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14 傷を舐め合う者たち

 



 気絶したカエデは、そう時間を置かずに意識を取り戻した。


 どうやら主であるボスを倒したボス部屋は、一種の安全地帯(セーフティ・エリア)として機能するらしい。

 現在、部屋の壁際で煌々と燃え盛っていた松明の炎は消え、おだやかで落ち着いた光が空間を照らしている。


 クロードの姿は既になかった。召喚制限時間はとうの昔に過ぎ去っている。

 それが戦闘中であったのか、それとも終わってからであったのかは覚えていない。それほどまでに、俺たちは二人ともが消耗しきっていたのだ。


 そんな中で、俺は目覚めてから死人のように青白い顔をしたカエデの手によって、戦闘中に刺された腕の治療を受けていた。

 とは言え、治療といってもそこまで難しいことじゃない。

 低級回復薬……換金店にて一本300ポイントにて交換できる薬をカエデから受け取って使用し、これまた彼女が用意していた包帯で傷口を縛るだけ。


 低級とは言え回復薬の効果は素晴らしいもので、半分ほど直接振り掛けるだけで傷口が閉じ、残りを経口で摂取すると身体の中にこびりついていた倦怠感が目に見えて薄れてしまった。

 味の方は薬なのでお察しなのだが、それに目を瞑っても緊急用に何本か常備しておきたくなる。


 ただ、やはり一本300ポイントというのは現状では重い。

 日本円に直せば三十万、ゴブリン換算で三十匹分の効能は間違いなくあるだろうが、そう序盤にホイホイと気軽に使える代物ではなさそうだ。


 そんな回復薬を提供してもらい、何だかカエデに頼りきりな気がして情けなくも思ったのだが、既に彼女には返しきれないほどの恩を受けた身だ。

 何だかもう、色々今更だと割りきってしまうことにした。後で別の形で返せばいいのだと心の中で言い訳しながら。


「……それで、説明はしてくれるんでしょうか?」


「そう……ですね。説明しなければなりませんよね」


 ひとしきりの治療が終わり、互いに一息ついた頃。

 壁際で寄りかかるよう並んで座っていた俺たちは、気まずくなった雰囲気に耐えきれず、無言で互いを窺うように視線を向けあっていた。


 しかし、いつまでもこの状態ではいられない。

 意を決して尋ねかけた俺の問いに、カエデは弱りきった顔で儚げな笑顔を浮かべる。


 当然、言葉に出さなかった部分を正確に読み取った彼女は、一つため息を吐いてから静かに語り始めた。


「あれは私の職業である【狂剣士】、その固有技能を発動した状態です」


「固有技能……ですか?」


「はい。ソーマさんの【召喚術】と同様、私の【狂剣士】にのみ許された技能。理性と思考能力を代償に、圧倒的な戦闘能力向上の恩恵を受ける……それが、私の固有技能である【狂化】なのです」


 なるほど。彼女の口から直接もたらされた情報に、俺の中で疑問が氷解する。

 文字通り、狂気に身を浸すことによって力を得る技能。それはかなりのデメリットを抱えていることに違いはないが、同時に強力な技能であることも否定できない。


 問題は、【狂化】を使用した後に自力で元の精神状態に回帰できるか……いや待て、他にも欠点がある可能性もある。

 どちらにしろ、軽い気持ちで使えるような技能ではなさそうだ。


「……怖かった、ですよね」


「え……?」


 ポツリ、と。

 そうして俺が【狂化】についての考察を続けていると、カエデは小さく掠れた声でそう零した。


「私にも、あの状態が普通じゃないことはわかってるんです。戦うことしか、血を見ることしか考えられなくなって……それがこの上なく楽しくて、自分では止まらなくなる。それが怖いから、出来ればこの技能は使いたくなかった……っ」


 途中から涙混じりの掠れた声になりながら、カエデは顔を腕の中に埋めて話を続ける。


「でも……っ、そうやって私が力を出し惜しんだせいで、ソーマさんが大怪我を負って……それで、頭の中がグチャグチャになって、何も考えられなくなって……っ! 挙げ句気づけば、私は血に酔いしれていた!」


