4-5 崩壊と覚悟と
陽華は長くも一瞬にも感じた夢の中から、元いた緑の世界に戻ってくる。
「これは、瀬尾の記憶……?」
すると、背後に立っていた子供が「そうだよ」と答えた。
陽華が振り返ると、そこにいたのは子供、老婆、母親のような女性、そして瀬尾に似た人影がいた。それらは、今までのものと変わらず顔に黒い靄がかかっていた。
「みんなひどいよね。お金を取るために、僕を騙して、気に入ったなんて嘘をついて……」
「……そうでしょうか。皆、少なからず貢献していましたと思いますよ。緑の彼は肝心の作品を取りに行きましたし、黄色帽子の彼女は知名度とコネクションを提供してくれた。赤いスカートの彼女は、どうやら差し入れを何度もしていたようですし、青シャツの彼はこの企画を立ち上げ、モチベーターともなってくれていた。そして、あなたは――――金銭面で」
「……」
子供は、一瞬酷く冷たい顔を覗かせる。と、それからぱっと明るくなって、
「……次も嘘つきを当ててね!」
と、言った。
子供が横並びの列に戻ると、まずおばあちゃんが口を開いた。
「この子には、才能がある」
次に、母親。
「あなたは、絶対成功する」
続いて、子供。
「僕には、才能がある」
最期に、瀬尾らしき影。
「あいつには、才能なんてない」
全ての言葉を聞くと、陽華すぐに結論に至った。
(これは嘘つきを探すロジカルシンキング――――に、見せかけた簡単な問題。子供、老婆、母親は一貫して子供自身に才能があると宣言している。つまり、この中のどれが嘘だったとしても、子供に才能がないと言うことになり、他2人の証言が成立しないことになってしまう。ならば、答えは……)
瀬尾の人影をじっと見つめ、陽華は宣言する。
「あなたですね。――――瀬尾未来」
しかし、瀬尾の人影は顔にかかったモヤの下でニヤッと笑う。と、次いで口から出たのは、
「――――不正解」
という、言葉だった。
「3人とも……!?」
「……私は5つの頃、父親から祖母がもう長くはないことを知らされた。すごくショックだった。だけど、同時に何かをしてあげたいと思うようになった。――――そしたら、祖母は『ずっとオーストラリアに行って本物のコアラを見たいと思ってた』って答えた。病弱の祖母の体では、とても叶えられそうにない夢だった。もちろん、子供の俺にも」
「……」
「それでも私は、やっぱりなんとかしたいと思ったんですよ。子供ながらに。だから、コアラの絵を描いて、祖母にあげることにしたんだ。それぐらいしかできなかったから。何度も何度も描き直して。絵を渡した時の嬉しそうな顔、今でも覚えてる。でも、それがこの苦しみの始まりでもあった」
「苦しみ……?」
「祖母がある日、聞いたんだ。将来は何になりたいのって。いま思えば、自分が見れない未来のことを想像したかったんだろう。その時、私は咄嗟に画家になりたいって答えた。そうしたら、祖母は言った。――――『未来には才能がある。絶対なれるって』。私はそれを信じていたし、両親にも自慢げに語ったよ。みんな、私に才能があると言った。だけど、そんなものどこにもなかった。だけど、子供が絵を見せてきて下手だとか、子供の語る夢に才能がないだとか、そんなことを言える家族はいるだろうか。私は、そんな優しさを鵜呑みにしてしまったんだ」
瀬尾らしき人影は、頭を抱える。
「自分が何者にもなれずバイト三昧、周りだけが売れて行く。そんな夢で何度も目を覚ます。もうやめよう。そう思っても、その時になって好転の兆しが――――まやかしが見えたりする。投稿が拡散されたり、仕事が入ったり、契約期間が残ってたり。これで……、これで終わりにしようって……。そんな時にそんなことばかり起きる。小さな褒め言葉と意地だけがやめられない理由になっていった」
「だから、魔石の絵の具に手を出した?」
「そうだ。私はもう、自分の夢に振り回されるのは散々だった。絶対的な自信が欲しい。絶対的な実績が欲しい。夢を叶えたという実感が欲しい。それを叶えてくれたのが、この絵の具なんだ。――――だから、これは譲らない」
すると、瀬尾は顔を上げて、
「残念でしたね、不正解で。あなたはもう、ここからトラウマに塗れて、魔力を吸われて、この絵の具の一部となって死んでいく。そうして、私はまた絵を描く」
と、顔にかかった黒いモヤの向こうから鋭い目を覗かせて言った。
泣き喚くか、運命を受け入れて黙り込むか。瀬尾は陽華の有り様を注視する。しかし、返ってきたのは、
「――――ならば、あなたも嘘つきではないですか」
という言葉だった。
「あなたの絵は、あの魔石の絵の具のおかげで売れたわけではない」
「……は?」
「あなたは、どうしてあの絵が売れてると思いますか?」
「……オルゴールを回して、魔石を光らせて、魔術で魅了して、それで売れる。そんなことは、誰の目にも明らかだ」
「それが間違っているというのです」
「どこが……!」
