失恋記念日
分っていたことだけど。
薄々気付いてはいたけれど。
それでも僅かな可能性を信じていたかった。
今日は朝から空模様が不安定だった。それをこの小さな島国の季節柄だからと、私は折りたたみ傘を鞄の中に入れて勤め先の花屋へ出勤した。
今月は《junebride》に憧れる花嫁さん達のお陰で、毎日がブーケ作りでてんてこ舞い。
お昼を食べる時間が無けりゃあ、デートする時間もなし。
あんまりにも忙しいモノだから、先輩たちは「滅びろ、リア充めっ」とブツブツ悪態をついているけれど、仕事はきちんとするし、何よりも仕事と家庭を両立している。
つまりは仕事が忙しすぎて、可愛い奥さんや旦那様、お子さん達と一緒に過ごせる休暇が取れない僻みなんだと思う。それだけなら別にいいんだろうけれど、一つだけ問題があるのだ。
「おい、加藤。お前今に仕事が忙しすぎて婚約者に捨てられるぞ」
「そうよ。段々会話も少なくなってきてセックスレスになるんだから。」
「ウチは存在すら否定されたっけなぁ~・・・。」
先輩たちの三者三様の哀愁と、この時期にわざわざ結婚式挙げる恋人たちへの不満が籠った八つ当たりの標的が私であること。
この事さえなければ先輩達は普段は優しくも頼もしいのに。
けれど、そんな先輩達がいるからこそ私達が働いている花屋《Aphrodite》は楽しくて明るい雰囲気に満ち溢れている。
――若干一名、恐ろしく冷たい人がいるけれど・・・。
バチンッッ・・・、パチンッ
「あ、あははは、みなさん疲れてるんですねぇ~。大丈夫ですよ。私の彼は理解がある人ですから。」
「そ、そうか、そうだよな。ヒナの恋人に限ってそれは無いよな。――さ、楽しくて遣り甲斐のある仕事に戻るぞぉ~」
「そ、そうね。今日こそ定時に帰る為に頑張りましょう!!」
一斉に先輩達が態度を急変させたのは、物言わぬ店長の操る鋏の音がやけにゆっくりと鳴ったから。
店長は28歳にして都内とは限らず、全国はおろか世界にも名が知られている、フラワーデザイナー兼、アレンジメントコーディネーター。
そんな店長の下で働きたいと言う人は正直腐るほどいる。だから店長はいつでも私達を解雇できる。(現に先月には高校生のバイトちゃんが容赦なくクビにされた。)
それからしばらく、私達は無言で作業を続けたり、接客する人達は接客をしていた。そんな中、その注文は突然入ってきた。
「今から薔薇をですか?結婚式?それは・・・はぁ、はい、はい・・・。解りました。ですがこんな事は今回だけにして下さいね?ウチも慈善事業で花屋をしてる訳じゃないんですから。はい、ではいつものように加藤に配達をさせますので、料金はその時に加藤に直接手渡して下さい」
がちゃん、と、今時珍しい黒電話の受話器を置いた店長は、眉間にくっきりと刻まれた皺をぐりぐりと揉みしだきながらも、私に薔薇をとあるレストランに届ける様にと告げた。
そのレストランは幸いにも店からそんなに離れているわけではないため、車を使うまでも無い。
私はジーンズに白いシャツの上に《Aphrodite》とプリントされている緑色のエプロン姿で、店長に言われた通りに、店にあるだけの薔薇を乗せた台車を押しながら、レストランへと向かった。
ガラガラゴロゴロとカートの立てる音は、道行く人々の目を店自慢の薔薇に留らせるかっこうの餌、基、材料。
空には鰯雲が浮かんでいて、空気は梅雨独特の匂いがした。私はその空気を楽しみながら店のお得意様でもある配達先のレストランへ行き、注文を受けた薔薇を引き渡し、料金を貰ったところで、信じられない光景を目撃してしまった。
白いユリと、白いバラで作られた純白のブーケを持つ花嫁。
その花嫁の横にいるのは・・・。
「どうして・・・?」
確かに最近は忙しくて逢えていなかったけれど。
確かに私は仕事を優先させていたけれど、それでもこんな裏切りってない。
内心、酷く狼狽し、困惑している私を他所に、レストランのオーナー兼、店長の悪友であるその人は、微笑ましげに私に親切丁寧にそのカップルの説明をしてくれた。
「お腹が目立つ前に彼女にドレスを着せてあげたかったんだってさ。それとは別にサプライズで奥さんに薔薇をプレゼントをしたい、・・・って、雛菊ちゃん!?」
ポタリ、ポタリ。
どうしてかな?
泣いてないはずなのに、前が見えないよ。
瞳の奥が熱くて仕方がないよ。
ねぇ、どうして私の知らない女の人の横で、アナタはそんな風に幸せそうに微笑んでいるの?
ねぇ、どうしてなの?
気付いた時には、私はその場から脱兎の如く逃げ出し、彼と何度もデートを繰り返した桜並木を、雨の中1人で歩いていた。
ザァーザァーと霧雨の様に細かい雨が私の体を濡らしていく。
その雨は私だけでなく、今まで外をのんびりと歩いていた人達まで容赦なく濡らしていき、最後にはお風呂の浴槽をひっくり返したかのように土砂降りとなった。
本格的に雨が降り始めて暫くした頃、私は笑いながら踊りつつ、歩いていた。
くるくるてくてく。
冷静になって考えても見ればおかしかったじゃないか。
あれだけ見た目も良く、お金が持っている人が持てないワケが無い。
ずっと付き合ってると思ってたのは私だけだったのかもしれない。
ううん、確かに私と彼は付き合っていた。
けどいつの日からか、彼の服に、明かに私以外の女の人の香りが着いていた。
私はそれを知っていながら、彼を問い質すどころか、追及も出来なかった。
私はとっくの前に彼にフラれていたんだ。
愛されていると思いこみ、彼を繋ぎとめる努力をしてこなかったから。
「仕方ないよね・・・、私は仕事を理由に彼から逃げてたんだから。」
本当に彼が好きだったのなら、泣いて縋ってでも、今日彼の横で幸せそうに微笑んでいた花嫁と別れて貰うべきだった。それを怠った時点で、私と彼の幸せな未来は消えてしまった。
だから仕方がない。
そう自分に何度も言い聞かせていた時、スマートフォンが着信を知らせた。
私は反射的に電話に出て、今が勤務中であることを思い出した。
《いつまで遊んでいるんですか、加藤さん。貴女はそれでも《Aphrodite》の従業員ですか》
電話の主は店長だった。
いつにもまして冷たく聞こえる店長の声に、私は別の意味で泣きたくなって、直に店に帰ると言い、電話を切った。
今日は私の失恋記念日。
5年付き合って、婚約めいたものを結んだ相手に捨てられたけれど。
今は辛くても、きっと、今降っている雨みたいに胸の痛みは流れていく。
だからその日が来るまで今日と言う日は、私の《失恋記念日》。
新しい恋を見つけるのには、かたつむり並みに時間が掛るだろうけれども。
それでも私は今日から今以上に強く生きていこう。
今日は失恋記念日。
店に帰ったら、記念に紫陽花を買って家に飾ろう。
多分、それくらいの皮肉くらいは許されるだろうから。
私は霧雨から土砂降り、そして小雨となった天気の中、優しくも頼もしい先輩達と、冷たくて不器用な店長が待つ店へと向かい、歩き出した。




