cm9
どうも(@_@)
杉田波平の場合。
まだ35だというのに、彼はかつらをつけている。その事についての問題はない。今のかつらは昔と違ってよくできている。とはいえ、彼には昔のかつらがどんなものだったかなどまったく分からない。なんとなく、残っている髪の毛に引っ掛けるとか、帽子のように被るものとか、他にもあるのかもしれないがよくは知らない。
家の洗面所にある鏡を見ながらいつも頭部をチェックする彼の顔には、それが偽りのものだという認識はない。本物の、まるで自分の本来の髪型であるように、丁寧にこれまた丁寧に整える。退屈という認識も、特別上機嫌という認識もなく、鼻歌混じりに整える。
長年の悩みが解消されたのだ。鼻歌だって歌ってなんらおかしくはない。波平は鏡に映る嬉しそうな男を見て笑うと、鏡の男も笑う。
かつらをかぶり、まだカレンダーもそんなにめくっていないというのに、波平にもやっと結婚できるチャンスが訪れた。張るってやつ?間違えた春だ。
今までも彼女はいた。結婚を申し込もうと思った女性もいた。自分で言うのも歯がゆいほど、波平はまじめに女性と付き合っている。でも、日に日に薄くなっていく頭を見ると自信を失ってしまう。そうこうしているとその自信の無さがテレパシーのように女性にも伝わり、関係がぎくしゃくしてしまい別れてしまう。
一応、波平もそこそこはもてる。そんなに顔は悪くない。身長もそこそこ(?)高く、179センチ。太ってもいない。ただ、髪の毛がコンプレックスなのだ。
そんなとき、何で知ったのか今付けているかつらと出会った。波平は特に浪費家ではない。自身、口癖のように言っている。僕は独身貴族だから、お金はそこそこ持ってるよ。だからね、かつらを手に入れること自体に全く問題がない。今のかつらはそんなに高くはないしね。そう、そこそこの値段だよ。
しかし、当然と言うべき問題が、今の波平には心配事がある。それこそ、人生を変えてしまうほどの大問題だ。おさらいしよう。波平はなんだ?・・・少し問いかけが雑だな。
Q.波平にあってほかの人たちにはないものは?その逆でもいい。波平にはなくて、他の者にはあるものは?
鏡の前で、鼻歌はため息で突然中断されてしまった。指揮者が手を止めてしまっては、演奏できないのが常。鏡の男に問いかけたクイズに答えるため息の波平。答えはお分かりであろう。というか、今、杉田波平に関する情報は一部しか紹介していない。ならば、答えも一つしかない。
そう、言わずもがな、A.髪の毛でもある。その事を隠したまま彼女に愛の告白、プロポーズをするべきか?それとも彼女にそのことを告げてから、カミングアウトをちゃんとしてからプロポーズをするべきか?
このまま黙ってプロポーズをすれば、成功は確実。・・・確実とは言い難いか?でも80%は固い。と、思いたい。波平も謙虚な方だが、彼女との愛は信じている。それに、彼女を逃せばもういない。彼女以上に信頼を築ける相手はもう現れないだろう。それも波平のマイナス思考だが、もう35だから仕方がない。
この2択は人生を分ける本物の2択だ。
それにしてもよくできたものだ、最新のかつらは。鏡で見ても地毛としか思えない。頭をなでながらますます感心する。そりゃ、見る人が見ればはっきり分かるかもしれない。だけど、彼女は気が付いていない。周りだって全く気が付いていない。昔から波平を知っている者なら気が付いているが、それ以外はこれが元々の波平だと思うだろう。
かつらもこれほどなのだから、植毛なんてのは一体どうなのだろう?かつらでここまで来ると、馬鹿に出来ないぞ。かつらを引っ張ってみても、痛みはない。それが本物と偽物との差であり、かつらに痛覚が存在すればもう波平に悩みなんてなくなる。植毛してから、プロポーズしてみようかな?どのくらいかかるのだろうか?
コマーシャルでも植毛のことはよく流れているが、肝心の値段のことは言ってくれない。ため息が鏡を部分的に白くした。それほど近くで見ているのだ。やはりそこそこの値段なのだろうか?
