12月9日 金曜日
寒さの厳しさは心までも荒ませていくようだ。頭痛と腹痛をごまかしながら、陽菜は上司の冗談に笑顔を返したが、心の中ではこの飲み会がお開きになって欲しいと願っていた。
今日は職場の飲み会。飲めない、と言う陽菜を気遣うことなく無理に酒をすすめる上司や、何で飲まないんだという目で見る同僚など、すべてが滅びてしまえばいいのに。
(これだから、この職場の男は嫌いなんだよ)
女を何だと思っているのか。自分がルールだと言わんばかりの態度に、心の距離がさらに広がっていく。なぜ女の価値観を認めようとしないのだろう。酒に付き合うのがそんなに偉いのか。
(でも、同期だって上司に付き合うのは嫌だけど仕方ないって言ってたし。これも給料の一部だと思えば)
自分に言い聞かせてみても、苦痛なのに変わりはない。
(仕事がそんなに偉いのかな、だって結局のところ、誰かにお願いされたことをしてあげて、自分がお願いしたことを誰かにしてもらうだけじゃない)
それなのに、仕事とは苦しいものだとか、つらいものだとか、それを言っている本人が苦しくてつらいと思っているから、他人がそう思わないのは許せないだけじゃないのかと陽菜は思ってしまう。ただの不幸の連鎖だ。
それとも、自分が社会に適応できていないだけなのだろうか。自分にとって居心地のいい関係が一体どれだけあるのだろうかと思い浮かべてみても、よく遊ぶ友達や恋愛対象の男とも本当にまともな付き合いが出来ているのか不安になる。
職場の飲み会の最中、先週金曜日の合コン相手からメールがあった。毎日メールをし、次に会う日を決めてから、その内容を決めるメールをしていたのだ。
その相手が、「鍋をしょう」と言ったときから、少し嫌な予感はしていたのだ。
鍋=大人数=合コン
つまり、彼が陽菜と連絡をとっていたのは、ただ単に次の合コンにつなげるためだったのだ。「なんだ」と肩すかしをくらった気持ちにはなったが、特にそのメール相手にこだわりはないので、別の相手と出会うのもいいかもしれないと思っていた。
しかし、問題なのはその後だ。鍋となると、誰かの家でやるのが定番だ。一体誰がその場所を提供するのか。
陽菜「どこでやる?」
男「どこでもいいよ」
(自分の家を提供する気もないのに、鍋を提案したのか)
陽菜「じゃあ、あなたの家は?」
男「陽菜ちゃんの家は?」
それを見た途端、きっぱりと断った。
(馬鹿にするんじゃないわよ)
別の女を紹介するだけでなく、家まで提供しろというのだ。そこまでお膳立てしてあげる義理などまったくない。しかも、知り合って間もない女の家に上がり込むとよく平気で言えたものだ。
もう何もかもにうんざりだ。こんな夜は、何も考えずに、男の腕の中にもぐりこんで癒されたい。しかし陽菜に、その相手はいなかった。