前編
さあさ子どもたち、皆はラプンツェルのお話はご存じかしら?
今日お話するのは、ラプンツェルに似ているのに、まったく違う、そんな物語ですよ――。
とある深き森の中に、木々より高い石の塔がありました。
石の塔には入口なんてものはなくて、塔の一番高いところにある小さな部屋は、石の塔を建て終えてからくりぬいたように、外を見ることが出来る窓くらいしかありませんでした。
その塔に一人佇んでいるのは、絹のようにしっとりとした長い髪を持ち、足首にはゆるく、されど重い鎖をつけた――――細身の男性でした。
「ああ、暇だ……」
男性は甘くてすっぱいレモンや金糸雀のような金色の髪に藍色の瞳を持っておいでで、万人が「美しい」と言うであろう容姿をしておりました。石の塔には不似合いな清潔さと装飾の美しい服を身にまとい、悩ましげにため息をついては、また吐息をもらしてこう言うのです。
「――ひまだなぁ」
ご存じでない方の為に、彼が石の塔でため息ばかりつくまでのお話をしてさしあげましょう。
少しだけむかしのことです。ある国にひとりの男の子がうまれました。
産声をあげたその声に安堵し、母親が男の子を腕に抱えた時――思わず悲鳴を上げてしまいまったのです。
何故か、ですって?
どうしてってそれは、男の子があまりにも大きな魔力を身に宿していたからに他ありません。
膨大な魔力は時として暴力と同義されるそのご時世、且つ母親は男の子の魔力を自分で抑えきることができる自信がなかったのです。
ですから男の子に思わず恐怖し、恐れをなして『母であること』を一瞬で放棄したのでした。
乳母に育てられ、いつも震え怯える教育係から指導をうけ、物心がついたある日のこと。すっかり大きくなった男の子は、こうして石の塔に入れられ、十年と少しの間をずっと塔で生活することを強いられました。
それならどうして殺されなかったのか不思議に思う方もいるかと思います。ですが、本当にこうする以外に方法はなかったといえましょう。
何故って、その男の子が国の正規の王子さまだったからなのです。
王子さまは石の塔に入れられてからというもの、膨大な魔力を駆使して十年共にしたこの部屋をとても快適なものにしておりました。
清潔でいられるのは水をひけるようにしたからですし、装飾の美しい服は、眠る前の満月があくびをした時に出た涙と蜘蛛の糸を丹念に織り込んで。器用なことにも、王子自身が作り上げた物なのです。
自分を不幸だと思ったこともなく、のんびりとした毎日を過ごす王子さまでありましたが、これだけは解決することができませんでした。
兎に角、王子さまは退屈で仕方なかったのです。
幼い頃から伸ばし続けている金糸雀の髪の毛は、邪魔にならないようにと手馴れた手つきで三つ編みにしていきます。自分の背丈以上のそれを編み込む作業は、少しだけの退屈しのぎにしかならず、編み終えて最後の方を結ってしまえば王子さまは途端に退屈さを感じてしまうものなのでした。
「ああ、暇だ。手入れに困るこの髪だって、こんな毎日の中じゃあすっかり退屈を紛らわすものにかわりないというのに、その手入れが終わってしまえばやりたいことをやりつくしてしまって、どうにも口は暇だと呟く。ああ、暇だなぁ」
ひとりごとでも言わなければ耐え切れないのか、少しだけ大きな声を出してひとりぽっちの塔の中で王子さまはため息をつきます。ほおづえをついて窓の外を見たところで空が変わる様をぼんやりと眺めるくらいしか、できることなどありませんでした。
空に上った太陽がちょうど真上を向いたころ、王子さまはいつもと違う光景に藍色の瞳をまんまるにさせて、『それ』を見ました。
「……人だ」
鈍色のドレスに頭の上には白色の花が目立つ花冠をのせて、ライオンのたてがみのようなふわふわでくすんだ橙の髪の毛の女性が王子さまの視界に入ったのです。
石の塔での生活を続けてきて、王子さまはこんなことは初めてでした。
女性は背中のように骨のような羽をつけていて、底の厚い靴からなにまでまるで見たことのないような恰好をしていたからでもありました。
あれはだれなんだろう――そんな好奇心がうずいたのか、思わず王子さまはいつもよりも大きな声をあげて彼女に呼びかけます。
「なあ!」
「……?」
「なあ! そこのお前!」
