16 クラスとの距離感
朝食を取り、制服を身にまとい、学校へ登校する準備を終えた俺と真由が玄関の扉を開けると、瞬間に大量のフラッシュが瞬いた。おいこら、眩しくて前が見えん。
「あっ、出てきました! この家の住人と思われる少年と少女が、今、玄関から顔を出しています!」「すみませーん! 夕日テレビの者です! 取材の協力をお願いします!」「あなたには現在、《冒険者》ではないかとの疑いがあるのですが、その点について答えられることはないのですか!」「こちらを向いてくださーい!」「貴方とラッキーラビットの関係性について、話せることはありませんか!」「何か、何か一言だけでもお願いします!」
「――しかしまあ、これは酷いな」
改めて自宅の前の惨状を直に目の当たりにした俺は、ひきつる頬を抑えることができなかった。
誰も彼もが好き勝手なことを口にし、それが言葉の津波となって鼓膜に襲い掛かってくる。まともに聞き取れるのは単語程度だ。
これで全員の話を正確に聞き取れた人は、もう二代目聖徳太子を名乗って良いと思う。
まさしく数の暴力。
一人一人は大したことがなくとも、これだけの人数がよってたかって迫り来るのは、気の弱い者なら卒倒してしまいかねない圧力を伴う。
現に真由は、最初のフラッシュ地獄の時から俺の後ろに隠れ、震える手で制服の裾を握りしめていた。
あれだね、もうそれだけで有罪。
何だかこいつら全員投げ飛ばしたくなってきたが、これだけの数のメディアの前で暴力沙汰を起こすわけにはいかない。
そんなことをすれば確実に俺が悪者になるし、他の《冒険者》の立場だって厳しいものになるだろう。
最良は、穏便にこの場を切り抜けること。
父さんはまだ暗いうちから仕事に出掛けてるし、母さんは今日一日外出する予定がない。
彼らも一日中張り付いているほど暇ではないだろうから、ここさえ切り抜ければ今日は乗り越えたも同然なのだ。
「すみません! 学校に登校しなければならないので、道をあけては貰えませんか!」
まず無理だろうけど、俺は最初に言葉による解決を試みる。これをしてあったかなかったかで、後々の印象がグッと変わるのだ。予防線とも言う。
当然、そんな俺の言葉など聞こえていないよう……もしかしたら一部は本当に聞こえていなかったのかもしれないが、彼らはいっそう激しくシャッター音を響かせ、取材だなんだと声を張り上げる。
「お兄ちゃん……こんな状態なのに、本当に家を出られるの?」
「まあ、正攻法じゃ無理だろうな」
時間と共に激しくなっていく取材活動に、背後から不安そうな真由が声をかけてくる。
確かにこの光景を見れば、もう警察を呼んだ方がいいんじゃないかって思えてくるからな。家の敷地内に通じる門を開けた途端、雪崩のように押し入ってくることが目に見えている。
もしかすると、放っておいても門を壊して侵入してくるかもしれない。
今の我が家を守っているのは、二メートルを超える高さの石ブロック塀と、金属製の両開き門だけだ。
この人数の前では、まだ新しいとは言え少々心もとない。
――しかし、だ。
門を開けると入ってくるならば、門を開けずに家から出ていけば良いんだよ。
「真由、ちょっとごめんな」
「え、なに――って、ちょっ! きゃっ!?」
俺は背後からしがみついていた真由を抱き寄せ、そのまま両腕で抱え込む。いわゆるお姫様抱っこの形だ。
「なに!? いきなり何するの!?」
「ちょいと口を閉じてろよ。舌を噛んでも知らないから……なっ!」
唐突に抱き上げられ、混乱の極みにある真由。
そんな妹に、俺は一声かけてから……地を、蹴った。
「「「「なっ!」」」」
その後に起こった光景に、取材なんて名目で公道の一部を占領していた集団から揃って驚愕の声があがる。いい気味だ。
とは言え、それも仕方がない。
誰だって人を一人抱えた少年が、両手も使わずで二メートルを超える家の塀の上へ駆け上がるとは思わないだろう。
俺のように、強化された《冒険者》の肉体性能を理解していない人ならば……だが。
「何これ!? 何これっ!?」
「それでは皆さん、俺たちはこれから学校があるので」
一瞬で視点の高さが激変した真由が、視界の変化に錯乱して暴れだす。
が、それを押さえ込みながら、俺はわざわざ個人の自宅を突き止めてまで集まってくれた報道陣に別れを告げた。
