1-end 共闘戦線
「びっくりしたぁ……」
ぶつかりそうになったその人影は、カロの母親だった。
「あ……」
カロはどう反応していいか分からず、口からこぼれたのはそんな困惑の声だった。すると、母が尋ねてくる。
「あの、何かありましたか?」
「……え?」
「いや、あまりにじっと、その……。顔を見られたので……」
ズキリ――――その決して家族には向けないような疑いと警戒に満ちた瞳で、母がカロを見る。
「……知り合いに似ていて、驚いてしまって」
「そうでしたか。では……」
ぎこちない表情を見せるカロに母はそう言うと、他人行儀な態度で横を通り抜け、マンションへと向かって歩き出す。しかし、カロはそれを、
「――――あの」
と、引き留めた。そして、振り返って問う。
「本当に……。本当に僕の知り合いじゃないんですよね……?」
それをどんな気持ちでカロが口にしたかは、分からない。しかし、
「……? はい。人違いだと思います」
そう、母に返された時、カロはひどく悲しそうに顔を歪めた。
それからエントランスの扉が閉まって、視界のどこにも母親の姿が無くなると、カロは一目散に走り出した。
息も絶え絶えに、走り抜けた町の中。
たどり着いたのは、ちっぽけな公園だった。
纏わりつく羽虫を追い払うようにチカチカと瞬く電灯の光の下、カロは力尽きるように膝をついた。
「……カロ、大丈夫?」
荒い息をそのままに何も言えずにいるカロを、そっとシズクが抱きしめる。
――――お別れは、お済みですか?
カロは、いつの日か特魔の魔術士が言っていたことを自覚する。別れとはこういうことだったのか、と。
「俺は……」
カロは、シズクをぎゅっと抱きしめ返す。と、震えた声で言った。
「俺にはもう、お前しかいない」
吐いた言葉が、夏の夜に溶ける。
カロがそう言ってより一層強くシズクを抱き寄せると、シズクも何も言わずにただカロを抱きしめ返した。
――――あなたと玉砂シズクを殺すように仕向けることだって可能です。
そんなことは、させない。絶対に。
――――もし、あなたが私に協力してくれるなら、私が副司令になった時、『あなたと玉砂シズクの特魔入りの取り消し』。そして、『監視の撤廃』をお約束します。
これが、1番自由だ。
だが、これに従えば、リスクもある。もしバレてしまえば、総司令の手によってすぐにだってシズクを失うかもしれない。
なら、どうする?
俺は、もうシズク以外いない。ただ、シズクを守りたいだけ。そのためなら、何がどうなったっていい。でも、そのために、俺は……。
(……俺は、何を選べば)
そうして、カロがシズクの腕に深く沈んだ時――――。
――――あたしは、ただお姉ちゃんを守りたいだけ。
なぜか、そう語るアザミの顔が頭に浮かんできた。
▼ ▼ ▼ ▼
「だはぁ……。1等魔術士に上がって独断で行動できるようになったと思ったら、むしろ何倍も仕事突っ込まれて自由に動けすらしねえ……」
アザミが倦怠感の原因を言葉にしながら、自分の部屋の扉に手をかける。しかし、その時――――ブゥッと、スマホが震えた。
10分後、アザミは明坂高校近くの川の橋の上にいた。
辺りは、すっかり夜で車も人の影もない。街は息を潜めて、川の流れが静かに耳を撫でる。
そこに、そんな夜には似合わない騒がしい足音がやってくる。と、アザミは振り返ってから、
「……で、話ってなんだよ。骨喰」
と、面倒くさそうに頭を掻いて言った。アザミの視線の先にいたのは――――カロだった。
すると、カロはアザミの前にやって来るなり、
「共闘だ。もう一度、手を組むぞ」
と、言った。
「は?」
理解が追いつかないアザミに、カロは続ける。
「俺はずっと、お前の提案なんかあり得ねえと思ってたよ。協力しろって言うくせに、報酬は何もねえなんてな」
「……お姉ちゃんのことか」
アザミは目を伏せた。
「だったら、何しに来た? なんで呼び出した? 協力する気にでもなったかよ」