 ごめんなさい、ごめんなさい……と。

 何度も悲痛な声で繰り返し謝罪するカエデの姿に、俺は胸を締め付けられるような思いを味わった。口のなかに苦い味が広がり、グッと奥歯を噛み締める。


 なんだよ……どうしてそうなる。


 俺が怪我を負ったのは俺の責任だ。油断して、慢心して、何とかなるだろうだなんて根拠のない自信をもってボス戦に挑んだ。それがこの結果(ザマ)だ。


 誰も責められやしない。すべてが俺の判断の甘さが招いた失敗で、カエデが謝る必要なんて何一つないのだ。

 吐き気がする。何の罪もない少女が罪悪感で圧し潰されかけている現実が、それに俺が関わっているという事実が、どんな鋭利な刃より俺の胸を深くえぐり取った。


「違う……これは俺自身の責任だ。もっと上手いやり方は他にもあったはずなのに、調子に乗って正面から突っ込んだ馬鹿な俺がすべて悪い。後衛は後衛らしく後ろに下がっていれば、怪我をする前に撤退の判断だってとれた」


「え……で、でも――」


「『でも』も何もあるか!」


 俺が自己嫌悪と自身に対する愚痴を織り混ぜた酷評を口にすると、カエデは伏せていた顔をあげて弱々しく反論する。

 しかし、それを勢いに任せて叩き潰しながら、ガツンと俺は握り締めた拳でダンジョンの床を殴り付けた。


「どうして俺は事前にポイントによる強化を行っていなかった! なんで回復薬などの備品を用意していなかった! 本当に不安だったなら最初にもっと強弁して、ボス戦を延期させることだって出来ただろう!」


 全部全部全部、すべては俺も心の奥底でカエデに賛同し、第一階層のボス程度(・・)なら楽に倒せると考えていたからに他ならない。


「あーもぉーっ! 本当に俺って奴はぁ!」


 行き場のない憤りに身を焦がしながら、俺はグシャグシャと自身の髪の毛を掻き乱す。

 何らかの行動で心情を発散しておかないと、何処かで感情が爆発でもしてしまいそうだった。


 とんでもない失態だ。今回こそうまく斬り抜けられたが、次も同じようにいくとは限らない。


 しかし、そうして俺が自身の幸運を深く噛み締めながら俯いていると――


「…………ふ、ふふっ」


「……?」


 不意に、微かにだが間違えようのない笑い声が聞こえてきた。

 そちらへと視線を向けると、そこではカエデが口元を指で押さえながら小さく肩を震わせている姿が目に映る。


 俺の視線に気づいたカエデは、すぐに慌てて表情を取り繕う……が、見間違いでなければ彼女は確かに笑っていた。


 もしや俺の余りの滑稽な道化ぶりに、嘲笑を堪えきれなくなったのでは……と顔を暗くすると、彼女は焦った様子で首を振る。


「い、いえ、違うのです! 決して今のは、ソーマさんを馬鹿にしていたわけでは……!」


「……なら、どうして笑っていたのですか?」


「そ、それは……」


 チラリと一瞬だけ顔をそらしながら、しかし俺の視線が外れていないことを確認した彼女は、少しだけ恥ずかしそうに頬を染めて答えた。


「あの……今までソーマさんは、私の前では丁寧な言葉遣いでしたから。それがいきなり崩れて粗っぽい口調が飛び出したのが、何だか新鮮で……」


「……ああ、そう言えばそうでしたね」


 カエデの告白に、俺は自身の過去を振り返る。

 基本的に、彼女はうちの高校の先輩で三年生、それも生徒会長なんて役職持ちだ。自然、口調もそれにふさわしいものになる。


 けれども現在、俺たちがいるのは人目のないダンジョン。

 それも黒歴史化待ったなしの大失敗の直後と言うことで、ついつい言葉遣いが乱れてしまっていたが、それがお嬢様育ちのカエデには口汚く聞こえてしまったのかもしれない。


「すみません、今度からは気を付けます」


「いえ、その……出来れば普段からも、私に対してはそのような口調で接していただけませんか?」


「……はい?」


 それはまた、わざわざどうして?

