2-4 遊びは終わり
カロが《魔術:浮遊》を身に着けた、翌日の朝。
岩手隊のオフィスに向かう道すがら、カロは、
「おはようございます、骨喰特等。《魔術:浮遊》習得、おめでとうございます」
と、背後から声をかけられた。
「……ぬるっと出てくるのやめてくださいよ、岩手隊長」
その正体は、他でもない岩手だった。
「おや、すみません。何か飲みますか?」
岩手は全く気持ちの籠っていない謝罪を口にして、自販機を指差す。
「……え、じゃあ、ミルクティーで」
「はい」
そうして、ガコンッと落ちてきたペットボトルをカロに手渡した。
「それにしても情報が早いですね」
「ええ。リトから聞きましたから」
「リト?」
「ああ、久慈1等です」
「……ずいぶん仲良いんですね」
「ええ。彼をこの特魔に連れて来たのも僕ですよ」
いわゆる岩手派閥というやつか、と、カロは思った。
すると、岩手は歩み寄りカロの耳元で、
「それで、決まりましたか? 心のうちは」
と、尋ねる。
「……はい」
カロは答える。
「あなたにつきますよ、隊長。陽華補佐を監視すれば、いいんですね」
「その答えが聞けてよかった。今後とも、彼女のもとで行動し、怪しいことがあれば逐一報告してください。……もちろん、あなたにだけ話すようなことでも」
▼ ▼ ▼ ▼
「では、今日からは《魔術:障壁》の訓練に入りましょう」
陽華が言った。すると、カロが尋ねる。
「こ、ここは……?」
「暁区にある穂村山です」
カロの鼓膜に、滝壺から溜池に水が飛び込む激しい音が響く。そう、ここはいつもの演習場ではなく、幾つも区境を跨いでやって来た山の中だった。
滝を見上げる、カロ、シズク、陽華、リトリーの面々。すると、リトリーが提案した。
「今日こそ、谷底に落としますか?」
「……落としません」
「では、どうするので?」
基本的に、《魔術:障壁》の習得は難しい。
たいていは、痛みから逃げたいだとか溺れたくないだとかそんな拒絶から始まる。シンプルであるが故に、子供時代に習得してしまう人がほとんどだし、最初に取得することがほとんどだ。
だからこそ、《魔術:強化》《魔術:付与》《魔術:浮遊》を身につけている魔術士――――つまり、カロは、それらで《魔術:障壁》を必要とする場面を打開できてしまう。わざわざ《魔術:障壁》を使う必要もないのだ。
だが、陽華には考えがあった。
「骨喰特等には――――滝行をしていただきます」
そう言って、陽華は《魔術:浮遊》の訓練の時につけていたように、装着者に魔術的制限をかける錠をカロに取り付けた。
「またこれっすか?」
「ええ。しかし、今回は勝手が違います」
「勝手が違う?」
「今回使えるのは、《魔術:障壁》のみです」
「……へ?」
▼ ▼ ▼ ▼
「――――つつつつつつつ、冷たすぎるッ!!」
滝の降り落ちるドドドドドッという音に合わせて、カロが叫ぶ。カロは今、行衣と呼ばれる白い服に身を包まれて、滝を一心に浴びていた。
「こ、これ、いつまで続くんですか?!?」
カロが問う。と、その横にいた陽華が、
「《魔術:障壁》ができるまでです」
と、《魔術:障壁》で自分に降りかかる水を防ぎながら言った。
障壁は、球体のような形をしていて、陽華の腰より下の水も全て遠くへ押しやっていた。その姿は、まるで目に見えないカプセルの中に立っているみたいだった。
さらに隣では、同じようにしてリトリーが立っている。
「こんなので成功するんでしょうか」
「……分かりません。でも、どうにかして彼の中を嫌なことでいっぱいにするしかないんです。いっぱいになって、その時、彼の中で帰りたい気持ちや滝行を辞めたいという意志さえ忘れて、ただ水や冷たさから逃げたいと思えた時、彼はそれを身につけるはずです」
「大人になってから、子供のように一途になるのは非常に難しいことです。ましてや、それを強制するとは、悪魔の所業ですね」
「……あなたに言われたくありません」
陽華はちらっとカロに目をやると、
「私は、彼の中の可能性を信じています。玉砂シズクを利用しなくとも、彼自身の中にある可能性を」
