまにとって到底受け入れられないものではありますが……」
「それはある……が、それだけでもない!」
ついにはぐらかすような中島との問答に耐えきれなくなったのだろう。
ガンッ、と彼は声を荒らげながら車の戸に拳を叩きつけた。もちろん、手加減はしていたが。
その姿を、中島はバックミラー越しに確認してほくそ笑む。
どうにも彼の主は頭に血が上りやすい。それも家族……娘関係では特にだ。
その性質をどうこうする気は、しょせん部下の一人でしかない中島にはないが、苛立ったままの彼をこのまま会社に運ぶわけにはいかない。少しは吐き出させておかなければ。
自分はともかく、他の社員が萎縮して使い物にならなくなるのは、中島にとっても困った事態になる。
そう言った点では、先日に面識を得たあの贄神創真とかいう名の少年は見込みがあっただろう。
若さゆえの無謀だろうか、はたまた余程胆力に優れていたのか。少なくとも怒り狂った禅上院の威圧を真っ正面から迎え撃ったのは、中島の目から見ても軽い驚愕を覚えたほどだ。
仕込めば秘書業務の手伝いくらいは出来るようになるだろうか……などと本人が聞けば全力で首を横に振りそうなことを考えつつ、彼は小さく息を吐く。
もっとも、その少年が主の機嫌を損ねている一番の原因であるだろうことは、彼にとってもいかんともしがたい事実であったが。
「俺の楓に余計な枷を嵌めようとした政治家どもは確かに許せん……が、やろうとしたことは理解できなくもない」
忌々しいがな、と舌打ちしながら禅上院は語る。
金のあるところから税金をとる。能力のある人材を働かせる。
それは限度さえ違えなければ、国としては正しい姿だろう。
無論、今回はそのウサギの許した基準を越えたから、このように制裁されることとなったのだろうが。
下手に欲をかくからだ……と内心で彼は吐き捨てた。
そして今回の一件は、一歩間違えれば『自分たちもああなる』という良い前例でもある。
《冒険者》たちと雇用契約を結ぶのは、別に構わないだろう。それは彼らに無理強いしたわけでもない、本人の自由意思に任せたものだ。
けれども、もし自分達が《冒険者》たちに対して、一方的に不平等な契約を強制すれば……次にウサギの標的となるのは、禅上院グループとなる可能性がある。
それを教えてくれたという意味でなら、見せしめにされた政治家たちに感謝してもよいとすら考える禅上院だった。
もっとも――
「それだけで許す気もないがな。あとでウチと仲の良い放送局に話をつけておけ。ゴミムシは徹底的に潰すようにとな」
「わかりました。あちら側も嫌とは言わないでしょうし、総辞職くらいまで追い込めば十分でしょうか。最低でも再起不能になるまで追い詰めます」
情けも容赦もない禅上院の指示。まさに死体に鞭打つ行為だ。
しかし、中島は驚いた様子もなく、むしろ若干嬉しそうな様子でそれを了承した。
彼にしても、敬愛する上司の娘が汚い大人たちの搾取の対象にされかかっていたというのは、腹に据えかねるものがあったのだろうか。
一瞬だけ、中島の顔に黒い影がよぎる。
その返答に満足げな態度で、ふん……と二度目の鼻を鳴らした禅上院は、それよりもだ、とすぐに再び顔を怒りに染めた。
「あの贄神創真とかいう蛆虫はどうにかならんのか。俺の楓の周りをウロチョロしおって……虫酸が走る」
「……おや、なにかありましたか?」
その言葉込められた怒気の大きさに、僅かながら中島は意外そうに片眉を持ち上げる。
主があの少年を毛嫌いしているのは、もはや彼の周囲では周知の事実と言っても過言ではないだろう。なにせ、ことあるごとに口にしているのだ。
ここまで来ると『好き』の裏返しなのではないか、などという馬鹿げた考えが中島の脳裏を通りすぎていくが、口が裂けてもそんなことを伝えるわけにはいかない。
何故なら、下手をすれば物理的に口が裂けるはめになるからだ。被害者は中島、犯人は彼の主である。冗談ではない。
「あの少年が楓お嬢さまに何かしたのですか? 自分にはそのような人物には見えなかったのですが……」