三上から渡された本。『人生における経験と影響と実績』。ハードカバーのこんなに重たい本を買ったことも読んだこともない。見慣れぬでかい表紙に書かれた題。『人生における経験と影響と実績』。なんて重い本なんだ。それが直人の率直な感想。
直人はその本を大学では読まず(鞄からも出していない)、電車の中でも読まずに家に帰ってから部屋で一人で読んだ。一応、初めから読む。目次は飛ばし、前置きに目をやる。前置きには作者の本に対する思いだのなんだのが簡単に書かれている。内容には触れてはいないので、適当に読んでいるが、最後の1文にはさすがに驚かされた。
「・・・ます。三上淳。って、先生が書いてる本かよ!」
慌てて本の表紙を見ると、確かに下の方に『三上淳』と書いてあった。(き、気が付かなかった)
「マジかよ!!あの先生こんな本まで書いてんのかよ!?ほかも何か書いてるのか?」
破いてしまいそうな勢いで本の裏のほうをめくると、これのほかに3冊ほど三上の本が紹介されていた。直人はしかめっ面になった。(誰が読むんだか?)正直そう思った。もしかしたら、俺が思っている以上にすごい教授なのかもしれない。顔を思い出してみた。あまりすごいとは思えないが、俺よりはすごいんだろうな。そう思うと自己嫌悪に襲われた。
どれくらい時間が経ったのだろうか?本は隅に置かれ、直人は服もそのままにベッドに横たわり天井を見ていた。前置きだけ読んでからまだ一切読んでいない。ベッドに横になっていたら飯も食わずに眠ってしまっていた。目が覚めると、慌てて時計と携帯を見た。時間はまだ7時・・・19時の方。7時かと思って焦った。今日はバイトはない・・・はず。携帯には着信履歴はない。あればそこで起きていた。確信はないから多分…だけど。奈美恵からのメールが困ったことに2通。読まずに携帯は置いてキッチンに移動した。
「かあさん、ご飯まだ?」
台所に行くと、空腹を更に掻き立てるかおりを放ちながら、ご飯はみんなに食べてもらうべくテーブルに並んでいるではないか。居間には父親もいることに気付く。すでに着替えてくつろいでいる。テレビも付いていた。テレビからはバラエティー番組が流れていた。始まって間もない雰囲気だが、楽しそうだ。父親は特に見ていない。今からチャンネル変える予定なのか?
「おかえり、父さん。チャンネル変えていい?」
父親は、こっちも見ずに答えた。
「ああ、ただいま直人。チャンネルは変えちゃだめだ。とうさん、今からそれを見ようとしてるんだから」
そ・・・そうか。意外とバラエティーが好きなんだよな。俺は別に見たい番組はないしな。ただ、他に何かやっていないか見ようと思っただけ。直人も何の気なしにテレビに視線を送る。ほかどんな番組をやっているのか調べるつもりはなかった。それに、もし見たい番組があれば多分前もって録画しているだろう。何をやっているかなんて覚えていないから予約するんだ。もしかしたら、今見ているこの番組を予約しているのかもしれない。
「テレビなんて見てないで、ちょっとは手伝ってよ。あんたたち、ただご飯食べるつもり?」
母親が夕飯を持ってきながら文句を言っている。キッチンではご飯は食べないからほかにやることもないので運ぶのを手伝うことにした。テレビの前にあるテーブルの上に並べられていく料理の数々(といっても3人分だから多く見えるだけ)。いかにも家庭料理。作らないくせに文句は言えないな。
「かあさん、また今日も鶏のから揚げかよ」
さっそく、意思とは反して文句を言ってしまった。でも、母親は怒りもせず言い返す。
「好きでしょ。さっさと食べて。・・・はい、あなたもテレビばっか見てないで、早く席に座って」
「はいはい」
席に座っていた。そのくせ、ろくにいただきますも言わずにテレビを見ながら行儀悪くご飯に箸を伸ばす。うまい。から揚げは誰が作ってもうまい。
これを本当に母親が作ったという証拠はない。もしかしたら、冷凍や惣菜かもしれない。でも、そんなことはどうでもいい。母親が手抜きしようがあまり関係ない。誰が作ったとしても、実際に作った者が手抜きをしていなければいいのだ。
「うまいね、鳥のから揚げは」
なんやかんやで満足する直人。母親は呆れ気味だ。父親は特に気にもしていない。というか、テレビを見ていて2人のやり取りなどまるで見ちゃいない。テレビ以外何も見ちゃいないのに器用にご飯を食べている。人間にもセンサーみたいな感覚があるよう。
テレビで流れるバラエティー番組。食事時にタレントが高級料理を食べている。鳥のから揚げよりもはるかにうまそうだし、うまいのだろう。こんな番組多いな。人が食っている高級料理でも、こう楽しそうだとあまり妬みも生まれない。でも、最近飽きて来たな。父親はそれでも楽しんでいる。
「こいつら、うまそうなもの食ってるなー」
この瞬間まで妬みもないとか言っておいて、つい、嫌味っぽいセリフが出てしまうのが人情ってやつだろ?だから勘弁してよな。ほら、その言葉に母親も父親も反応したぜ。まずは母親が返してきた。
「あんただって今、うまいから揚げ食べてるでしょ」
リアルなうまいから揚げと、手に届かないかりそめのうまいであろう高級料理。・・・勝負にならねーよ!!勝負を挑もうと思うこと自体が失礼だというのに母親のせいで無理やりでも勝負を挑んでしまったではないか。うまいよ。そりゃうまいよ、から揚げ。でもね、俺は高級料理を食べたいんだよ。家が裕福でないことは分かる。あるとき気が付いた。でもね、俺だって食いたいんだよ。直人の叫びは、直人にしか聞こえなかった。
「なら直人。お前も将来そういう仕事をするんだな。人から憧れる、時に妬まれるような仕事をな」
にっと意地悪く笑う父親は、冗談で言ってはいると思うが、どこか本気でもありそうだ。目が真剣すぎる。一応自分の息子に期待はしてるんだな。未来はまだわからないんだから。今はまだ未来じゃないぜ。
「出来たらやってやるよ」
読んでくれてありがとう(@_@)