 首を傾げる俺に、カエデは少し寂しげな面持ちで補足をはじめた。


「自慢ではありませんが、私の実家は一般的な家庭より裕福です。幼い頃から周りの人は私に優しく接してくれましたし、望めば大抵のものが手に入りました」


「それは何と言うか……幸運なことなのでは?」


 話の内容が見えてこない俺は、適当に相づちを打ちつつも内心で疑問を浮かべる。

 それを悟ったのか、今度は苦笑の色を濃くしながら彼女は続けた。


「ですが、最近ではこうも考えるようになったのです。私の周りの人は、私に遠慮しているのでは……と」


「…………」


 そのカエデの疑問に、俺は返すべき言葉を持ち合わせていなかった。

 何故なら俺自身、彼女にはある側面では遠慮していると言われても仕方がない思いを抱いているのだから。


 金の力は偉大だ。それは容易く人の人生を左右し、使い道を誤れば多くの人を不幸にもする。

 だから金持ちは、ある意味で恐れられる。羨ましがられたり尊敬もされるだろうが、その奥底には拭いがたい畏怖が隠れている。


 対等ではないから。それだけで、人は一歩引いてしまう生き物なのだ。

 俺がこうしてある程度は歩み寄れるのは、《冒険者》という立場が共通しているからだ。これがなければ、正直、長い時間彼女と本音で話したいとは思えないだろう。


 こんな俺の微妙な心情など、言わずともとっくに理解しているのだろう。

 その上で、カエデは嬉しかったのだと微笑みを浮かべる。


「私の前で、偽らざる姿を見せていただいて……それに、ソーマさんは私の名を呼んでくれた。だからあの時、私は正気に戻ることができた……今から考えると、そう思えます」


 まるで悟りを開いた聖職者のように、穏やかで落ち着いた雰囲気でカエデはそう語る。


 あの時……恐らく、【狂化】状態の彼女を引き留めたときだろう。あれは本当に怖かった。

 だけどそれは、カエデが俺に襲いかかってくるとか、そんなことを考えていたからではない。

 彼女が狂気に引きずられたまま、二度と正気に戻れないのではないか。それだけが心配で、俺は彼女の名を叫んだのだ。


 けれど――


「だからこそ、ここでこのパーティーは解散させましょう」


 それゆえに、俺はカエデが次に口にした言葉に、一瞬耳を疑った。


「……は? いや、どういうことだよ!」


「そのままの意味です。私は今日、取り返しのつかない過ちを犯してしまうところでした。もしも私が、ソーマさんの進言を聞き入れていれば……もしくは、もっと早くに【狂化】を使っていれば、ソーマさんも危険な目に会わずにすんだと思います」


 だから、責任をとってパーティーを解散させる。


 沈痛な面持ちでそう言葉にするカエデに、俺は開いた口が塞がらなかった。

 いったい何を言っているんだ、この人は。俺の話を聞いていたのだろうか。


「いや、だから! その件に関しては俺にも責任があるって――」


「ですが! それで、私の罪が消えるわけではありません!」


 俺の説得を遮って、カエデは叫んだ。


「私は怖かったんです! 【狂化】の技能を見られて、ソーマさんに恐れられることが! そしてそんな個人的な理由で貴方を危険に晒した私を、私自身が誰よりも許せない!」


 私は貴方に感謝してたんですよ……と、彼女は歪んだ顔で呟く。


「ソーマさんは私の我が儘に付き合ってくれました。こうしてダンジョンに潜れているのは、ソーマさんのお陰です。……それに、私の異常性を目撃しても、変わらない態度で接してくれています。正直に言えば、それだけでも凄く嬉しかったんです」


 胸の前で手を組み、暖かな何かを思い出すように目蓋を閉じたカエデ。しかし、すぐにその顔は決然としたものに変わる。


 対して俺は、カエデが自身の異常性――血に飢えた性質を自覚していたことに驚きつつも、彼女がここまで口にしてきた思い、覚悟、決意を一つ一つ噛み砕き、飲み込み、理解し、すべてを把握したことを確認する。


