4-4 青春と失望と
大学。最後の文化祭が終わる。
外部の人間や関係者も多く訪れる展示会だった。
だが、絵の下に置かれた名刺の山。ほとんど減っていないそれを見て、瀬尾は絶望していた。
悔しいとも、思えなかった。ただ、現在地を実感しただけだった。
「……そうか。ないのか、私に才能は」
トボトボと歩く。絵の前でごくりと唾を飲んだ後から、喉が張り付いて体から血の気が引いていって、生きた心地がしなかった。
行き着いたのは、展示会の少し外。ロビーのようなソファーに座って休憩できるところだった。
(最悪だ……)
瀬尾がそう思ったのは、騒がしい3人組の集団がいたからだった。
それぞれ青いシャツ、赤いスカート、緑のセーターを着ていた。校内で見たことがあるから、おそらく同じ大学でこの展示会に出展していたのだろう。
「……ってわけで、ノリコ先生が今回の展示会を見てくれて、このメンバーなら一緒に出してもいいってさ!」
青シャツが言った。ノリコというのはこの界隈でいう抽象画家のノリコ先生だろうか。
「でも、すごいね! ノリコ先生と繋がりがあるなんて」
「いやぁ、何回かSNSでやり取りしててさ。そしたら、今日俺たちの作品の作品次第で一緒にやってくれるって。バイヤーの人とかも来てくれるらしいぜ」
楽しそうだな、と思ったのが最初の印象だった。成功していく人間と失敗していく人間、ここが分かれ目だろう。
コーヒーを手に取って会場を後にしようとする、瀬尾。――――しかし、その時だった。胸ポケットのスマートフォンが震える。
× × × × ×
『お疲れ様です! 初めまして、本日展示会で一緒になった美島です。今日の展示で……』
× × × × ×
画面に映し出されたのは、そんなメッセージだった。そして、そのアイコンはいま話をしていた青シャツの男だった。
バッと驚いて、瀬尾が振り返る。と、その態度で気がついたのか、
「おっ」
と、青シャツと目が合った。
「あれ、瀬尾さんですか?」
そう言いながら、青シャツは軽薄な笑顔で胸ポケットから名刺を取り出す。
「あなた作品、気になってたんです。一緒にやりませんか、展示会。あなたの作品、俺好きなんですよ」
しかし、それは青シャツ自身のものではなく、山積みに残っていた瀬尾の名刺の1枚だった。瀬尾の目にはそれが、人生を変える最後のチケットのように映った。
▼ ▼ ▼ ▼
「――――で、ここが展示場か」
空間が捩れて、場面が変わる。
そこは、都会の一角に作られた広めのギャラリーだった。4人はそのギャラリーを眺めながら立っていた。
「よく、こんなとこ取れたな」
緑セーターが言った。青シャツは、
「いやいや、ノリコ先生のおかげだよ」
と、ギャラリーを見上げて笑った。
「私は会場とコネクションがあっただけです。実際、皆さんにも会場代は出していただきましたけどね」
すると、瀬尾たちの後ろから1人の女性が姿を現した。その女性こそ、ノリコ先生だった。
ノリコ先生は抽象画を中心に活動しながらも、その独特な不穏さとグロさとエロさを感じさせる絵の印象から、メンヘラの間で爆発的に流行した画家だった。――――が、一方で本人は黄色い帽子をしていて、服装も明るい印象を与えた。とても、そんな絵を描くような人には見えなかった。
メンバーも揃い、挨拶も済ませ、後は会場に作品を飾るだけだった。
しかし――――事件が起きる。
「社員が急にやめて、発送ができない!?」
青シャツが、素っ頓狂な声を上げる。それは、絶望の鐘だった。
「人が足りない!? そんなの無しでしょ! 返金するからって、こっちはもう会場入りして……!」
電話が切れる。青シャツは肩を落とした。
「展示は明日ですよね……?」
黄色帽子が聞く。と、赤スカートは、
「どうすんのよ!」
と、喚き立て混乱を加速させた。
「そもそも、どうしてこんなギリギリに……」
瀬尾が聞いた。
「直前まで別の展示があったんだ。だから、それの撤収が終わるまでは搬入は待ってくれって。でも、こんな場所で展示なんて滅多にできないから、俺はそれでいいって答えて……。それがこんなことになるなんて……」