半笑いで自虐的にそう続ける、アザミ。アザミは、カロが自分の願いを断るもんだと思っていた。
「ああ。協力する。――――ただし、条件付きでな」
しかし、カロから返ってきたのは、アザミの予想していなかったものだった。
「条件?」
すると、カロは胸ぐらを掴んでアザミの顔を無理やり上げさせ、言った。
「スパイだってなんだってやってやる。必要なら情報だってくれてやる。だが、その代わり――――お前は、上り詰めろ。お前がこの組織の上に立って、俺とシズクを特魔から解放しろ。『シズクとの平和な未来』、それが俺からの条件だ」
そう語るカロの目は、真剣だった。
「はぁ!? お前、馬鹿かよ!? そんな無茶苦茶な……」
「ああ、1番馬鹿な選択だよ。……だけどな、お前の言葉が1番無視できなかったんだよ。どんな条件よりも、脅しよりもな」
「それだけで……?」
「……それに、少なくとも1番信用できるのが、あんたなんだよ。赤木アザミ1等。あんたの言葉だけが、何の思惑もない純粋な願いだった」
カロはそう言うと、アザミから手を離す。
「俺にはもう、シズクしかいない。家族を、大切な人を守りたい気持ちは――――あんたが1番分かるだろ?」
そして、もう一度真っ直ぐアザミと向き合った。
その顔を見て、アザミも理解した。そのカロの語った感情こそが、お互いを分かり合える「愛」と呼ばれる強いつながりだと。
「……アザミでいい。あたしも、お前をカロと呼ぶ」
すると、アザミが不意にそう言った。
「……え?」
「いい加減長ったらしいと思ってたんだよな、骨喰って4文字」
アザミはそう言うと、次に手を差し出し、
「同盟成立だ。馬鹿馬鹿しいけど、馬鹿馬鹿しいから信じれる。約束する、あんたがお姉ちゃんを――――陽華補佐を守ってくれる限り、あたしはあんたとあんたの大切な人の平和のために尽力する」
と、握手を求めた。
カロは自分の右手を一瞥すると、ニッと笑う。そして、アザミの手を握る。
「よろしくな、アザミ」
「ああ。カロ」
すると、そこにカロの後ろに隠れていたシズクもふらっとやってきて、2人の握手の上から手を被せた。
「……約束」
それからシズクがそう呟くと、アザミは、
「ああ、約束だ」
と、頬を緩めた。
▼ ▼ ▼ ▼
「――――つまり、お前は各方面からスパイ要請があった、と」
結託したの後の橋の上、川を眺めながらカロはアザミと情報交換をしていた。
カロはアザミの言葉に頷くと、
「で、どうするか何だよなぁ……。岩手隊長は、確かに悪意が見えたんだよな」
と、返す。
「悪意?」
「ヒュウガさんとの一件で、まあ、そう言うのに敏感になったんだよ。ともかく、岩手隊長は向き合ってていい気はしない」
そうため息を吐くカロに、アザミは、
「両方に従うふりをしとけ」
と、言った。
「お前なぁ……。それでバレた時、総司令がなんて言うか……」
「相手の動向を探るためって言やあいいんだよ。――――んでもって、岩手にもある程度お姉ちゃんの情報を渡す。もちろん、重要な情報は除いてな。あたしには、動向を逐一伝えろ。特に、禁書が見つかったら、真っ先にあたしに知らせろ。したら、あたしが1番乗りで手柄を奪ってやる。そうしたら、あたしの昇進にも繋がるだろ?」
「具体的には、どこまで昇進させればいいんだ? お前のこと」
「んー、会議に参加できるのが隊長補佐から。つまり、後1個なんだけど。あんたの処遇を決めるほどの発言力となると、副司令か、最低でも幹部クラスの隊長にならなくちゃいけない」
「幹部クラス?」
「簡単に言えば、岩手と並ばなくちゃならないってこと」
「本当、簡単に言ってくれるよ……」
カロは、呆れた目を夜の街に向ける。そして、不満げにため息を吐いた。
かくして不満や不安はあれど、ここにカロとアザミ、そしてシズクの共同戦線は成立したのだった。
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