と、言った。
すると、滝のほとりでその様子を眺めていたシズクが、徐に水の中へと向かって歩き出す。そして、
「カロ、そんな冷たくなっ――――」
そう言いかけて、降り注ぐ水流の下へと入った瞬間、
「……ッ! 馬鹿たれッ!」
と、伸ばしたカロの手も虚しく、
「ボロロロロロロロロロロ――――ッ」
と、変な断末魔をあげながら、シズクは弾けた。
「……あんなのでもですか?」
水に足を取られながらも、シズクの破片を必死にかき集めるカロを見ながら、リトリーが呟く。
「あんなの、だとしてもです」
「……全ては、禁書《盲信》の居場所を暴くため。いえ、岩手様を特魔から追放するため、でしょうか。であれば、なおさら強くしたほうが……」
しかし、そこでリトリーは言葉を止め、それから、
「いえ、むしろ強くならないように阻害しているのですか?」
と、続けて尋ねた。
「私はただ、自分の職務をこなしているだけです」
「そうですか」
そんな淡々としたやり取りの続く中、不意に――――ゴンッと鈍い音が滝壺に響く。
すっかり会話に夢中になっていた2人は、音のした方を向く。と、そこで――――カロが隣にいないことに気がついた。
「ど、どこに……!?」
そう言って辺りを見回す、陽華。
すると、シズクが指し示した川のずっと先で、2本の木の棒と共に水面に浮いているカロがいた。
「――――え」
陽華がそう声を漏らすと、ザバァッと音を立ててカロが起き上がる。そして、言った。
「よぉしッ! コツは掴んだぞ、ボケッ!!」
「……え?」
困惑する陽華もそのままに、カロは滝壺へと戻っていく。――――が、「コツは掴んだ」という言葉に反して、滝の流れはまだカロを襲っていた。
そのうちにまた、木の棒が降ってくる。――――が、その時だった。
水の流れは変わらない。なのに、木の棒だけが弾かれて川に落ちた。
「これは……」
陽華の呟きを聞いたカロは、ニヤッと笑う。すると、
「2人とも近づいてみてください」
そう言って2人を手招いた。――――その途中、
「何だか、ピリッとして、嫌な感じがします」
と、リトリーが言った。
一方で、陽華は普通にカロに近づける。すると、カロは得意げに言った。
「やっぱりだ!」
「やっぱり?」
「いやあ、さっきシズクを助けようとした時に、あまりにもこの滝が邪魔だったからそこで分かったんです。俺の《魔術:障壁》は、うざってえもんだけ弾くって!」
ドヤ顔をするカロから遠く離れたところで、
「なるほど。つまり……」
と、リトリーがカロを睨む。と、カロはそれを鼻で笑った。
それから、カロは陽華を見上げ、
「どうですか? 陽華補佐」
と、尋ねる。
しかし、陽華は黙ったまま何も答えず、その何か意味ありげな表情を見ると「陽華補佐?」と、カロは不安になって続けて尋ねた。
すると、答えない陽華の代わりに、カロに向かって冷めた目でリトリーが、
「水は弾かない。つまり、滝行を好むというのですか。……ドMですね」
と、言った。
「なっ……!? まだ全部弾けねえだけで、《魔術:障壁》をすり抜けてくる量は減ってんだよ!! そのうち、お前みたいに、全部弾いてやるからな!!」
リトリーに喰ってかかる、カロ。しかし、一方で、陽華は神妙な面持ちのままだった。
(確かに、私たちが《魔術:障壁》を習得するのは、子供が故に全力で嫌なものを避けようとするから。――――つまり、《魔術:障壁》の根本は、何かを嫌う力……。それを偶発的な出来事から簡単に理解した)
魔術的理解の速さは、そこまで早くはない。――――が、それは生まれて間もなく何でも吸収できる幼子と比べた場合。
1を知り、10を得る。その才能の片鱗。
「……やはり、骨喰の血筋か」
その時、滝壺から離れたところに置かれた鞄から、ピーピッ、ピーピッという音が聞こえてくる。
陽華は滝壺から出て、声を上げているデバイスを手に取ると、
「遊び終わりです。骨喰特等、久慈1等。――――出動ですよ」
と、2人に言った。
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