15 一晩明けて
翌日、俺の自宅の前が比喩ではなく酷いことになっていた。
家の門の前を埋め尽くすは、マイクやカメラ、ライトに俺には用途が検討もつかない機材まで、大小様々な撮影道具を手にした大人たちの姿。
簡潔に表現すれば、どこかのテレビ局や雑誌関連の人間たちだった。つまりはマスコミ。またの名を『報道しない自由』を駆使するマスゴミ。
いやはや、まさか新築一年目の我が家にこれほどの人数が押し掛けてくるとは。
《冒険者》の一件含め、人生は何が起きるか本当にわからないな。
「あー、朝からご苦労なことだよねー」
ちなみに、そんな大人たちの仕事に精を出す涙ぐましい姿を、インターホンのカメラ越しに眺めながら、俺は優雅にリビングで朝食を取っていた。
やはり朝は白米に納豆、それから味噌汁と目玉焼きにソーセージの黄金セットが最強だと思うんだよね。あー、美味い。
「――って、どうしてそんなに落ち着いていられるの、お兄ちゃん!」
と、俺が幸せな思いで熱々の味噌汁を啜っていると、対面で同じく朝食を取っていた妹の真由がバンとテーブルを叩く。
なお、真由は朝から臭いが気になると言って納豆を食べないので、毎回その分は俺が貰っている。いい妹だ。朝はパン派なのだけは解せないが。
あっはっは、朝から元気だねぇ。何か良いことでもあったのかい? なんて尋ねたかったのだけど、その噴火五秒前な顔をみて口をつぐむ。
あれだね。本気で怒り始めた妹に、兄は本当に無力なんだ。対処を間違えると最悪、一週間は引きずられる。
「落ち着けって。そもそも俺は起きたばかりで、どうしてマスコミ関係者が家の前で控えているのか理解していない」
「はあ? それ本気で言ってるの? そんなのお兄ちゃんが昨日、学校でやらかしたからじゃん!」
ひとまず穏便にことを済まそうとしたのだが、その選択は余計に真由の機嫌に油を注いでしまったらしい。
綺麗な眉を逆立てながら、懐から愛用のスマホを取り出した彼女は、それを用いてとある動画サイトを開いた。
食事中にスマホを弄るんじゃない、とここは兄として叱るところだろうか?
逆に水を刺さすんじゃないの! と怒られそうな気もするが。……黙っておこう。
そうこう考えている内に、幾つか画面を操作した真由が再生したのは、大勢の若者に取り囲まれて二人の男女が立っている映像だった。
二人はその後、一瞬のうちに服装をゲームなどに出てくるファンタジー極まりないものに変え、足元に浮かんだ巨大な光の円陣の中に消えてしまう。
……いやー、最近のCGは凄いねー。モノホンの映像と見分けがつかなかったよー。さすがは技術大国とまで言われた日本、進んでるー。
……ああ、うん。ふざけるのはこのくらいにしておこう。現実逃避は十分だ。
これ、昨日の校門前の俺と楓先輩の動画だわ。間違いない。
もしかしなくとも、周囲にいた生徒の誰かがスマホかなにかで撮影したものを投稿したのだろう。
幸いに、と言えるのは投稿者にも良心と言えるものが欠片でも残っていたのか、俺を含めて映っている全員の顔にモザイクに近い処理をかけていたことだろう。
とは言え、事情を知っている者……特に同じ高校に通っている生徒なら、間違いなく個人を特定できるだろうし、部外者でもこれがどこの学校で撮られたものなのか調べるのはさほど難しく無さそうだ。
と言うか、俺の個人情報駄々漏れすぎない? いくら何でもガバガバなんですけど。
チラリと確認すると、投稿日時が昨日の夕方にも関わらず、既に再生数が六桁を越えていた。凄い伸び率だ。
「ふむ……まあ、お陰で事情は察した。外の連中は今までは眉唾物だった《冒険者》が本当に実在するとわかって、慌ててネタを独占しようと駆けつけてきたわけだな」
「これだけじゃないよ。昨日の夕方から今朝にかけて、ネットのあちこちに《冒険者》の存在を証明するような書き込みや動画が幾つも投稿されてるの。もちろんダンジョンも」
「ほぉー、それはそれは」
真由の報告に、俺は片眉を持ち上げながら目玉焼きを口に運ぶ。
少々早急すぎるとは思うが、これもあのウサギが生み出した流れの一部なのだろう。
現代社会にはネットという素晴らしい情報交換ツールが張り巡らされている。《冒険者》やダンジョンの存在を、いつまでも世間の目から隠し通せるとは元から思っていなかった。
