23 世間と《冒険者》
異空間に存在するダンジョンに、昼夜の概念はない。
どの時間帯に訪れても魔物は活発に行動しているし、その種類が変わったり、強さが変動することはない。
ダンジョン内では一部の地域を除いて、常に人が活動するに十分なだけの光量が溢れているのも、それを設計した製作者の親切心ゆえだろうか?
そして、現実世界での時計が深夜を指し示していた時間帯。
《小鬼の迷宮》一階層……その通路を、一つの小さな影が走っていた。
それは何かを探し求めるように頻繁に周囲を見渡し、何もない通路が続いているとわかると、すぐに足を早めて場所を移動する。
何度も、何度も、何度も。
同じことを繰り返し、ダンジョン内をあてどなく彷徨っていた影は、やがてようやく目的のモノを見つけることに成功した。
その視線の先にあったのは、このダンジョンでは最弱にして最もありふれた魔物――ゴブリンである。
影は腰から吊り下げていた短剣を抜き放つと、逡巡なくゴブリンへと襲いかかった。
「――っ!」
「ぐがげっ!?」
それは、まさしく音さえ振り切る踏み込み。無音の疾走。獲物は自らが狙われていることにすら気づいていない。
影はゴブリンに反応する時間も与えず、首筋を一閃。その命を容易く刈り取った。
どさりと力なく床に倒れ込み、血の水溜まりを広げるゴブリン。
それを光なき瞳で見つめていた影は、やがて自身のデバイスを物質化させると、その画面の一点を確認して小さく呟いた。
「あと140……十四匹…………今日中に、倒さないと……」
まるで幽霊のごとく、意思を感じさせない声色で保有しているポイントを脳内に叩き込んだ影は、踵を返して再びダンジョン内を徘徊する。
だが、何故だろうか。
その時の影の顔は、何かに疲れたような……そして、現状に悲嘆するような、そんな複雑で悲しい表情を浮かべているように見えた。
***
その日の夜。
現実世界に帰ってきてから楓先輩と別れ、自宅に戻ってきた俺は、夕食後もそこそこにリビングでスマホを操作していた。
「お兄ちゃーん、何してるのー?」
「んー? なんだ真由か」
ソファーに行儀悪く寝転がり、仰向けになってスマホを弄る俺の頭の上から、妹の真由が覗き込んでくる。
風呂上がりなのだろう。その髪はしっとりと水気を帯び、肌は桃色に上気していた。
「まあ、ちょっとした調べ物ってところかな」
「へぇ……って、これ最近話題になってる動画サイトの投稿主じゃん!」
脱力しながら質問に答えると、俺の手元のスマホを覗いた真由が驚いたような声をあげる。
「知ってるのか、この投稿主?」
「当たり前じゃん。最近出てきたばっかりなんだけど、ダンジョンと《冒険者》を撮った動画ばっかり投稿してて、一気に有名になってるの。今じゃ学校でも皆話題にしてるくらい」
真由は心底楽しそうな表情で、その投稿主――アカウント名、『シロツメクサ』のことを語る。
それを至近距離で眺めながら、俺はシロツメクサ……いや、その中身である、今日ダンジョンで出会ったクローバーについて思い出していた。
戦う力をほとんど持たない、最弱の《冒険者》。お金を稼ぐために自身が魔物を討伐するのではなく、他者が魔物を倒す光景を動画として収め、ネットに公開する変わり者。
俺や楓先輩も《冒険者》の中では結構な異端者だと言う自覚があったのだが、彼女はそれ以上だろう。
けれど、そんなクロが動画を投稿するもう一つの理由を知った身としては、なんと言うか……彼女に対して応援したいと言うか、上手く言葉にできないが、複雑な思いを抱くようになっていた。
「……なあ、真由」
「なに、お兄ちゃん?」
首を傾げる妹に向かって、俺は尋ねかける。
「お前はこの動画を見て、《冒険者》をどう感じた?」
――『僕はね、《冒険者》という存在を、正しく世間に知って貰いたいんッスよ』。
あの後、戦えない《冒険者》という想像もしていなかった存在に呆気にとられていた俺たちに、クロはそう語った。
現在、《冒険者》の実態は正しく世間に知られているとは口が裂けても言えない。
ダンジョンに唯一潜れる存在。
常識を超えた身体能力を発揮する者。
不可思議な力を扱う集団。
流れている噂を大まかにまとめれば、こんなところになるだろうか。まるで人に対する評価ではなく、新種の生物を相手にしているかのような扱いだ。
そして、その考えはあながち間違いではないのが質が悪い。
何故なら《冒険者》は、ただの人間には絶対にできないことを易々とこなせてしまう存在だからだ。
《冒険者》が誕生して、今日で五日目。政府は未だに何の政策も発表していない。
精々、ダンジョンは危険なので立ち入らないこと。そして『ラッキーラビット』に関する情報があれば、すぐに警察に連絡することを強調していたくらいだ。
お陰で、主に世間の《冒険者》への印象は、テレビやインターネットなどの情報媒体を元に構築されている。
もちろん、その中には《冒険者》の存在を不安視する声も多い。
《冒険者》は危険ではないのか? その力が自分達に向けられない保証はないのか? いや、そもそも彼らは本当に自分達と同じ人間なのか?
