6-3 届かぬ言葉
夕方から夜に変わる頃、どこかの静かな住宅街。
「あの子とは、もう縁を切りましたから」
ピシャリッ、引き扉が閉められる。カロとリトリーとシズクは、ただ洋風づくりの家を見上げるばかりだった。――――ここは、飯原ヶ丘の実家だった。
「帰りますか?」
リトリーが問う。しかし、カロは、
「そうは行くかよ」
と言うと、
「出ないなら、あなたの娘が借金してたこと言って回りますよ!!」
と、インターホンを連打した。
「……それ、脅迫ですよ」
そんなカロを、リトリーはため息を吐きながら冷めた目で見つめた。
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「……やめてください。ああいうことは」
そう迷惑そうに言ったのは、飯原ヶ丘の母親だった。
なんとか中に入れてもらったカロは、リトリー、シズクと並んで席につく。母親とは、向かい合う形になっていた。
「すみません。こっちも仲間の冤罪がかかってたもんで」
すると、母親は目を丸くして、
「何か、しでかしましたか!?」
と、カロの言葉に食いついてくる。
「いえ。でも、事件の関係者なんです」
「お話しできることなんて、本当にないんですよ。借金をしていたことも知っていたようですし。それ以上のことなんて……」
飯原ヶ丘の母親が、カロをじっと恨めしく見つめる。すると、リトリーが横から、
「嫌われたようですね」
と、カロに囁いた。しかし、カロは物怖じせず、
「なぜ、娘さんと――――飯原ヶ丘炉々さんと縁を切ることになったんですか?」
と、母親に尋ねた。
「……ある日、子供を作って帰ってきたんです」
母親は、渋々語り出す。
「大学を出てすぐ。あの子が地元を離れて働くことになって、もうすぐ2年が経つ頃だった。いきなり正月に帰ってきて、子供ができたって。もう私たちは親戚になんて説明すればいいか真っ青よ。そのくせ、相手も連れて帰ってこないで……」
「結局、お相手は……?」
母親は、首を横に振る。
「問い質しても、頑なに言わないし。――――それどころか、あの子。金の無心をしてきたんですよ!! もう、どうしてあんな親不孝に育ったのか……!!」
それに、カロは、
「……飯原ヶ丘さんも、母親になってその気持ちが痛いほど分かると思いますよ」
と、返す。しかし、それが母親の逆鱗に触れたのか、
「……ッ、あなたに何が分かるんですか!」
と、声を荒げる。そんな母親に、カロは悲しそうな顔を向けた。
「人への感謝を忘れるなって……。人に嫌われるようなことや犯罪なんてしないようにって……。ちゃんと育ててきたはずなのに……。どうして、こんな子に……」
母親は顔を手で覆って、項垂れる。
「炉々さんのお子さんとお会いしたことは?」
すると、それを見かねてかリトリーが口を挟んだ。
「ありません。……ありえません」
「お金も貸さなかった?」
「それは……、貸しました。貸したというよりは、もうほとんどあげたつもりでしたけど……」
「どうして?」
「曲がりなりにも自分の娘です。それに娘の子供も可哀想じゃないですか。これから生まれてくるってのに。だから……」
カロは思った。
(この人には、愛がないわけじゃない。むしろ、逆。自分の愛していた娘が、知らない男と――――それも責任を取らないような奴と結婚して、相談は金の無心で。悲しかったんだ。自分が先に、愛を拒絶されたような気になったんだ。何十年も捧げてきた愛を)
その考えが、飯原ヶ丘炉々の母親の全てかは分からない。
「お父さんには知らせず、金を貸しました。きっと、あの人も分かっていただろうけど、何も言いませんでした。私も、何も言いませんでした」
だけど、カロは確かに、か細く残っていた愛の痕跡を見た気がした。
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「さっきは声を荒げてしまったけど、そうだったらいいなと思います。いま思えば、炉々は私たちに申し訳なく思っていたのかもしれません」
カロたちが玄関を出ると、母親が言った。カロは、何のことか分からなかった。
「あ、炉々が母親になって親の気持ちが分かるようになったって……」
そう言われて、ようやくカロは、
「ああ」
と、思い出したように言った。すると、母親は、
「実はね、後日、ポストに入ってたんです。私たちが貸した分のお金」
と、続けた。
「……え。それは、いつ?」
「つい、最近です。本当は炉々が尋ねてきたんですけど、その時は顔も見ずに追い返してしまったから……。でも、あの子にとっても、ずっと引っ掛かっていたことなのかもなって……」
母親の言葉尻が、弱くなっていく。きっと、そのやり取りはずっと心に刺さって残っていたことなんだろう。
「刑事さん。もし、炉々に会うことが会ったら伝えていただけませんか? ――――いつでも、帰ってきて。ゆっくり、話し合おうって」
母親が顔を上げる。
その時、カロの頭には、自分をすっかり忘れてしまった育ての母の顔が思い浮かんだ。
でも、自分と母親とは違うところがある。それは、もう決して飯原ヶ丘炉々と母親は――――生きたまま出会うことも、話すことも出来ないということだった。
「ええ。炉々さんも、喜ぶと思います」
結局、目を見てそうは言えなかった。カロはまだ子供で、嘘に慣れていなかった。