「あの魔石の効果は、あの絵を購入した後に発動しているのです」
「……え?」
「そもそも、オルゴールを鳴らすだけで魅了する効果があるならば、あのギャラリーは魔力の痕跡で満ちていなければおかしい。――――しかし、その痕跡はなかったし、オルゴールを鳴らしてみても探知機は反応を示さなかった。それは、久慈1等が確認しています。つまり、魔石の効果は購入して明坂ストリートに出た時から発動するのです。――――そして、それは、絵を購入させるまではあなたの実力次第ということになる。あなたの絵が売れていたのは、魔石の力じゃない。あなた自身の力だったんですよ」
「……そんな」
瀬尾らしき人影の目が、確かに揺れる。
「違う。私には才能なんてなくて……。だけど、この絵の具が……」
「本当にそうでしょうか。ならばなぜ、あのノリコと呼ばれていた先生は、あなたを認めたのでしょう?」
「え?」
「青いシャツの男の証言によると、彼女は『作品次第で一緒に展示会をするか決める』と彼に伝えていました。つまり一定基準のクオリティと魅力が必要だったわけです。そして、それは青シャツの男にすら同行できる問題ではない」
「……私が、そのお眼鏡にかなったとでも?」
「その可能性のほうが高いと思いますけどね、私は」
すると、陽華は続けて、
「それに――――才能。それが、そんなに大事ですか?」
と、問う。その言葉を聞くと、瀬尾は顔色を一変させて、
「ああ。じゃなきゃ、食っていけない。絵を描いていけない。作品を作り続けられない。お金が無くてもいいだなんて、稼げなくてもいいだなんて。そんな奴、作家じゃない。金を生むってことは、魅力があるってことだ。金が払われるってことは、評価されるってことだ。自分の絵が何万、何百万、何億って。そうやって評価されなきゃ。求められなきゃ。意味ないんだよ……! 作家じゃないんだよ……!!」
と、だんだん強く荒々しくなるように語り出した。
「――――なら、なぜ描き続けたんです」
しかし、陽華の次の一言で瀬尾は沈黙する。
「……」
「なぜ、絵の具に縋ったんです」
「…………」
「諦められなかったんですよ。才能という言葉では全く否定できないほどに、あなたは画家だった」
「…………」
「あなたの作品が売れたのは、あなたの力なんですよ。真っ暗だと思っていた道を、あなたは確かに進んでいたんです」
「……………………違う」
「あなたが怖がっていたそれは、あなたに牙を剥けてなどいなかった。ただ、あなたがひどく臆病なだけだった。――――そのせいであなたは、諦めなかったあなた自身をこの絵の具のおかげということにして否定し、汚してしまった」
「俺は……。俺は…………」
「一番の嘘つきはあなたです。自分のことを見てあげず、才能がないと押し固めた――――あなた自身です」
陽華に真実を告げられると、瀬尾はしゃがみ込み、頭を抱えて「ぁ、あぁあああああああああっ……!!」と、苦しみの声を漏らし始める。
すると、あたりの壁や地面がドロドロと垂れ始め、緑の世界の崩壊が始まった。
▼ ▼ ▼ ▼
一方、青の世界。
倒れたままのリトリーの上では、コアラが覆い被さり続けていた。
「ここには、何もない……。そこで寝ていても、誰も責めない……。待っていればいい……。お前には、誰も期待していない……」
しかし、コアラのその一言を聞いた瞬間――――ぴくり、リトリーの指が動く。
「期待……」
直後、指は鷲の手のように力強く地面を掴んで、グググと力が込められる。
「そうか。これは……。このコアラは、てめえの不安か……」
明らかに自分より大きく重い存在を、リトリーは持ち上げていく。――――そして、ダンッと重力に抗うように地面を踏んだ。
「あいにく、こっちは自分に期待したことなんてねえんですよ……!!」
「こいつ、どこからこんな力が……!!」
「期待とか不安とか、心底どうでもいいんですよ……ッ! 迎えだって、いらないッ……!自分で、そこにいく……!! リトリーは、岩手様の手の中で死ぬと決めているのです……ッ!!」
すると、リトリーはゆっくりと行き止まりの壁の前に立つ。
「立ち止まることを肯定して欲しいなら、勝手に蹲ってなさい……! リトリーは、見返りなんかいらない。背負って進むだけです。ただ、自分が納得できる死に様に向かって……!!」
そして、そう言って刀を抜き、自分の手首を切ると、血を吸わせた。
「IW―S03――――【銀牙万咬】」
その言葉を聞くと、
「DNA認証完了。Mストラクションモードの使用を許可します」
と、刀が答えた。
次の瞬間、柄にはめこまれた魔石が黄色く輝き出す。と、リトリーは深く腰を構え、
「壁に傷はつく。ならば、やり方を変えて出口を作り出してみせましょう」
と、壁に向かって、その刀を振るった。
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