過激なところになると、『《冒険者》と判明した全員の身柄を拘束し、国のためだけにその力を使わせるべき』、だなんて意見もある。
一方で、《冒険者》の存在を擁護する声があることも、また事実だ。
彼らは特別な力を与えられただけの人間である。不当な拘束は人権違反だ。むしろもっと多くの民間人にもダンジョンは開かれるべきである……と。
その多くは、若年層を中心とした『普段からゲームなどの娯楽作品に触れる機会が多い人達』であるらしい。
この事実が、『ダンジョン解放宣言』からの一連の事態への適応力を示しているようで、少し面白いと感じてしまうのは、俺自身もその若者の一人だからだろうか。
そう言えば、初日に警察署で事情聴取を受けていた時も、加藤さんと名取さんの二人で随分と対応が違っていたことを思い出す。
《冒険者》を受け入れられる者と、受け入れられない者。
この二者の違いは、はたして何なのだろうか。
クロはこれに対し、『理解度の差』だと口にした。
つまり、もっと多くの人に正しい《冒険者》の姿を知ってもらえれば、未知の存在への本能的な恐怖が軽減し、俺たちへの世間の印象も良くなるのでは……と。
そのための映像記録。そのための投稿サイト。
彼女は戦う力を持たないなりに、別のアプローチで《冒険者》全体の活動を支援しようとしていたのだ。
それは丁度、俺がクラスメイト達におこなった質問会の規模を拡大させたようなものである。
――知らないから怖いのなら、実態が想像できないから恐ろしいのなら、僕が詳しく教えてあげるッスよ。この《最弱のクローバー》がね!
そう言って、からかうように笑うクロの顔は、俺にはとても眩しく見えた。
まあ、動画の広告費でお金を稼ぎたいというのも本音だろうけど、その程度の甘い汁は吸っていても構わないだろう。
「《冒険者》を、どう感じた……か? なにそれ?」
そして現在、真由は俺の問いの意図を掴めていないのだろう。キョトンとした顔で俺の言葉を繰り返している。
一番身近にいた一般人と言うことで、妹の彼女に尋ねたのだが、やはり突然すぎただろうか。首を傾げる真由に、俺は質問を取り下げようと口を開きかけた。
……が。
「――そんなの、スッゴい力を持ったズッルい人達に決まってるじゃん」
それより一足だけ早く、真由は問いの答えを口にした。
「ず、ズルい……? 凄いはわかるけど、俺たちってズルいのか?」
その意外な内容に、俺は軽く目を見開いて真由に尋ね返した。
「だってそうじゃん。あんなに楽しそうなダンジョンなのに、そこに行けるのは《冒険者》に選ばれた人だけなんだよ? これでお金も稼げるんだから、ズルくないわけないじゃん」
真由は何を当たり前なことを……とでも言いたげな表情を浮かべ、俺のスマホの画面を指差す。
そこには先程まで俺が視聴していた、とある《冒険者》が戦っている姿を記録した動画が映し出されていた。
俺が楓先輩と一緒に潜っている《小鬼の迷宮》とは、根本的に違うダンジョンなのだろう。薄暗い石造りの通路ではなく、拓けた草原のような空間が広がっている。
そこを槍を片手に、悠々と掻き分けて進んでいた男。
やがて彼はバスケットボールほどの大きさの、透明感と絶妙な弾力を有した半液体状の魔物に遭遇し、それを見事に討ち取ってみせた。
その際の男性の顔は、なるほど、確かに楽しそうに笑っていた。
「良いなぁ、《冒険者》。父さんは絶対に反対するだろうけど、なれるものならマユだってなりたいよ」
ギューっ、と不満を表現するように、首の後ろから抱き着いてきた真由が腕に力を込める。
《冒険者》補正のせいで全く苦しくはないのだが、彼女の内心は十分以上に伝わってきた。
当然、この真由の意見は、世間全体を代表するものではない。むしろ少数派、異端の考えということもあり得る。
だけど、たった一人でもそう捉えてくれる人がいる……それだけで、クロの行動にも意味はあるのではないだろうか。
「……そっか。そっかそっか」
「……いきなり何笑ってるの、お兄ちゃん」
俺が思わず頬を緩めると、それを察した真由は眉をしかめて俺から離れていく。まるで不気味なモノでも見たかのような反応だ。失礼な。
どうにも最近、真由が生意気に思えて仕方がない。今まではそれでも可愛いから許していたが、そろそろ本気で怒るべきだろうか。
ふふふ……いいだろう。
久々に兄としての威厳をその身に刻み込んでやろうじゃないか……などと俺が頭の中で考えを巡らせていると――。
――ザザッ、と電源を入れっぱなしにしていたスマホから耳障りな音が流れ出した。
はて、電波の状況でも悪くなったのだろうか……と、俺は一度真由のお仕置き計画を中座させ、スマホの画面へと視線を落とし――驚愕することとなる。
何故なら、そこに映し出されていたのは五日前の昼、全日本へと『ダンジョン解放宣言』をぶちかまし、俺を《冒険者》へと導いたあのラッキーラビットだったからだ。
「お、お兄ちゃん! これって――」
「ああ、あのウサギだ。間違いない」
真由もスマホの異常に気づいたのだろう。
慌てて肩を叩いてくる彼女の言葉なき疑問を、俺は緊張から唾を飲み込みながら肯定する。
やはりいつ見ても、奇抜で奇妙な姿をしたカラフルデフォルメウサギだ。
こんなふざけたキャラ、使う奴なんてあのウサギくらいしか考えられない。
何よりも、いとも簡単にこうして俺のスマホの操作権限を乗っ取っている時点で、模倣犯の可能性は消えていた。この結果自体が本人の証拠みたいなものである。
恐らくテレビの電源を入れてみても、流れているのはこれと同じ映像だろう。
しかし、そんな驚く俺の気持ちなど知りもせず、ウサギは画面の向こうから能天気とも表現できる声でこう語り始めた。
『やあやあ! グッドアフターヌーン……いや、これだとコンニチワかな? まあどっちでもいいけど、お久しぶりだね日本人の皆! 突然だけど、これから第二回目のラビット放送を始めちゃうよー!』