きょろきょろと視線を迷わせる女性は、王子さまの声を聞いて上に視線をむけます。そのときちょうど一番上にのぼった太陽がまぶしくて、かすかにとらえた窓のほうへと大きく跳んで、驚いてしまって口を開けている王子さまにこう言うのでした。
「……呼んだ?」
「…………!!」
はくはくと口を開けては閉じる王子さまに、彼女は「どうしてこの人はこんなに目を見開いて、さっきから何を喋るでもなく口を開け閉めしているのだろう」と、そう言いたげな雰囲気で、されど無表情で問いかけます。
王子さまは椅子に座っていたので地面にひっくり返ることがないようにすみましたが、びっくりしてしまって、少しの間立つことができませんでした。
気を取り直して、目の前の窓枠に座り込む彼女を見ると、王子さまはじい、っと彼女を観察し始めました。
幼い頃の記憶を引っ張り出しても、鈍色のドレス(触るとなんだかすごく硬そうだし、太ももあたりから足が見える不思議なデザイン)に銀と黒が特徴的な厚底の靴(羽のようなデザインが施されており、この靴で王子さまの元まで上がってこられたのでしょう)。
一度覚えたことは中々忘れない王子さまなのですが、最近はこんな服が流行っているのだろうか?と、思うものでした。
「突然呼びかけてすまない! 俺はこの石の塔で生活をしている者だ。お前のようにここを通りかかる者がいままでにいなかったから、つい気になってしまった。用事も特になく急ぐ用の中だったらすまなかった」
王子さまは礼儀作法と分別がしっかりとついておいででしたので、彼女にそう謝りこみます。
対する彼女といえば、深くおじぎをする王子さまはなんだかまぶしく見えて、目を細めて見ていました。
王子さまが驚いて声をかけてしまった彼女によれば、はじめてこの辺りを通ったところ石の塔が見えて、気になって近づいてみると王子さまに声をかけられたようだったのです。
王子さまは、なにぶん何十年と人と話したことがなかったので、彼女にいろいろなことを聞き、自分のことを教えました。彼女は変わらず無表情でいましたが、王子さまはとにかく話し相手ができたことを喜んでいるようでした。
石の塔への訪問者が来てから少したった頃のことです。ここ最近といえば、訪問者はほぼ毎日のようにこの塔に訪れていました。
王子さまは彼女がいつくるのだろうとそわそわするようになり、時には退屈しのぎの長い自分の髪の毛を結わうことすら忘れてしまうほどでした。
はじめて自分と長くお喋りしてくれる彼女に王子さまは大変感謝しており、無邪気に笑い声を出せば返答してくれる喜びをかみしめていました。――ですが、彼女を見るとなんだかおかしくなってしまう。王子さまはそう思っておりました。
「彼女が来ると何故だか心臓の音が少しだけ早くなって、あの声を聞けば不思議と嬉しくなってしまう。それなのに、彼女が帰ってしまうときにはずっとここにいてほしいとさえも思う……」
なんだかおかしいぞ、と思った王子さまはかつて教育係から貰ったものと、自分で買ったたくさんの本を読んで原因を知ろうとしました。わからないことがあれば本に頼ってきた王子さまにとって、一番の相談役とは本以外になかったからです。
そうして――王子さまは本をぱたりととじて、大きく息を吸い込み――吐きだし――ぽつりと呟きます。
「俺は、彼女に恋をしているんだな」
王子さまにとって恋とは絵本や童話、それから空想小説に必要とされた要素としてしか捉えておりませんでした。石の塔でひとりきり、出会う人が誰もいなかったのですから当然です。
つまり、王子さまにとって彼女が初恋の人であり、それから自分が恋したことを理解すると、どうしても彼女の顔を正面から見る自信がなくなってしまいました。
あんなに楽しみにしていた彼女の訪問も、恋を自覚してしまえばどこかぎこちなく接してしまい、やたらと顔を覗き込みたがる彼女から目をそらすのに必死でした。
一日、また一日とそんな態度をとってしまい、関係さえもぎくしゃくとしてしまう。そんな手前のこと。
王子さまはようやく自身の恋を受け入れ、観念することにしました。
まな板の上の恋とでも言いましょうか、結局、あがいたってどうしようもないことなのだと思うことにしたのです。こちらが悩んだところで関係ない。だから、自覚しよう。好きなんだって、と――――。