17 禅上院父の来襲
その日の昼、俺のもとに意外というか、予想外というか、とにかく予定外の人物が訪ねてきた。
「貴様が……貴様が俺の愛しの娘にまとわりつく、贄神とか言う蛆虫だな」
「……どちら様で?」
俺は若干どころか大いに戸惑いながら、いきなり教室に乗り込んできた男性に尋ねかける。
いや、愛しの娘とか口にしてる時点で、大体の予想はつくんだけどさ。
現在は午前の授業が丁度終了し、昼休憩に入った直後。まだ教室から最後の古典を担当していた教師が帰ってすらいない時間である。
ようやく終了した退屈な授業にクラスメイト全員が弛緩し、これからの昼食に意識を奪われていた時の出来事だった。
唐突に入り口のドアを勢いよく開け、見覚えのない男がズカズカと我が物顔で教室内に入ってきたのである。
いかにも高級そうなシワ一つないスーツを着こなした、おおよそ四十代後半ほどの男性。白髪混じりの髪はきっちりと整髪料で整えられており、口元にはロマンスグレーの髭が蓄えられている。
しかし、彼を特徴付ける何よりの象徴は、その眼光鋭き眼差しだっただろう。
まるで鷲が獲物を射抜くが如く、ただ目の前に立っているだけで圧倒的な存在感と威圧感を与える瞳。まさしく上から人を見定める目だ。
そんな人物の登場に、呆気にとられる教師含むクラスメイトたち。
それらの視線をすべて黙殺しつつ、開口一番に男は一言こう言った。
この中に、贄神創真とか言うクソガキがいるはずだ……と。
そのヤの付く人も真っ青なドスの効いた声に、教室中の生徒の目が一斉に俺を指し示したのは言うまでもない。
そして冒頭に戻る。
男は表面上こそ無表情だったが、内心までそうであるとは俺には到底見えなかった。
例えるなら噴火寸前の火山。煮えたぎったマグマが極限まで圧縮された状態だ。つまりは怒り狂っている。恐ろしいったらありゃしない。
まあ、だからと言って俺が萎縮するかと聞かれれば、ノーと答えるしかないのだが。
こういうのは無理にでも強気でいかないと、一気に押しきられる。どのような用件で俺を訪ねてきたのかは知らないが、無様な真似だけは見せられない。
そんな覚悟を決めているうちに、男は教室内を堂々と横断し、俺の机の前に立つ。
その後、彼は席に座ったままの俺を見下しながら、静かに口を開いた。
「単刀直入に告げよう。俺の娘にこれ以上近づくな」
「申し訳ありませんが、あなたの娘と言うのが誰だか特定できません。失礼ですが、まずは名乗られてはどうでしょうか」
捉えようによっては相当に失礼な俺の返答に、ピクリと男の眉が跳ね上がる。それを見ていた隣の席の子は、ひっと小さな悲鳴を漏らした。正直すまん。
「……俺の名は禅上院 郷地。この高校で生徒会長をしている禅定院楓の父だ」
「おや、楓先輩のお父様でしたか」
「っ! 俺の娘を名前で呼ぶんじゃない!」
ダンッ! と禅上院さんは俺の発言に青筋を立て、机の天板を殴り付ける。その音にまたもや周囲の生徒がビクリと肩を跳ねさせたが……本当にすまん。
と言うか、先生。あなた教師でしょう? 一緒に震えてないで、ここの不審者をどうにかしてくださいよ。
やれやれ、と俺は肩を竦める。
楓先輩からの話や、これまでのやり取りで十分すぎるほどに理解したが、この人はあれだな。駄目な方の父親だ。
いや、別にその存在を全否定する訳ではないが、ちょっと家族間の付き合い方を考え直した方が良さげな人であることに違いはない。
しかし、俺がそんなことを考えている間にも、禅上院さんは早口で何事かを捲し立てた後、バンバンと再び机を叩く。
「いいか! お前はもう金輪際、俺の娘に近づくなよ! 理解したら『はいわかりました』と――」
「いい加減にしてください、父様!」
すると、ドゴスッ! と。
ここで何処からか聞き覚えのある声共に、何か重いものがぶつかるような音が響く。
ゆっくりと、身体をくの字に折りながら崩れていく禅上院さん。その後ろから、拳を握りしめた楓先輩の姿が現れた。
もしかしなくても、後ろから拳で殴り付けられたのだろうか。それはご愁傷さまだ。
か細い令嬢の腕だと侮ってはならない。何故なら彼女は《冒険者》。それも戦士職なので、その膂力はもはや人間の限界を超える。
恐らくは現時点でも、野生の熊程度が相手なら素手で戦えるほどの戦闘力を有しているだろう。
「か、楓……どうしてここに……」
青白い顔に脂汗を浮かべ、錆び付いたゼンマイ人形のような動きで首だけ振り返りながら、禅上院さんは楓先輩に問いかける。
それに対し、彼女はクスクスと笑いながら……ただし瞳は冷たいまま、不思議そうに父親に尋ね返した。
「あら? 私が同じ高校に通う友人にして、大切なパーティーの仲間に会いに来るのが、それほどまでに不思議なんですか?」
「ぐっ……考え直すんだ、楓! このような何処の馬の骨とも知れん輩、楓の周りには相応しくない!」
