1-5 冷たいけど、冷たくない
カロの部屋は、四方にお札のようなものが配置されていた。
少女が不思議そうにそれらを眺めている。と、カロは、
「それ、防音の魔術布なんだ。
魔術布ってのは、魔術を封じ込めたお札みたいなもんで……。
つっても、分かんねえか」
と、言ってから、「囲い、遮り、塞ぎ、隠し、飲み込み給え。あるがまま」と唱える。
その言葉に応えるように、魔術布はヒラッと一度浮かび上がり紫色に光った。
「これで、音は外に漏れなくなったから、もう話してもいいぞ。……って、話せねえのか」
部屋には、他にも『ミストカウボーイ』というカウボーイのアニメのポスターが貼られており、窓の外にはマンションに絡みつくようにして生えている大樹の枝が見えた。
「ポスターは……。気にすんな。昔好きだったアニメってだけで」
カロは詠唱が終わると、ベッドに腰掛ける。――――と、少女は何の躊躇いもなくポスターをめくった。
ポスターの裏からは、斜めに獣が強靭な爪で引っ掻いたようなひび割れが現れる。
と、カロは慌てた様子で、
「わわわっ! めくるなって!! いいから座っとけ!!」
と、少女の肩を掴むと、ポスターの前からどかした。
「いいか! これは絶対に母さんに見せるな! 機密事項だ!!」
そう警告すると、カロはため息をついて再びベッドに腰掛け、そのまま上半身だけをベッドに寝そべらせた。
すると、少女はキョロキョロとしてから、カロの膝の上に座る。
「……おい。椅子か地面に座れ」
カロは怒っているようだ。
が、その声は学校の時と違ってイマイチ元気がない。
少女が隣にズレると、カロは少女のズレたほうとは反対に寝返りを打って、それから左目を押さえる。
そして、どこか痛みを抑えるように歯の隙間から息を吐いて呟いた。
「あー、ちきしょう。収まんねえな」
少女はカロの前に回って、心配そうに覗き込む。
「……別に、厨二病じゃねえぞ。普段から痛むんだよ、緊張した時とか」
カロはさらに体を曲げ、小さくなった。
目に映る影が、青く見える。
部屋には、時計が無かった。
だから、カロは本当の静寂に迎えられて、まるでこの世から人が一人残らず消え去り、独りぼっちになってしまったかのような寂しさとやるせなの中に沈んでいた。
しかし、そんな意地悪な考えをする頭を、無機質な手が慰める。
横目で見ると、少女がカロの髪を撫でていた。
「……」
カロは、その手を振り払わない。
代わりに、チラッと少女の心配そうな表情を見ると、
「……ヒュウガさんは、俺を助けてくれたんだ。悪い人なんかじゃない」
と、静かに語り出した。
「――――この左目、義眼なんだよ。3歳の時の事故で失ったんだ。
家族で乗ってた車に、鉄骨が降ってきて。
今はピンピンしてるけど、両親共に意識不明だったらしくてさ」
カロは足を使って体を起こし、ベッドに座り直す。
シズクも隣に並ぶ。
「義眼って言っても、見えないわけじゃない。
ヒュウガさんが魔術で見えるように作ってくれたから、目として機能してる。
ほら、人間そっくりだろ?」
そう言って、カロは少女と目を合わせる。
が、その顔は浮かなかった。
「でも、病室でこっそり直してくれたから、母さんはその顛末を知らないんだ。
だから、あんな風にヒュウガさんのことを酷く言って。
分かってるよ、ヒュウガさん普通じゃなかったし。
大人になってまで、魔術なんてってさ」
カロが呆れ混じりに呟くと、少女もいささか顔を渋らせる。
「……けど、俺がそれに救われたのは、確かなんだ。
それは、この左目が証明してる。
分けてもらったヒュウガさんの魔力が、俺の身体を巡ってる。
ヒュウガさんは、自分がいなくなってずっと左目が使えるようにって、俺に魔力の扱い方を教えてくれた。
俺より全然凄い魔術師なんだよ」
すると、少女はカロの手を指差し、うねらせる。
どうやら、カロの《魔蜘蛛の糸》を示しているようだ。
「……ああ、手から伸びる紫のやつ?
あんなん、凄くねえよ。魔術師なら子供でもできるし。
つーか、俺は本当は出来てねえんだけど……」
カロの言葉を聞くと、シズクは自身を指差してから胸の前で手を交差させる。
自分は出来ない、と言いたげに。
しかし、カロは表情を曇らせたまま続ける。
「あれ、ムチみてえに太いだろ?
けどさ、本来はもっと細く練って、あやとりみたいにして、魔力のコントールを学ぶ初歩の魔術なんだ。
でも、俺は才能が無えから、太い糸1本しか出せねえ。
それも10秒くらいしか……」
「そんなことない」、そう首を横に振る少女に、カロは少しだけ強張った表情を崩す。
窓の外の夕焼けには、カラスアゲハ――――今朝、少女を追いかけていた黒い蝶が飛んでいる。
今でこそ、蝶が街中を飛んでいる光景は珍しくないが、昔は蝶どころかこんなに街に木が生えていることもなかったらしい。
「魔術なんて、この科学の発展した国じゃオカルト以下なんだよ。
誰も信じちゃいねえし、魔力のないやつには見えない。
俺は勉強も運動もできない、その他大勢だ」
カロは、自分の手を見つめてそう呟く。と、何かを思い出したように、
「あ、覚えてるか? 朝、会った灰色の髪の……」
と、聞いた。少女は数秒どこかを見上げ、曖昧な記憶を探ると、コクッと頷く。
「松永っていうんだけど、高校生なのに中型バイク乗り回してるんだぜ?
それに、運動もできて。世間じゃそういうやつのことなんだよ、凄いやつって。
……それに、さっきは勢いでいるなんて言ったけど、本当は友達なんかいねえし」
その時、少女にギュッと手を握られる。
カロの視線が、その淡く儚い水色の瞳と合うと、少女はフンスッと鼻息を荒げた。
まるで自分がいると、言わんばかりに。
その様子を見ると、カロは急に自分の卑屈さが馬鹿馬鹿しくなって笑ってしまう。
叔父は、こういう性格の自分のためにこの少女を送ってきたのかもしれない。
「冷てえんだよ、お前の手」
冗談混じりにそう言って、カロは少女の額を人差し指で押す。
と、少女はベッドに向かって倒れた。
「あ、そういえば、お前って夜眠るの?」
ボフッと、少女がベッドに沈む。
しかし、答えは返ってこなかった。
そして、その夜、カロはとある夢を見た――――。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
少しでもいいと思ってくださった方は、☆をポチッとしていただけると嬉しいです~!