ポカンと揃って間抜け顔を晒す大人たちの姿を目に焼き付けた後、俺は塀の上から余裕をもって飛び降り、学校へ向けて駆け出す。
……しっかし、これで後衛職って言うんだから、《冒険者》の力は本当に飛び抜けてるよな。
***
それから中学と高校への別れ道で真由を下ろした俺は、彼女から散々に文句を言われた。
どうにも揺れが酷かったらしい。あと、やるならやるで先に一言説明しろと叱られた。
すまない、非力な兄を許してくれ。
お姫様抱っこなんて初めてだったし、俺の身体に衝撃吸収機構は搭載されていないんだ。
あと、単純に真由を驚かせたかったので。随分と可愛らしい悲鳴だったと思うぞ。
もちろん、後者の方の理由は告げず、何とか機嫌を直してもらった俺は、高校の校門前でも張り込んでいた一団を同じ手順でまるっと素通りし、無事に教室へと辿り着いた。
その途中、グラウンドで朝練をしていたサッカー部所属の生徒たちに、幽霊でも見たかのような顔をされたが……今さらだな。問題ない。
高校生活での平穏なんて、昨日、楓先輩が介入してきた時点で木っ端微塵だよ。
「さて……それよりも問題はこっちだな」
俺は校舎二階にある二年二組の教室――つまりは俺のクラスの前で立ち止まりながら、一つ深呼吸する。
テレビや雑誌の取材からならいくらでも逃げられるが、同じ学校の生徒相手ではそうもいかない。毎日顔を合わせるし、何より避け続けていれば空気が悪くなる。
俺は望んで非日常に足を踏み入れ、《冒険者》となったが、それで大切な日常を捨てる気なんて更々ない。
どちらも最大限に楽しむ。それが欲張りな俺が出したら結論だ。
「すぅ……よし、行くか」
最後にもう一度だけ息を吸った俺は、意を決して教室の扉を開く。
直後、突き刺さってくるのは視線、視線、視線……クラス中の視線が、ただ一人、俺に向けられるのを感じた。
その中には当然、クラス内でも特に仲が良かった斎藤と笹倉さんのものもある。
これは……少し辛いなぁ。
まるで異物になったような疎外感。一人だけ別の集団に紛れ込んでしまったかのような錯覚に、けれども俺は意識して笑みを浮かべながら手をあげた。
「全員、おはようさん。今日は皆、随分と早いな」
「……おう、贄神。早速だが、聞きたいことがあんだけど」
その挨拶に答えず、斎藤が席を立って距離を詰めてくる。どうやら彼がこの場の代表といった様子だ。
いや……しかし。
なんと言えばいいのか……この微妙に重苦しい空気の中、言い方は悪いが普段が軽薄な斎藤が真面目な顔をしていると、どうにも違和感が先行して調子が狂うんだが。チェンジ駄目?
これが笹倉さん辺りか、もしくはもっと交遊の薄いクラスメイトが相手だったら、まだ緊張感を保てたのだが……斎藤相手じゃ無理だな。
自分でも薄情というか、なに言ってんだと突っ込みを入れたいのだが、我慢するにはこいつの日常での行いが悪すぎた。
そんな俺の内心をつゆも知らず、殊更に真剣な表情で、彼は俺に質問をぶつけてくる。
「お前はさ……《冒険者》、なんだよな? あの放送でやってた、ダンジョンに潜るってやつ」
「ああ、そうだぞ。なんなら証拠も見せようか?」
「ちょ、おまっ!」
あっさりと。
自分でも意外に思えるほど、俺は軽く斎藤の問いに答えていた。
それがよほど予想外だったのか、斎藤は面白いほど目を見開いて言葉に詰まる……が、やがて一つ息を吐いて頭を振った。
「あーもー! やめやめ、こんな固っ苦しいの。息が詰まるわ」
「同感だが、それをお前が言って良いのか?」
「うっさいわ! 元はと言えば、全部贄神が原因だろうが!」
ペチンッ、と斎藤が逆ギレして俺の頭を叩いてくる。当たり前だが《冒険者》補正を受けている俺はノーダメージ、斎藤だけが痛い目を見るはめになった。
ヒラヒラと赤くなった手を振る彼は、「くっそう」と何故か悔しそうに地団駄を踏む。
「お前、昨日はあんだけ《冒険者》について聞かれるの嫌がってたじゃん! 不機嫌そうだったじゃん! 何で今日になって手のひらクルーしてるんだよ!」
「事情が変わったんだよ。どこかの生徒が投稿した動画で、俺が《冒険者》だって学校どころか校外にもバレたしな」
今朝の俺の家の前の光景を見せたかったぜ、と俺が言うと、ここで見てたよ、と斎藤は疲れた表情で懐からスマホを取り出した。
おやまあ。と言うことは、俺と真由の愛の逃避行の姿がこのクラス中に拡散しているのでは?