 そして。


「――ふざけんなよ」


 と。

 思わず俺の口から飛び出してきたのは、無自覚に理不尽な要求を突きつけてきた彼女への怒りの声だった。


「ふざけんな」


 もう一度、俺は彼女に怒りを放つ。立ち上がり、上から座った状態の彼女を見下ろす。


「パーティーを解散することが、責任を取ることだとでも言うつもりか? だとしたらカエデの頭の中は、随分と愉快なお花畑が広がってるんだな」


「なっ……何でそんなことを言うんですか! 私はただ、これ以上迷惑はかけられないと――」


「俺はな! まだ生きてるんだよっ!」


 俺は先程、彼女にされたことをそのまま意趣返しするつもりで、カエデの言葉を遮る。


「誰だって失敗するのは当たり前だ。だけど、それを次に活かそうと努力するのが、本当の償いじゃないのか? 少なくとも俺は、たった一度の失敗でパーティーを解散するのは『逃げ』だと思うぞ」


「っ!」


 俺の説得……いや、もはや一方的な論説とも言える何かに、カエデは顔を痛みに歪める。

 これは慈悲ではない。むしろ苦しみを背負う茨の道だ。誰かに赦しを乞うとは、半端な覚悟で出来ることではないのだから。

 そもそも俺が彼女の過失を認めていないのだから、最初から償いとして成立していない。


 だから、もしもカエデが俺とパーティーを組み続けると言うのなら、それは自分との戦いになる。


「生きていれば次が必ずある。次があるなら、そこで同じ間違いを繰り返さないようにすればいい……簡単そうに言うけど、結構難しいことだよな」


 なにせ、人の精神は脆弱に過ぎる。一度決めたことさえ守り通せない。それは俺が一番よく知っていた。


 だけど……それゆえに、誓いを果たそうとする姿勢が評価されるのではないだろうか。


 もう二度と、同じ過ちを繰り返さないように。常に己の最大限の力でもって、困難に立ち向かう。

 それこそが、俺がカエデに……そして俺自身に課す誓約。


「俺はさ、今日、カエデと一緒にダンジョンに挑めて楽しかったぞ。だからこれからも、一緒のパーティーでいたいと思った……これ以上の理由が必要か?」


 流石にこれほどクサい台詞を口にすると、恥ずかしくって仕方がない。

 彼女に背を向け、恐らく紅くなっているであろう頬を誤魔化すように指で掻きながら、俺は返事を待った。


 ……やがて、酷く震えた声が俺の耳に届いてくる。


「私は……これからも、ソーマさんと一緒にいられるんですか?」


「だから、それを決めるのは自分だって……まあ、俺はそうあって欲しいけどさ」


 そう口にした途端、バッと後ろから誰かに抱きつかれる。柔らかな感触がローブ越しに背中に伝わり、思わず振り返りかけた俺を、押し殺した啜り泣きが引き留めた。

 女の涙は武器、容易に見せたり見られたりしたらダメなのよ……とは、確か母さんの言葉だったか。


 はぁ……と、俺はため息を吐く。

 どうしてたかだかパーティーを決めるくらいで、ここまで苦労しなければならないのか。


 ……否、それも当然であるのか。


 これは電子の世界で繰り広げられる遊戯(ゲーム)ではない。

 舞台は現実、参加者(プレイヤー)は自分自身。一度の敗北で人生が終了するリアルゲームだ。

 ならば、背中を預け合うかけがえのない仲間を迎え入れるためにも、この程度の苦労は買ってでも引き受けるべきだ。安い買い物ではないか。


 俺はドッと押し寄せてきた疲労感に目を瞑り、天井を見上げる。

 今日の探索は散々だった。幾つもの間違いを犯し、危うく死にかけ、一度目にしてパーティーは解散の危機を迎えた。


 それでも、こうして最後に『悪くない一日だった』なんて口にできるのなら……まあ、それなりに楽しめた一日だったのだろう。

 初志貫徹。俺は金を稼ぐためでも、魔物を狩るためでも、ましてやウサギの正体を暴くために《冒険者》になったわけじゃない。そっちはオマケ程度だ。


 人生を楽しむ。そのための艱難辛苦なら、死なない程度に突破してやろうじゃないか。


 そんな決意と共に、今日この日、この場所から、俺の《冒険者》としての本当の戦いが始まったのだと思えた。



 

 

 第一章『《冒険者》としての覚悟』 完

 

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