4-1 赤と青と空白と
リトリーが、足元を這いずっていたキラキラと輝く絵の具に気がつく。そして、
「でもね、そんなところから救ってくれたのが、この絵の具なんですよ。だから、これだけは譲れないんです。もう、戻るわけにはいかないんです」
そう言って、瀬尾は真上に跳ねると、次に力士のように力強くドンッと地面に両足を着地させた。
直後――――カロは世界が90度回転したようにバランスを崩して、左の壁に叩きつけられる。
「な、何が……」
そう言って、顔を上げる。――――と、カロの手には滑っとした赤い液体が纏わりついていた。いや、手だけじゃない。地面全体を、まるで沼地のような不気味な柔さを以て覆い尽くしていた。
さらに、体がだるい。カロは膝に手をついて立ち上がる。と、あることに気がついた。
「みんなは……」
その困惑は正しく、辺りにはカロしかいなかった。
天井や壁は大きなライブ会場のように遥か遠くにあり、その全てが赤黒い色で塗り潰されていた。辺りは、さっきまでのギャラリーとはまるっきり違っていた。
「クハッ、クハハハハハッ……!!」
すると、乾いた笑い声が聞こえてくる。それは、確かに瀬尾の声だった。
「凄い……。なんでも思い描けそうですよ……!!」
カロは上げた視線を、声の方に向けてさらに上げる。
そうして、カロの目に映ったのは――――赤くおどろおどろしく捩れた円錐型の塔の上に立つ、瀬尾。そして、そのすぐそばで空な目で赤い茨に腕を縛られ、キリストのように吊り下げられているシズクだった。
「シズク……!!」
「おおっ、今なら見える……! その左目から伸びる紫の糸、他の2人とはなかったあなたたちだけの繋がり。これが魔力? それとも、特別なだけ?」
「何言って……」
「すぐに分かりますよ。――――《夢想》」
そう言って、瀬尾はベロを出しながら宙を引っ掻く。と、次の瞬間、どこからかオルゴールが聞こえてきて、空も壁も大地もキラキラと幻想的に光り始めた。
そして、セオの手の動きに従い、赤い液体の中から一斉に赤い茨が飛び出すと、シズクと瀬尾のいる塔とカロとの間に何重にも張り巡らされた。
「これは……!!」
さらに、その言葉を放った直後、カロは立っていられなくなってガクッと膝をついた。
体の中にある魔力の流れがひどく乱れていた。――――否、これは乱れているのではない。
塔の上のシズクも、その虚な様からさらに力を失って、一層くたびれた様子になる。と、そこでカロはその現象の正体を口にした。
「魔力が、吸われている……!?」
「ご明察」
茨に遮られた視界の向こう。瀬尾は、手を広げて語り出す。
「赤――――それは欲望の色。血肉・ドレス・炎・ワイン……。描かれるのものは、人の心を揺さぶり、引きつけ、滾らせる」
そして、続けて、
「ここは――――“赤の世界“。この世界では、正しさを示していただく」
「正しさ……?」
「ここから出たくば、玉砂シズクに触れながら『外に出る』と宣言するのです。リミットは、オルゴールが鳴り止む頃です」
と、カロを見下した。
「瀬尾さん! なぜ、こんなことを……!!」
「この力――――《鬼胎》とでも言いましょうか。その真実を明かしたのは、それが不可能なことだと知っているから。そして、これを行うのは――――私が、これからも画家として生きていくため。人生の不安を排除するため」
いつもの陽和な表情からは想像できない真剣さを瀬尾から感じると、カロは歯を食いしばる。
「……どのみち時間もねえ。早くしねえと、俺だけじゃなくて魔力切れでシズクも死んじまう」
カロはそう言って左目を押さえると、それからシズクを指差して、
「シズク! さっさと、そっち行くから待っとけ!!」
と、宣言し、
「んでもって、お前に教えてやる……! そんなまやかしの茨じゃ、俺を止められねえってことをな!!」
と、瀬尾を睨んだ。
▼ ▼ ▼ ▼
時を同じくして、真っ白な空間の中。
中に浮いた透明な水の球体の中に閉じ込められている、シズクがいた。
そして、目の前では1人、瀬尾が項垂れたままただ静かに椅子に座っていた。
シズクは水の球体の中から外に出ようと、とりあえず踠いてみる。
しかし、無重力に放り出されたようにその場でクルクル回ってしまうだけで、移動はできもしなかった。
「……ここは、“空白の世界“。ここでは待つことしかできません。それ以上は、何もできない」
すると、頭を上げないまま瀬尾が言った。
シズクはそれに何を言ウでもなく、ただじっと瀬尾を見つめた。
▼ ▼ ▼ ▼
「青の世界……。つまり、あなたの魔術に取り込まれたというわけですか」
リトリーがポツンと立っているそこは、壁、空、地面、全てが青く塗られた空間だった。
さらに、目の前には大きな壁が立ちはだかっていて、向こう側は全く見えなかった。
すると、空間のどこか遠くから山びこのように瀬尾の声が響いてくる。
「青――――果てしない色。海・空・絶望・影……。彼らは、深くどこまでも続いていく」
「それで、この迷路ですか」
「ご明察。あなたには、答えを探していただく。この果てなき迷宮で」
「……面倒な。しかし、即死攻撃じゃなかっただけ幸運か。天井方向に引っ張られた時は、あわやと思いましたが」
この世界の概要を聞いて、リトリーは振り返り、迷路に向かって1歩前に踏み出そうとする。――――と、その時だった。
「それと、この旅には同行者がいる」
その瀬尾の言葉と共に、地面からはヘンテコなコアラが現れる。コアラは、リトリーの3歩後ろに立って、首を傾げていた。
「これは、なんです?」
空に向かってリトリーが聞いてみても、返事はない。
「……まあ、いいか」
そう言って再び歩き出す、リトリー。その後ろで、コアラがニヤッと笑った。
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