俺が確認の意味を込めて無言のまま教室を見渡すと、ほとんどの生徒がいい笑顔で親指を立ててきた。
ノリの良いクラスメイト達だ。俺も一つ大きく頷いて立て返しておく。
するとそのやり取りを見ていた斎藤は、渋い顔をしながら髪を掻き上げる。
「はぁー、なんなんだよもー。せっかく皆を取り仕切って、お前に特攻かけないよう牽制しておいたのにさー。意味なくね?」
「ん、そんなことしてたのか?」
確かに、教室に入室したときの感触だと、事前に取り決めがなされていたと考える方が自然ではあるが……あの斎藤がねぇ? にわかには信じられない。
こんな時は、誰かに聞いてみる方が早いか。
俺が無言で笹倉さんに目で合図を送ると、彼女は苦笑しながら首を縦に振った。
「斎藤くん、朝早くから皆に頭下げてたのよ? 『アイツが嫌がるかもしれないから、そう言うのは全部俺に任せてくれ』って」
「ほぉ、あの斎藤がねぇ」
「ちょ、委員チョー!?」
笹倉さんの情け容赦ない暴露に、斎藤は顔を羞恥で真っ赤にして悲鳴を上げる。
なるほどなーるほど。斎藤くんはそんなことをしてくれていたのかー。
そんな彼に、俺は近付き肩に手を当て、できる限り嫌らしい笑みを浮かべて一言。
「無駄な努力オツ」
「贄神きさまぁっ!」
「ふーははははっ!」
今度はグーで飛んできた拳を、やはり《冒険者》補正で上がっている動体視力をフル活用しながら受け止めた俺は、完全に斎藤を煽るような高笑いをあげる。
これはあれだね、普段から空気読めないことに定評のある斎藤が、変な気を回そうとするから天罰が下ったんじゃないかな。
嬉しいか嬉しくないかで聞かれれば、嬉しいに決まっている。
ただ、やはり直接それを伝えるのは俺も恥ずかしいので、こうして斎藤を弄り倒すことで誤魔化しているのだ。
まったく、お前は本当に友達がいのある奴だよ。
俺はひとしきり斎藤の気が済むまで攻撃をいなし続けた後、自身の席に荷物を置く。
その後、教室の前――教壇の上へと進み出ると、パンパンと注目を集めるために手を叩いた。
「オーケーわかった。先生が来るまで余裕もあるし、ここで質問タイムにしよう。何か聞きたいことのある人は手をあげてくれ」
「は……? いやお前、そんなことしていいのかよ?」
「少なくとも、俺は何かを口外したら駄目なんて制約は聞いた覚えがないな。それに一度はこういう場を設けておかないと、皆も不満が溜まるだろ?」
俺はその行動に唖然とした様子で問いかけてくる斎藤に、平然とした調子で答える。よく見ると、クラス中が似たような顔をしていた。
まあ、打算が何もないって訳じゃない。こうしてガス抜きをしておけば、普段から質問攻めに合うような事態は避けられるだろうし。
それに俺が皆の好感度を稼いでおけば、《冒険者》全体への印象が良くなる可能性がある。
未だ未知の部分が多く、世間からの評価が固まっていない《冒険者》。
極々小さく身近な範囲だが、そのイメージ向上に一役買えるなら、こうして一肌脱ぐのも悪くない。
最初こそ遠慮していた様子だったが、やがて一人の生徒を皮切りに、この朝の質問会は先生が来るまで途切れることなく続いていった。
何故かその後、先生も混じって朝のHRの時間にまで延長しそうになったのは、さすがに辟易としかけたがな。
全体の数が少ない分だけ、今はダンジョン外でも《冒険者》は大変だなぁ。早くウサギも《冒険者》を増やせばいいのに。