02 人間から《冒険者》へ
こっそりと、俺はテレビに注意を引き付けられている父さんと真由に気づかれないよう、ダイニングテーブルに向かう。
何故こっそりかと言うと、恐らく父さんはこれからの俺の行動を知れば止めようとするだろうし、何より真由に見つかれば「ズルい」と横取りされる可能性があった。兄は妹に弱い生き物なのだ。
いや、まだ何もわかっていない状況で、何を考えているのだろうとは俺も思う。
しかし、もしかするとこれがあのウサギが口にした招待状なのではないのかと言う、確信じみた直感が俺を突き動かすのだ。
『『あはは、いきなり意味わかんないって顔をしてるね。でもダイジョウブ、順番に説明してあげるから!』』
背後から、あのウサギの声が聞こえてくる。
気分はさながら、忍者かスパイ、はたまた世紀の大泥棒か。
ようやくダイニングテーブルに近づいた俺は、音をたてないよう気をつけながら『それ』を持ち上げた。
やはり見た感じだと、普通のスマホにしか思えないな。俺が普段から使っているのと大差ない。
唐突に俺の目の前に、まるで転移したかのように現れている時点で、ただの携帯端末ではないはずなのだが。
そのまま少し外側を眺めて確認した俺は、これでは埒が明かないな、と端末の電源スイッチを押し込む。
『『まず、今回招待状を送った第一陣目の冒険者は、合計で百名。全員が日本在住の日本人で、今頃は全員の手元にゲームへの参加資格が届いているはずだよ』』
少しばかり緊張したが、端末は何の問題もなく起動した。
黒一色だった画面に光が入り、続いてあのカラフルデフォルメウサギの顔と、《ダンジョン・トラベラー》なるロゴが浮かび上がる。
『『なお、参加資格は届けられた本人しか有効にならないからね。他の人が先に起動しちゃうと、自動で消滅しちゃうから気を付けて』』
何やら後ろから危ない発言が聞こえてきた気がする。
俺はもう大丈夫、心配ないのだと額の汗を拭ってから、念のためにもう一度端末を確認した。
『『さて、ここからが説明の本番だ。そのチケットは、文字通り君たちをダンジョンへと導くための通行手形なんだ。そしてダンジョンに適応させるために、それは君たちをただの人間から《冒険者》へと生まれ変わらせる!』』
その言葉と同時に、俺が手にしていた端末が溶けるようにして崩れ落ちる。
突然の変化に驚く俺をよそに、溶け落ちた端末は光の粒子となり、最終的には三つの光の輪として再構築された。
光の輪は、時に重なりあうように、そして時に離れるように、動きの止まった俺を中心に回転、移動し、明滅しながら徐々に収束していく。
しばらくの後、何かを調べ終わったかのように穏やかな光を放つ光の輪は、最後は俺の身体の中へ溶け込むようにして消えていった。
そして――
「――――ッッ!!」
ドグンッッ――!! と。
血液が沸騰し、頭の中に大量の燃料がぶちこまれるような感覚と共に、俺の中で何かが変わった。
声は上げない。我慢しろ。ここで呻けば、二人に気づかれる。
『『《冒険者》とは危険が満ちるダンジョンに潜り、自らが力で財宝を持ち帰る者たちのこと。《冒険者》になると言うことは、そのための力を得ることと同義なんだよ』』
痛みはない。苦しみもない。気分が悪くなったわけでもない。
肉体的、精神的にも、俺はいたって健康そのものだ。
『『まあ、つまりはね――』』
ただ、漠然と自分の中に今までは存在しなかった力を、才能を、能力を感じられるようになっただけだ。
『『君たちは、人間を越える力を手に入れたんだよ。ある意味人間やめちゃった? ひゃっはー、やったぜ!』』
故に、テレビから聞こえてきたウサギの言葉を、俺はほとんど動揺することなく受け止められた。
人間をやめた……か。成る程、言えて妙な表現だ。
確かにこの力は、人間の領分を越えていると言わざるを得ない。
俺は右手を軽く広げ、そこに先程の端末――デバイスが握られている光景を想像する。
すると俺の身体から例の光の粒子が湧き上がり、俺の手の中で質量をもった物質として実体化した。
うん、やっぱり頭の中である程度の操作はできるとは言え、慣れるまではこうして直に画面に触れる方が楽でいい。
『『驚いた? ねぇ驚いた? でも驚くのはまだ早いよ! 何故ならダンジョンにはもっと凄いものが山のようにあるからね!』』
既に俺はウサギの話を半分以上聞き流しながら、デバイスに指を走らせる。
『『でも残念。私が監修したダンジョンに足を踏み入れられるのは、私が招待した《冒険者》だけなんだ。普通の人が入っても何もできずに死ぬだけだし、そもそも招待状なしには入れないしね』』