青シャツは頭を抱える。しかし、長くため息を吐くと、
「だけど、落ち込んでても仕方ない。これは俺の責任だ」
と、言って立ち上がる。その行動を見て、赤スカートが、
「どうするつもり?」
と、聞いた。
「作品を取りにいってくる」
青シャツは、覚悟を決めたようにそう答える。
「はぁ!? 倉庫とどんだけ距離あると思って……。それに立体作品だってあるのに……」
「それでも、じっとしているよりマシだ」
会場を立ち去ろうとする、青シャツ。すると、その背中を緑セーターが引き留めた。
「待てよ」
「待たない。展示会は、俺たちの夢だったろ。それが、現実になる。その目前にいるんだ。俺はできる限りのことをしたい」
「そうじゃねえよ。――――俺が行くってんだ」
「え?」
「俺、実家にワゴン車あるから。そんな遠くねえし、電車で行って取ってくるよ」
「……いいのか?」
「1人でどうにかしようとするの、悪い癖だぜ。俺たちの夢なんだから当たり前だろ」
緑セーターは、そう言って照れくさそうに頭を掻いた。
それから、祈りの時間がしばらく続いた。落ち着きなく外に出たり、逆にギャラリーの中でじっとしていたりした。
結局、それが解決したのは――――夜になった頃だった。
窓の向こうの駐車場に1台の番が止まり、中から男が1人姿を現す。と、男は窓から覗く瀬尾たちに向かって、グッドサインを掲げた。
「よぉし、みんな! 急いで飾るぞ!!」
青シャツの声を合図に、一斉に飛び出す一同。こうして、展示会はなんとか成功を収めたのだった。
▼ ▼ ▼ ▼
あれから数年、瀬尾はあの時のメンバーの成功をSNSで眺めながら、街を歩いていた。
あの展示会で、青シャツは小さな絵がいくつか売れたらしい。赤スカートはとある企業との仕事の契約を獲得し、緑セーターは憧れの写真家の弟子になっていた。
一方で、瀬尾は展示会でまたもや売れていない自分の絵を見上げる羽目になった。でも、今回は清々しさが違った。
かつてやめようと思っていた自分を絵の道に引き戻してくれて、あの青春のような瞬間に加えてくれて、瀬尾は感謝していた。それに、報酬がなかったわけではない。展示会が成功を収め、自身のフォロワーも増え、瀬尾は小さな成功を実感していた。
「……瀬尾!」
顔を上げると、そこには待ち合わせ相手がいた。
それは、大学の同級生で、会うのはしばらくぶりだった。が、SNSでお互いをたまたま発見し、飲みに行く約束をしていた。せっかくなら、大学の近くにしようということになっていた。
それから懐かしい話をして、何度もグラスを合わせて乾杯をして、夜も老けて行った頃だった。瀬尾はトイレに行こうと立ち上がる。――――その帰り道のことだった。
「――――いやぁ。だけど、マジで差し入れありがとな」
記憶の片隅、聞き覚えのあるような声に耳を引かれて、瀬尾は顔を向ける。
「マジで気に入ってるよね。展示会の時から、ずっとプリンプリンって言ってるもんな」
「ね、いつまで言ってんのよ!」
女が、バシッと肩を叩く。そこにいたのは、自分と黄色帽子を除いたあの時のメンバーだった。
「いや、ノリコ先生も気に入ってたから! センスあるよな、やっぱ」
そう語る青シャツの目の端、瀬尾は挨拶をしようと手を上げた。――――が、その時だった。
「そういやあの時さ、やけに安くあの会場取れたな」
と、当時、緑のセーターを着ていた男が言った。すると、青いシャツを着ていた男は、
「ああ。瀬尾に多く払ってもらったからね」
と、笑って答える。瀬尾は、その一言でどんな酒よりも酷く足をふらつかされた。
「彼実家暮らしだったし、俺たち一人暮らしだったし。ま、多くとっても良いっしょ」
「え―、マジかよ」
「ま、もう会わねえと思ったしな」
そこから始まった談笑の内容は、もう耳に入ってこなかった。
分かったのは、青シャツたちが自分から多く金を取っていたこと、自分があの中で1番成果が出ていなかったこと、そしてあの青春が嘘だったことだった。
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