問題は、そんな《冒険者》やダンジョンを、マスコミが『どのような位置に印象づけるか』といった点だろう。
今はどうすることもできないが、一応、俺も今後はニュース類には気を付けておくか。
俺がリモコンを弄ってリビングのテレビを操作すると、どこの局も内容は《冒険者》とダンジョン一色だった。
とは言え、今はメディア側も詳細な情報を入手していないのだろう。明らかにスカスカで中身がない。同じことを繰り返して、とにかく時間と興味を引こうとしてる印象だ。
ある番組などは、『実在した《冒険者》、未だ謎に包まれる迷宮――その秘密に迫る!』などと仰々しいお題目を掲げていたが、やってることは誰ともわからない『自称専門家』が自説を得意気に語っているだけだ。しかも大外れ。
「……お兄ちゃん、本当に大丈夫?」
と、俺がその後も数局のニュース番組を梯子していると、不意に聞き逃してしまいそうなほど小さな声で真由が尋ねてくる。
俺がそちらに視線を向けると、そこには普段の様子からは似つかわしくない弱気な表情を浮かべ、心配そうに俺を見つめる妹の顔があった。
「一昨日とか昨日は簡単に考えられたけどさ、やっぱり《冒険者》とかダンジョンって危険なんだよね。こんなにテレビの人とか押し寄せてきてるし……危ないなら、しばらくダンジョンから離れていても良いと思うの」
「真由……」
イジイジとツインテールにした髪の毛の先を摘まみながら、しかしその実、こっそりと俺の方を見つめてきている真由に、俺は少しだけ胸が暖かくなる思いを感じていた。
恐らく彼女は、家の前に押し寄せてきた大量の大人の姿を見て、一時的な不安状態に陥っているのだろう。
昨日、俺がダンジョン内で『ちょっとしたピンチ』になって、『軽い怪我』を負ったことを聞いているのも関係しているのかもしれない。
人間、悪い方向に考えるとトコトン転がり落ちていくからな。不安は増殖するのです。
そんな妹に、俺は安心させるような笑みを浮かべながら頭を撫でる。
そう言えば、こんな風に妹の頭を触るのって、随分と久しぶりだなぁ。現在進行形で滅茶苦茶嫌がられてるけど。
だが残念。こちらは《冒険者》となることで、肉体性能が上がっているのだよ。逃れられるとは思わないことだな。
はっはー! たまには兄の力というものを思い知るがよい!
「大丈夫だよ。今は話題性から外野が大袈裟に騒いでるだけ。すぐにこの熱も収まるさ」
「んもぅ! わかった! わかったから子供扱いするなぁ! マユはもう中学生なんだから!」
頬を赤くしながら暴れる真由の頭から手を離し、俺は内心で大いに笑う。
少なくとも、こうして心配してくれる家族がいる限り、俺は大丈夫だ。どんな悪意にまみれた風評が流れようと、潰れるわけがない。潰されるわけにはいかない。
「さて、もうこんな暗い話は終わり。早く朝食べて、学校にいかなきゃだろ?」
「むくぅ……その通りだけど、お兄ちゃんがムカつく」
……なに? その意見には異議を唱えさせてもらうぞ。
ぷくー、と子供みたいに赤みの残る頬を膨らませる真由は、ジト目で俺を睨み付けた後、フンと鼻を鳴らして自分の席につく。
俺はそんな彼女の姿を微笑ましい思いで眺めつつ、雰囲気を入れ換えるよう再びテレビのチャンネルを切り替えた。
……が。
『――ご覧いただけますでしょうか! 我々が掴んだ情報によると、この家に暮らす少年が、あの《冒険者》の一人であるとのことです!』
「「…………」」
テレビから聞こえてきたのは、興奮した様子で何かを捲し立てるキャスターの声。
『現場から中継』との文字が端に浮かぶ画面には、まだ真新しい一戸建て住宅と、その正面に押し掛ける大勢の大人が映し出されていた。
絶妙な角度で表札こそ映し出されてはいないが、間違いなく我が家である。
「……お兄ちゃん。これ、学校行けるの?」
「……早くご飯を食べてしまいなさい。お兄ちゃんが何とかするから」
呆然とテレビに映る自宅を見つめる真由にそう返しながら、俺は少しばかり見積もりが甘かったかなー、と頬を掻いた。口には出さないけど。
まさか生放送まで行われているとは。テレビ局の本気を見たぜ。
とりあえず、早くこの馬鹿騒ぎが収まらない限りは、毎朝の登校も一苦労しそうなのは確かな事実だろう。
はぁ……と、俺はここ数日で何度目かもわからないため息をつくのだった。
ついに《冒険者》とダンジョンの存在が世間にバレた。