呼び出したのは『転移門先選択』画面。並んでいる選択肢は、
・《小鬼の迷宮》Lv1
・《粘液の迷宮》Lv1
・《鼠の迷宮》Lv1
・《骨の迷宮》Lv2
・《蟻の迷宮》Lv3
・《換金店》
・《談話室》
・《酒場》
の八つだ。
この内、上の五つを見れば大体の人が理解できるだろうが、《冒険者》はいつでもどこでもダンジョンに挑むことができる。
もっとも、ウサギが口にしたように、ダンジョンに入れるのは『ダンジョン・トラベラー』のアプリを肉体にインストールした者……つまり《冒険者》だけだが。
何故ならダンジョンを含め、この選択肢に上がっている全ての行き先は――
『『なーぜなら、私のダンジョンは君たちが暮らす世界には存在しない……つまりは異空間にあるからなんだよね!』』
そう、異空間。
ダンジョンが存在するのは地球上なんて範囲ではない。次元さえ飛び越えた異空間だ。
だからウサギが認めた者以外、ダンジョンには指一本触れられないし、足の爪先すら立ち入れない。
正直なところ、どのような技術を用いればこんな真似ができるのか、俺には検討もつかない。
だけど、一つだけわかることがある。
ウサギは、本気だ。
本気で俺たちを《冒険者》へと仕立てあげ、ダンジョンに導こうとしている。
俺にとっては、そこだけが真実ならば後はどうだっていい。
平和で平凡、だけど代わり映えのしない退屈だった日常から引っ張りあげようとしてくれているのだ。感謝こそすれ、恨むことはない。
『『それじゃあ、長々と退屈な話をする人は嫌われちゃうからね。そろそろ私から日本に向けた第一回目の放送は、これにて終わりにさせてもらうよ。シーユー、アゲイン! 《冒険者》たちよ、大志を抱け! 今こそダンジョンを攻略するのだ!』』
そんな宣言と共に、ウサギからの一方的な報告は幕を閉じた。
あとに残ったのは、砂嵐のように灰色の乱れた映像と耳障りな音を発し続けるテレビに、茫然自失とした父さんと真由。
それ確認すると同時に、俺は選択肢の一番上、《小鬼の迷宮》を選択する。
「な、何だったんだ、今のは……?」
「んもぅ! そんなのマユにわかるわけないじゃない!」
「そ、そうか…………創真の方は、何か気になっ――創真!?」
とりあえず思ったことを口にしただけなのだろうが、機嫌が悪い真由に反論されてシュンと肩を縮こませる父さん。
少しでもこの雰囲気を変えたかったのか、次は俺に尋ねてくる……が、すぐにそれは悲鳴混じりの叫びに変わった。
まあ、それも当然か。
今の俺の足元には光の粒子によって複雑怪奇な円陣――つまりは転移門が開かれており、既に俺の下半身は粒子化し、転移門に飲み込まれているのだから。
「ちょ、お兄ちゃん!? なに、なんなのそれ!?」
「創真っ!? い、今助けるからな!」
父さんに続いて異常に気づいた真由は、口元に手をあてながら動けないでいる。やっぱりこれ、少し怖いのかな。
父さんは父さんで、俺を転移門から引きずりあげようと距離を詰めたがっているみたいだけど、《冒険者》以外が転移門に近づくのは不可能なんだ。
俺は苦笑しながら、二人を安心させるよう話しかける。
「俺は心配要らないから、父さんも真由も落ち着いてってば。ちょっとだけ、試しにダンジョンに潜ってくるだけだから」
「だ、ダンジョン……?」
「うん、そう。父さんたちも見てたでしょ? 俺、それに選ばれたみたいだから」
そう言って、ようやく正常に起動し始め、ニュースキャスターが滝のように汗を流しながら先ほどの一件の弁解をしているテレビを指差すと、父さんはさらに顔を青くして首を横に降った。
「だ、駄目だ! 絶対に駄目だぞ創真! そんな訳のわからない相手を信じるほどお前はバカじゃないはずだ!」
「ごめん、父さん。でも、多分大丈夫だと思うんだ。……勘だけどね」
曖昧に微笑みながら、俺は頬を掻く。
それにしても、会話もそろそろ限界だな。なるべく引き伸ばしたけど、もう首から下は転移門に飲まれてるし。
俺は出来る限りの笑みを浮かべながら、父さんたちに出掛けの言葉をかける。
「それじゃあ行ってくる! 夕方までには帰ってくるつもりだから!」
「お、お兄ちゃぁん!?」
「創真ーー!」
そうして。
最後に一際眩く輝く光の中、真由と父さんが俺を呼ぶ声を聞きながら、俺は生まれて始めてのダンジョンへと旅立った。
なんだか、さいっこうにワクワクする。
第零章『ダンジョン開放宣言』 完