そんな物騒な考えを胸の内だけに留め、表面上は不思議そうな顔を作りながら中島は尋ねかける。
それに震えるほどの力で拳を握りしめた禅上院は、何かに耐えるよう掠れた声で吐き出した。
「楓がな……早起きして弁当を作っていたんだ……」
「――――…………はぁ?」
その言葉に、中島は珍しく呆気にとられたような声をあげた。もちろん、車の運転にはなんの影響も出さなかったが。
中島は知っていた。自身の主の娘の趣味の一つが料理であり、毎日学校でとる昼食は自作の弁当であることを。
それはもう何年も前からの習慣であり、今さらになって主が気にすることではないように思えたのだ。
けれども、すぐに彼は思い直す。
そして不足していた情報を頭の中で推測し、正確に状況を理解して苦笑した。優秀な男である。
「もしかせずとも、それは贄神さまの分ではなかったのですか?」
「――っ! あぁぁぁあああああああ! 何故俺にはあの蛆虫を排除することができないんだっ!」
地獄に堕ちろクソガキがぁ! ――と、まさしく血の涙を流しそうな勢いで発狂する禅上院の姿に、中島は口元の苦い笑みを濃くする。
繰り返すが、禅上院郷地は親バカである。それも、極度の。
娘に近づく男は軒並み排除し、一生自分の手元においておきたいと本気で考える程度には娘を愛している。
けれども、最近そんな娘に気になる相手ができたらしい。
本人は明言していないが、初めてその人物のことを娘が報告してきた時、禅上院は確信した。どうやら自身にとって不倶戴天の敵が現れたようだ、と。
――許さん……絶対に許さん。
メラリと彼の中で消えない炎が灯された瞬間である。
そもそも、思えば禅上院にとって、そいつの存在自体が想定外だった。
一週間近く前、ダンジョンに潜りたいと滅多にない我が儘を告げてきた娘に、当初の彼は当然反対した。
命の危険がある場所に彼女を送るなどとんでもない。しかも自身の力が絶対に届かない場所なのだ。
だが、どれだけ厳しく叱っても中々折れてくれない娘に、彼は渋々一つの条件を出した。
それが、二人以上の《冒険者》でダンジョンに挑むこと。それも実際に会って身元を確認できる相手に限る……と。
その時点で《冒険者》の総数は百人。それが日本中に散らばっているのだから、まず達成不可能な条件だと禅上院は思っていた。
しかし、何の運命が味方をしたのか、娘は容易くその相手を見つけてきてしまった。
それが、あの贄神創真である。
「何故だ、何故なんだ楓っ! どうしてあの蛆虫を傍に置いておくんだ!」
ついにはガンガンと車の窓ガラスに額をぶつけ始めた禅上院に、中島は頭の痛そうな表情になる。
どう考えても、今の姿を会社の社員に見せられる訳がなかった。
まったく、いつまでも子供離れができない父親ですね……と、彼は肩を竦める。
けれど、同時に微笑ましいような思いもまた、その胸の中に生まれている。
中島は知っていた。
彼が仕える主――禅上院郷地には、目に入れても痛くないほど可愛がっている娘がいることを。
禅上院は娘が生まれてからこれまで、彼女に多くの愛情に加え、金で買えるモノなら何でも与えてきた。
だが、それは逆に言えば『金で買えるモノしか与えられなかった』と言うことでもある。
そんな娘が、最近になって心から楽しそうな笑顔を浮かべるようになったのだ。
一人の父親として、嬉しくないはずがないだろう。
そしてもう一つ、中島は主の昔からの癖を知っていた。
禅上院は無能を嫌う。何の利用価値もない相手を嫌う。
それはもう徹底的に毛嫌いし、その生来の口の悪さと相まって『ゴミクズ』や『ゴミムシ』などと散々に罵倒する。
けれども、僅かにでも認めた相手に関しては、『ゴミ』とは呼ばないのだ。
さて。
それでは彼に『蛆虫』と呼ばれているとある少年は、はたして主にとっての何なのだろうか。
恐らくは一生問い掛けられない質問を胸の奥底に封印しながら、中島は車を走らせるのだった。




