Cm4
CМです(@_@)読んでください(^^)/
大学も2年にあがった時、直人は一人の教師に出会った。大学だから教授か。直人はまじめな生徒とは言えなかった。1年の時から目的も目標もないままただ単位だけを取ろうと大学へ通う毎日。周りの学生がなぜ楽しそうに笑っているのか。その理由も分からないほど、自ら溝を掘りながら大学には通っていた。すでに、それは高校の時から始まっていたのかもしれない。少なくともあの日からは始まっていたし、その前のことはよく覚えていなかった。ただ、大学にいる1000人単位の学生たちで、その溝を跨いでまで彼と親しくなろうと思う学生はいなかった。各々、仲間や友達はいるのだから、わざわざ溝を作っている奴なんかとは話したいとも思わないいだろう。
そんな彼が出会った教授は口癖のようにこう言っていた。
「自己紹介をしよう。三上淳。それが私お名前だ。ここでは教授と呼ばれているから、別段、名前を覚える必要はない。だからと、私をなんと呼ぼうが、私の名前が変わるわけではないので君たちは好きに呼んでほしい。『三上淳』という呼び名も、私が付けたわけではないので。それはたまたまであり、ある種の偶然に過ぎない。だが、必然とも言える。そこが面白さでもあり、軌跡でもあり、見方を変えれば恐怖でもあると、私は思う」
初めの印象は、周りと全く変わらなかっただろう。直人もご多分に洩れす、この訳の分からん一風変わった自己紹介をしてみせた教授、三上淳のことを変わり者と思った。わっと笑いが起こり、彼もこの時はこの大学の一生徒として一緒に笑ってしまった。さすがは教授。まじめに見せて学生たちの心を掴むのがうまかったし、ギャップがあるように見てくれはきちっとしている。狙ってやっているのだろう。作られたギャップだけど、そこは気にせず笑っとこう。面白かったのなら。
笑いながら感じたことは、どこかで見聞したような、それでいて思うに的を射ているように思える誰かの考えだった。『天才は身なりを気にせず、ある種、オタクなどに共通するものがある』のかもしれないから、三上という教授は残念なことに天才ではないのかもしれない。果たして、天才自体、簡単にいるものなのか?天才にはまだ出会ったこともなく、テレビや本でしか目撃例がないのでその答えを今出すことはできなかった。
自己紹介は少し哲学っぽいが、彼の専攻は商業だ。主にマーケティングが彼の教えている学問だ。埃もしわ一つないスーツ姿で生徒たちに商売とはなんなのかを普通に教えている。生徒たちも興味は知らないけど、見た目、普通に授業を受けている。不思議なことにこの講義はあまりサボっている生徒はいない。話し声もたまに聞こえるが、三上の邪魔になることはなかった。
そんなに面白くもない授業を面白味もない表情でまじめに受けている生徒たち。キョロキョロするわけにもいかないから隣に座る学生の顔しか盗み見ることはできなかったけど、なんだか不思議な光景に思えた。とはいえ、直人もしっかりまじめに三上の教えを乞うている。皮肉はそっくりそのまま自分を切りつけることになった。自嘲気味に笑っていた。
「近頃、こんな事件が増えたわねー」
と、テレビに向かって言っているのは直人の母親だ。加藤晴美。普通のおばさん。テレビから重々しい雰囲気でキッチンに広がるニュースを、感心しながらもどこか他人事のようにため息を漏らした。重々しくきれいな言葉で息子が母親を殺害とアナウンサーが言っている。息子とはいえ、中身はもう定年を超えたような60歳を超えた歳で、母親といっても80歳以上の実質老人をくだらなくもうるさいなどの理由で殺すといった事件。
見てくれた方、ありがとう(^^)/




