7-1 逃げ出せない思い出の中
「ここは……?」
カロたちは、車を降りる。
そこは、山の入り口だった。
ただし、以前来た山ではなく、もっとなだらかな山だった。
「で、ここが、その花火ってやつと何が関係あるんだ?」
慣れた手つきで道なき道を登っていくアザミに、カロが問いかける。すると、
「……昔、お姉ちゃんと遊んでたんだ。この山で」
と、アザミは決して明るくはない声でそう答えた。
▼ ▼ ▼ ▼
「――――ゴボッ!! ガボッ、ガッ……!!」
苦しい。
無限に続く濁流が、空気の行き場を無くす。
何も吸えないし、もう何も吐けなかった。――――今、少女は川の中にいた。
必死にもがく。と、右手が空を切った。そこには、確かに空気が存在している。
その一筋の希望に向かって、この地獄から手を伸ばす。――――しかし。
希望に達するよりも先に手の動きは弱くなり始めると、やがてそこらに転がる棒切れと同じように動かなくなった。
「……今回も《魔術:障壁》の発動に至らなかったか、アザミ」
ゴホッ、ゴホッゴホッ――――胸を引っ掻き回したような熱さにやられて、思わず咽せる。
まだ体に水に溺れていた感覚が残っていて、少女はその感覚から抜け出そうと反射的に勢いよく体を起こした。
アザミ。そう呼びかけられた5歳の幼子の前に立っていたのは、若かりし頃の熟練した肉体を持つ父――――赤木清流だった。ここは、赤木家の道場だった。
「すみません、お父様……」
アザミは息をぜーぜーと吐きながら、そう謝罪する。しかし、清流はそんなことはお構いなしに、
「……お前は、3歳で《魔術:強化》の力に目覚め、翌年には《魔術:付与》も習得した。その魔力量だって、並ではない」
と、アザミに歩み寄ると、
「特魔から、骨喰家は消えた。今、特魔の理念を守るためには、新たなる強きリーダーが必要だ。特魔の理念――――『何者も利用せず、何者にも利用されず』、それを守るためにも」
と、道着を手渡した。さらに、
「立て、アザミ。次は実践訓練だ。4大基礎魔術なら、何を使ってもいい」
と、説明を続けながら、アザミの手に魔術を制限する錠をかける。
それは、アザミの魔術だけでなく心と体を縛り付けるものでもあった。
「……はい、お父様」
アザミの中から、感情が消える。
体の軋みも無視して無理やり道着に手を伸ばすその目には、光はなかった。
それからいくつもの衝突音が道場から響き、やがて日も傾いて、緑色をした山の葉が夕焼けのオレンジに着替えた頃――――。
道場の裏では、アザミが空っぽの胃から胃液を搾り出していた。
「おえっ……。ぺっ……」
吐きたくないのに強制的に腹が収縮する。
喉が焼けるように痛んだ後、酸っぱさと気持ち悪さが口を襲った。
「ふぅー……」
アザミはなんとか落ち着くために、目を閉じて顔を上げ、それから鼻から空気をいっぱいに吸い込んだ。
少しだけ、胸に溜まったわだかまりが消えていく。
ゆっくりと目を開くと、ちょうど空を鳥が飛んでいった。あれは確か、シジュウカラだったか。
「――――アザミさん」
その時、不意に声をかけられた。――――振り向くと、そこにいたのはアザミの母だった。
「お母様……! 特魔でのお勤めは……?」
「着替えを取りに来ただけよ。すぐ戻るわ」
「……そうですか」
すると、母は徐にアザミを抱きしめた。
「ごめんなさい。そばにいてあげられなくて」
そして、謝罪した。
「修行は大変よね。――――だけどね、それはあなたに期待してるからなの。あなたは私よりもお父様よりも、お祖父様よりもお婆様よりもずっとずっと才能がある。――――だから、あなたは新世代の光にならなくちゃいけない。これからの特魔を背負っていかなくちゃならない、そういう存在なの。たとえ、あなたが嫌がったって」
謝罪をした、と書いたが、それはむしろ謝罪というより言い訳だった。
そして、母はそんなアザミに呪いをかけるような言葉の羅列の最後に、
「だから、分かって。ね?」
と、添える。アザミは、それがなんの慰めにもならないことを知っていた。
「……はい、お母様」
日々ぎこちなくなっていく、アザミの笑顔。
しかし、母親がその変化に気がつくことはないだろう。優しく微笑む母親の目は、アザミを映しているようで、アザミを映していなかった。
それからアザミは母親を見送ると、踵を返し、山の中へ向かって歩き出す。
――――今、特魔の理念を守るためには、新たなる強きリーダーが必要だ。
頭の中で父の言葉が響くと、歩く足はだんだんと早くなり、
――――これからの特魔を背負っていかなくちゃならない、そういう存在なの。
という言葉が鼓動を嫌に高まらせると、アザミは気づけば何かに追われるように必死に草をかき分けて走っていた。
どこまでいっても何も変わらない。目の前は、恐怖でいっぱいだ。
と、その時――――アザミは、木の根に躓く。
その弾みで茂みから開けたところに飛び出すと、アザミは体を地面に打ち付けて、それから膝を剃ってうずくまった。
嗚咽が酷くなり、呼吸の荒さも治らない。――――すると、そんなアザミに先客が声をかける。
「よっ、来たね。アザミ」
そう、話しかけてきたのは――――赤いランドセルを背負った陽華だった。
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