「相応しい相応しくないを決めるのは、父様ではなく私です。そもそも迷惑をかけたのなら、先に謝るのが礼儀と言うものではないのですか!」
何とか楓先輩に納得してもらおうと言葉を重ねた禅上院さんだったが、それが余計に彼女の機嫌を損ねたらしい。珍しく語気を荒くした先輩は、父親を無視して俺の手を掴み、そのまま教室の外へと引きずっていこうとした。
「ま、待つんだ、待ってくれ……楓ぇぇえっ!」
「あの……俺が言うのもなんだけど、あのまま放置しても良いのか?」
「大丈夫です。どうせ秘書の中島さんが一緒に来ていると思うので、そちらに後始末はお任せしましょう」
何故だか非常に哀愁を誘う叫び声を背に受けながら、俺は一応は父親を教室に置いていっても大丈夫なのかと問いかける。
けれども当の楓先輩は全く気にした様子もなく、むしろ何処か清々した調子で廊下へと出ていった。
なんだろう……なんだろうなぁ、このやるせなさって。同じ男だからか、俺の心にも響くものがある。
……っと、いけない。
少し呆然としてしまったが、俺も慌てて彼女を追いかけて廊下に出る。
すると、教室のすぐ近くの壁際で控えていた、教師にしては上等すぎるスーツを着こなす男性を発見した。
恐らくは、彼が楓先輩の言っていた中島という人なのだろう。
かけている線の細い眼鏡が知的な印象で、いかにも仕事も私生活も充実している優秀な男と言った外見だ。偏見が混じっていることは認める。
本来ならば禅上院さんもこの部類なのだろう。が、やはり初対面が残念すぎた。出来ればやり直しを要求したい。
いや……それはともかくとして、だ。
ここは一言声をかけるべきか、それとも無視して素通りするべきか。
俺が胸の内で悩んでいると、その間に向こうの方から声が掛かってきた。
「これはお嬢さま。そして初めまして、贄神創真さま。私の名は中島 昇。この度は我が主人がご迷惑を御掛けして、誠に申し訳ありませんでした」
「え……ああ、いえ。そう謝らないでください。俺は気にしてませんから」
腰を深く九十度に折り曲げ、形だけではない誠意を見せる中島さん。年下であるはずの高校生に頭を下げることに対し、欠片の不満も見受けられない美しい礼だ。
その徹底した姿に、俺は言葉にできない圧力というものを感じ取る。これがデキル大人の余裕ってやつか……と、俺は唾を飲み込んだ。本音を言えばよくわからんが。
そんな中島さんに、楓先輩は遠慮なく不満をぶつける。
ただし、それは心の底から不機嫌と言うわけではなく、親しい人に向ける愚痴に近い響きを伴っているよう俺には聞こえたが。
「本当ですよ。中島さんには、もう少し父様を厳しく躾けてくださらないと」
「これは手厳しい。私のような一介の秘書が、主人を諌めるなど、とてもとても」
そして、そんなやり取りをする中島さんも、また楓先輩に深い慈しみを持っているようだった。いわば上司の娘というよりは、親戚の娘のような感覚なのだろうか。
あと、明らかにこの人は禅上院さんの手綱をしっかりと握っている。間違いない。だって目が笑ってるんだもん。
「それで、今日はわざわざ私たちが通う高校まで押し掛けてきて、一体何がしたかったのですか? これから私たちは、一緒に食事をとる予定なのですが」
ある程度のストレスを発散したからか、普段の調子に戻った楓先輩が中島さんに尋ねかける。
……って、いやちょっと待って。俺その話初耳なんですけど――じゃない。そちらは一旦置いておこう。
確かに、そこは俺も気になっていたところだ。
どうして楓先輩のお父さんが、直接学校を訪れたのか。俺の顔を見て、娘の件で釘を刺したいだけなら、他にも機会はたくさんあるはずだ。
そんな疑問を含んだ視線に、中島さんは緩く薄い、どうとでも取れるような笑顔を浮かべながら答えてくれた。
「勿論、我が主人の一番の目的は、贄神さまの顔と心根を確認するためで御座います。あまり考えたくはありませんが、貴方が良からぬ目的でお嬢さまに近づいた可能性がなきにしもあらずでしたので」
「それだけはないと、昨日、私は説明したと思うのだけれど」
「ええ、ですから本当に念のためですよ」
不満げに唇を尖らせる楓先輩に向けて、苦笑しながら中島さんは首を振る。
「そしてもう一つの目的が、お嬢さまと同じく、希少な《冒険者》であられる贄神さまを、一刻も早くスカウトするためなので御座います」
「はい? スカウト……ですか?」
彼の口から飛び出してきた予想外の言葉に、俺は思わずそれを聞き返してしまう。
中島さんはその事実を否定せず、むしろ相槌を打ちながら今度は俺に向けて問いかけてきた。
「贄神さま、その《冒険者》としての力を、我が社のために活かしてみませんか?」
……と。
当然、《冒険者》の力に目をつける企業は出てきます。